生きる理由についての編 (その10)

あるべき姿~生きる理由についての編

あとがき

強さとは身体的に相手と競い合う強さであったり、精神的な強さなどさまざまにあります。そして耐える強さもまた肉体的に、精神的に耐えるという強さなどさまざまあるのです

わたくしごとですが・・・腹筋にチカラを入れて敢えて腹筋が吊るようにすることで、それを我慢することで手っ取り早く筋力を鍛錬していたら、そのまま肉離れとなってしまい1か月間ほど笑うこともできず、咳をすることもできずひたすらにうつむき加減の姿勢で過ごしたこともあります(笑い話です)

または怖い夢をみてひたすらに重い気を受けてそれをかわすためにこちらもチカラを込めて耐えていたら朝起て鏡を見たら右目の血管がほとんど切れて真っ赤になってしまったり、または寝ている時に足の脛が吊ることはとても痛く、ほとぼり冷めるまで歩けなくなるくらいにひたすらその痛みに耐えたりと肉体的強さ、精神的に耐えるという強さにかけてはだいぶ鍛えられたという自信はあります

更に遡れば小学4年生の時は自転車で高速のスピードに怖くなり横転して右足の太ももを30針縫う大けがをしたり、また中学生の頃に腹筋を鍛えすぎて成長期の柔らかい背骨が耐えきれず圧迫されて脊髄分離症になり更に無理をして運動をしていたら下半身不随になる寸前にまでなったりと枚挙にいとまがありません

そして極めつけは20代では深夜にバイクで自損事故を起こして身体だけタクシーの下部に突っ込み腹部を強打して痛みに耐えてうずくまっていましたが、そこから家も近いためそのまま、またバイクに乗って家に帰りましたが横になって休んでいたら痛みで寝ることもできず意識を失いかけて自分で救急車を呼んで病院に運ばれたこともあります。そして結果は脾臓破裂して内出血を起こしていて手術で開腹したら血が溢れ出て血液が足らずぎりぎりで助かったことなどもありました

このように常に痛みに耐えては身体がギリギリの状態であったことはいまも忘れません。別に好き好んで耐えているわけではないのですがそれは結果としてそうであったということ・・・情けない話です

このように過去を思い出すたびに、ひと一倍にいまを生かされていることに感謝の気持ちが絶えないのです。もちろん脾臓破裂の時でさえ搬送されているときに看護師さん輸血が足りません危険です!危険です!と叫んでいてそれをなぜか冷静に聞いているわたしはひとを勝手に殺すなと思っているほどでした。そのうち麻酔で気を失ったのですが・・・。ただこれまで自分が死ぬと思ったことは一度もありませんでした

それで気づいたことがあるのですが強さとはただひたすらに信じていることなんだと・・・それはなにをではなく・・・自分が信じていることを信じるという意志が大切であると云うことです

生きる理由についての編 (その9)

あるべき姿~生きる理由についての編

第八章  これまでの学び

これまでの学びを少し整理してみます。ひとには脳で考える思考と本能のままにある感情、そして身体に宿る「魂」という意思があります。そしてその魂をこころへと成長させるための役割として、あなたを守る神さま(こころ)があるということです

もちろんあなたにチカラを貸してくれる神さま(こころ)たちはあなたのこころのあり様次第で変わりますがこころへと成長させるためにその中心となって役割を果たすのはあなたを守る神さま(こころ)であるということです

この世も、あの世も天国も地獄などもまたあなたのこころの中にある世界です。そしてすべてはこころの成長のためにその世界の意味がさまざまにあるだけです

それはそもそもがこの世も、あの世も天国も地獄もひとの因果によってつくられた世界であるからです

あなたを守る神さま(こころ)はひとの身体に宿る「魂」を「こころ」へと成長させることが役割であり、あなたの脳にある思考や「魂」の意識よりもそのすべてが一歩先を歩く「こころ」であるということです

「魂」のあり様とはもともとがひとの身体にある本能である「欲」から強欲が生まれ、その強欲が因果となって現れたことがはじまりです

そしてひとにとって都合の良い独自の社会を形成してきたのです

こころの成長とは「魂」が以前のように自然(こころ)の一部であった「あり様」に戻すことが役割です。原因があっての結果とはひとがつくりしことの秩序のひとつです。そして理由があっての必然とは自然が作りしものの摂理であるのです

われわれは決して身体はひとつであってもさまざまな意識によって在るのです。わたしがこうして書き綴ることも常にだれか(こころ)の意志がチカラを貸してくれているのでしょう

この身体には脳で考える思考、本能である感情、身体に宿る「魂」、そしてそれらすべてを守るという意志があるのです・・・それが「あなたを守る神さま(こころ)」ということなのです

生きる理由についての編 (その8)

あるべき姿~生きる理由についての編

第七章  こころの成長

こころの中にすべての世界が存在しています。あの世と呼ばれる世界も、地獄という言葉のイメージもこころの中にあります。そしてそれは身