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- こころの成長~ものの考えかたの編
第七章 念い(おもい)・・・
ひとが思いを込めたものはとても愛おしく思うものです。特にこどものころの純粋な気持ちで遊んでいたものや使っていたものなどの想い出は記憶にも強く残ります
そしてひとは自然にやすらぎを感じるように、自然のままにあるこころはひとに宿り自然の一部として愛着が込められているように自然からの念い(おもい)を託されているのです
大切なものに気持ちが宿るのと同じように自然から放たれた良い念い(おもい)はひとに・・・こころに宿るのです。こうしてひとは自然から愛されているということがわかるのです
古来よりわれわれがこころを込めたさまざまな念い(おもい)は「神さま」と呼ばれるようになりたくさんのひとたちから崇められてきました。そしてひとはもちろんのこと「もの」や「事」であったりといまでは日本の伝統文化として続いてきています
お祭りなども「事」のひとつです。そして自然を神さまと称えるようにひとのさまざまな念い(おもい)はやがては万物に神さまが宿るという日本独特の宗教観へと変わり現代に至っているのです
こころとは自然の一部です。自然から放たれる良い因果を一番に感じることができるのもこころであるのです
今回のテーマの中で第二章と三章でこどものことに触れていますがそれはこどもであるほどに純粋で穢れないこころをもっているからです。それだけにこどもは摂理に近いこころにあるのです。それがこどもは可愛いと言われる所以です
みなさまにあるこどものころの記憶を思い出してください。それは良くないことも思い出してみてください。すべてはあなたのこころを成長させるために起きた出来事です。なぜ起きたのか・・・素直であるほどにその理由がわかるはずです
おとなになればなるほどに失ったものを見つけようとしています。それはこどものころにたくさんあったものを探しているのです。それは無邪気や天真爛漫、素直で純粋・・・など、おとなになるにつれて忘れてしまうのです。おとなになるということはひとと比較をすることで「欲」がひとつ、また一つと増えて、「欲」は段々と広く深くなってしまうことを云うのです
- こころの成長~ものの考えかたの編
第六章 こころのあり様
われわれはこころで感じたことよりも目で見たもののほうを信じます。それは感じたことよりも見たことが事実であると捉えているのです。感じかたはひとそれぞれですが見たものは同じだからということです
感じかたがそれぞれに違うことはこころのあり様次第がさまざまにあるということです
見たことは事実ですが感じることはひとさまざまにあるということです
だからこそ目で見たものよりもこころで感じたこと信じるのです。もしこころで感じることに自信がないのであればもっとこころを成長させてください。そうすればあの世でも困ることもありません
伝えかたを変えれば・・・
あなたがいまよりもっとこころを成長させることができればあの世である常世ではもっと楽しくなるということです
たとえばこの世で常にあなたに関わる相手はあなたのこころを成長させるためにいるということを理解してください。あなたに関わる相手とは友達、知り合い、会社での関わるひとたち・・・それはあなたが引き寄せているのか、引き寄せられているのかなどいろいろに理由はあるでしょう
逆にあなたのもとを離れてゆくひとはあなたにとって役割を終えたひとであるといことです。もちろん悪いことを考えて、悪いことをすればあなたに似たひとがあなたの周りに集まるでしょう。こころのあり様次第で環境も変わるのです
そしてあなたのこころが更に成長をするために、あなたにとって必要なことが起きているのです。あなたがいま生きていることには必ず理由があります。あなたがいま生きている環境、友人、会社の仲間、家族などあなたが関わりのあるひとや出来事などはすべてが「理由があっての必然」であり「原因があっての結果」であるのです
原因があっての結果とは因果のことです。それはひとの強欲について学ぶことです
理由があっての必然とは良い因果のことであり、こころを知るのです
この世もあの世もこころの成長のためにただ在るのです。そのためにすべての事象が起きているだけです
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第五章 時間
ひとであるこの世はまばたきひとつの人生です
でもそれはどうゆう意味なのでしょうか・・・以前にあの世(常世)と呼ばれる場所には時間という概念はないと伝えています。それはこころがただ在るだけの精神世界であるということです
常世では時間という概念はなく、こころのあり様がただあるだけです。こころのあり様とは「精神」のことでもあります。その「精神」が身体から離れて行く場所を常世と云うのです
こころとは身体の寿命が尽きて身体から離れてあの世において意識のままということです。その意識のことを一般的には「魂」と云われているものです
ひと(身体)の死後の世界があることを知ると、この世での富がどうした、お金がどうしたなどは所詮、優越感を得るための自己満足でしかないことがわかります
この現世にある時間とはもともとは摂理(自然の法則)から生まれたものです。自然のままに生きているからこその時間であるのです。ひとは太陽の動きや星の動きから時間という概念をつくりだしましたが、その時間とは自然のままにあるということだけです
ひとが探求をして止まない「この世とは何か」を例えるなら、それはこころの成長で未来を現すことができ、この身体のつながりで過去を知ることができる世界であるということです
そしてそのすべては「志」のつながりで過去から未来が「在る」のです。この過去と未来もまた時間を例えた言葉ですがそれが摂理でありただ自然のままに在るのです
そしてそのただ在るとは「良い因果」のことであるのです。それは過去も未来も良い因果がはじまりであり、終わりもまた良い因果であるということです。理由があっての必然、原因があっての結果とはすべてここからはじまっているのです。だからいま、みながそれぞれに何をするべきかに気づき「志」に尽くしてゆかなければならいのです
それがわれわれひとの役割なのです。特別なことでも何でもありません。ひとが自然の一部であることに気づけばそれでよいのです
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第四章 こころが育つ環境
あなたがこれまでに起きた苦難の経験とは学びです。もちろんそんな簡単に言葉で片づけられることとは思っていませんが、でもそれはすでに過去のことです。いつまでも過去のことを嘆いていても仕方ありません。以前よりお伝えしていますがあなたに起きる出来事は結果です。それは原因があっての結果であり、理由があっての必然であるということです
もちろんあなたに起きる出来事のすべてを因果として結び付けることではありませんがかならずなんらかの関連性はあるのです。特につらい経験ほど関わりは強いものです
われわれはこころがもっとも成長する環境で生まれてくるとしていますが、言い換えればそれぞれが役割を見つけるための環境でもあるのです。みなさまがそれぞれに役割を見つけて「志」に尽くすことはなによりものこころの成長です
こころがもっとも成長する環境とはあなたが役割に気づくための環境であるということです。ただその役割を見つける前に因果に気がつかなければなりません
ひとにとっての良いこと、悪いことは必ず原因があるということです。それはあなたが素直であるほどに理解することができるのです
一例ですが冨のある環境で生まれてくる理由とは冨よりも大切なことがあることを学ぶためにその環境にあるということです。またそうでないひとたちはもし富が無くなったらと考えると恐くて仕方ないという因果に苛まれるのです。そして更に富を得ようと強欲になるのです。ただ富があるという感情は自己満足です・・・あの世にお金はもってゆけません
たしかに生きるための冨は必要でしょう。ただ冨とはいつでも手放せることができる覚悟でなくてはならないのです。それなら最初からない方が良いのです。中途半端にあるからもっと冨がほしくなるのです
冨の使い方が上手なひとはさらに富を得るでしょうが根本的に「志」に冨は必要としません。「志」に必要であるのはあくまでも良い因果の行動です。だから裕福や貧乏と呼ばれる言葉には何の意味はなく、あるのはその環境でこころが成長しているかどうかだけなのです
いまあなたの目の前にある環境はこころが成長するためにあなたにとって必要な出来事が起きているだけです。その出来事を理解することで自らの役割に気がつくようになるのです
そしてやがては自然に「志」に導かれてゆくようになるのです。その「志」こそが役割であると云うことです
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第三章 こころの記憶~その2
純粋なこどもの世界のことはおとなにはわかりません。それはおとなの考えで理解をしようとするからです。こどもの世界のこと・・・おとなはこどもの話からしかわかりませんが、こどもは抽象的なことしか話さずに当の本人の意思さえもあまり言わないため本当は自分がどうしたかったのかがわからないのです。そしてこどももまたその答えがわからないから当事者なのに他人事のようにその情景の話をすることしかできないのです
こうしておとなはそのことに気が付かないままに・・・こどもは答えがわからないままに毎回、中途半端に続くのです。基本的にこどもは先に身体を動かします。「~したい」が先にあるのです。おとなはこどものそういった行動を忘れてしまい、結局おとなはあれこれ考えてはなにもせずにこどもが欲する答えとは違うものとなっているのです
ただこどもの行動や思考がよくわからなくとも、どんなことがあってもおとなはこどもを信じてあげてください。それが正しいのか嘘なのかどちらでも構いません。ただ信じてあげることでこどもは安心するのです。おとなはこどもに対して信じてあげることが役割なのです
家族の会話はこどもがおとなに合わせているだけです。でもおとながこどものふりをすればこどもにとてもばかにされます。おとなはいつの間にかこどもの世界のことをおとなの世界に照らし合わせて考えてしまうのです
わたしが小学校4年生のときにクラスの仲間内で一日ずつ順番にその日だけ誰も口をきいてはくれないというゲームがありました。ただそれが、たとえゲームとわかっていても怖くもあり、淋しい思いをした記憶があります。ある意味でこどもがすることは残酷なものです
おとなは成長の過程でこどもの世界を経験してきているのに、おとなはいろいろなことに囚われてこどもの気持ちを見失っているのです。そしてこどもが親やおとなとの会話が少ないほどに危険信号であるのです。こどもとはいつも笑顔になるほどの話題で会話をすることがとても大切なのです
こころの成長とはおとなの世界だけを知ることだけがすべてではありません。本来はこどもの世界こそが純粋で良い因果に触れている時間が長いのです。いま一度に思い出してみてはどうでしょうか
- こころの成長~ものの考えかたの編
第二章 こころの記憶~その1
幼いこどもが寒いのに薄着で鼻水垂らしてショーケースのケーキを見ながら食べたそうにしている姿をみると胸が張り裂けそうになります。抑えきれない感情が込みあがるのです
どうしたら食べることができるのかもわからずにただずっと見ているのです
みなさまにもきっとそんな情景がいろいろにあることと思います。ひとはなぜこうも感情を揺さぶられるのでしょうか・・・
前述の情景はたぶん幼いころの自分の姿と重なっていることがあるからなのでしょう。ひとは何かのきっかけでこどもの頃の出来事を思い出すようになります。たとえ思い出したくないことも、つらい過去があることも、耐え難い経験をしたからこそ、同じ思いをするひとを無くすためにあなたは行動しなければならないのです
またひとはこどもの頃に親から、または大人から教わる大切な言葉を持っています。はじめはその意味もよくわからないことなのでしょうが中学生や高校生になってその意味が分かるようになると大事な時にその言葉を無意識に思い出してはその「ことば」はずっとあなたを守ってきてくれているのです。だからその言葉はまるでお守りのようなものなのです。その言葉でよくあるのが「ひとに迷惑はかけてはいけない」ということでしょう
ひとはそうゆう過去があるだけ幸せなのだと思います。そしてたとえ親でなくてもあなたを大切に守ってきてくれたひとたちに感謝の気持ちを伝えてください
こどもは親の背中を見て、そしておとなの背中を見て育ちます。それは間違いありません。たとえこどもの頃の親の行動が理解できていなくてもこどもながらにその光景が目に焼き付けられており、必ずこころに記憶されているのです。先ほどのお守りの言葉があるようにです・・・
そのこどもはやがて大人になり大切なひとからの教えを少しずつ思い出しながらまたその先の未来のこどもたちに同じ想いをつないでゆくのです。そうしてこれまでつながってきているのです
少しだけ長く生きているおとなから未来のこどもたちへ「つながり」という意味を伝えてゆかなければならないのです
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第一章 現世(この世)の本質
たとえ寝てしまっても朝起きたら目の前にあるのは辛いことの現実です。それはあなたにとって必要だからこその辛いという現実があるのです。その辛い出来事はあなたの過ちの罰として、あなたに教えるために起きていることなのです
どんなに逃げても、避けてもあなたの前に必ず訪れます。かたくなに拒絶すればするほどにあなたの我は強くなりやがては周りのひとにまで迷惑をかけるようになってしまいます。それならいっそのこと受け入れることのほうが賢明なのです
受け入れることは仲良くしてくださいということではありません。受け入れることであなたの罪に気がつかなければならないのです。気がつくまで何度も同じような辛いことが起きるだけです・・・
その辛いことというのは実はあなたがその辛いと思うことを他のひとにも同じように辛い思いをさせているのです
だからこそあなたにそのことを気づかせるために・・・そのことを教えるためにあなたの目の前で出来事が起きるのです。あなたは「される側」と思っていますが、実は「する側」であり、同じような意識がたくさんに引き寄せられて起きているのです
あるときは都合の良い話を吹き込みあなたの感情を刺激したり、またあるときはあなたのこころを乱そうとしているのです
われわれはそういった感情と日々葛藤して生きています。それがこの世です。現世(うつしよ)という言い方はさまざまな感情が実体化した姿のことを現わしている世界のことです
このような感覚でひとの感情を意識するとこの世がもう少しわかりやすくなります。そしてこの世でのあなたの目の前に起きる出来事は原因があっての結果であるということを忘れないでください
それらが起きる原因とはあなたのこころを成長させるために結果となってあなたの目の前で起きているということです
- こころの成長~ものの考えかたの編
まえがき
ひとはものの考えかたを変えるだけで目に映るものが変わります。それは感じることも同じで、目に見えるものが変わればその感じかたも変わります
さらにそれはひとそれぞれの考えが違うことを意味するのと同時に、あなた自身のなかでも昨日と違う自分がいることに気がつくのです。それは前者が「~らしさ」であり後者が「こころの成長」です
あなたの身体には必ずもうひとりの「意識」があります
そのあなたの中にいるもうひとりのあなたとは常にあなたよりも一歩だけ先を歩んでいます。あなたがどんなに成長をしてもいつも一歩だけその先を歩いているのです。追いつきそうで追い越せない。その感覚は決してひとりではないことを感じさせてくれるものです
圧倒的な心の成長の差があれば諦められるのにあと一歩だから必ず追いつけるという念い(おもい)に駆られるのです。あなたを守る神さまとはいつもあなたの一歩先を歩くこころのことです。そのこころとは明日のあなたのことでもあるのです
いつもその先であなたが追いつくまで待ってくれています。そしてどんなときでも必ずあなたのそばから離れずに見守ってくれています。それだけあなたは期待をされているのです
この道を進むことは常に孤独と隣り合わせのように感じますが、でも本当はいつもそばでたくさんのかたが見守ってくれていることを忘れてはなりません。それは決してひとりだけではないということです
たとえばわたしの場合はこうして書き綴ることでわたし自身では足りない「ことば」をどなたかがチカラを貸してくれて「ことば」尽きないことが、決してひとりではないことを教えてくれるのです
こころの成長とは常に相手がいて、出来事や事象があって、自然を相手にして自らの感情が揺さぶられることで学びを得たり考え続けることで昨日とは違う成長した自分がいると意識をすることができるのです
そんな感じかたをしながら書き記しています
それでは本編をご覧ください・・・
まえがき
目次
第一章 現世(この世)の本質
第二章 こころの記憶~その1
第三章 こころの記憶~その2
第四章 こころが育つ環境
第五章 時間
第六章 こころのあり様
第七章 念い(おもい)・・・
第八章 こころの成長~その1
第九章 こころの成長~その2
あとがき
以上
- 因果応報とは
自分の行いは
良いことも悪いことも
すべて自分に結果として
戻ってくるということです
過去や前世の
善悪の行いによって
現在の幸・不幸のあり様があり
現在の行いに応じて
未来のあり様が
生まれることを云います
(原因と結果)
- ひとは
自然(意志)を
超えることはできません
だからひとは
自然を
不条理だと言うのです
傲慢である
ひとの愚かさを
伝える言葉です
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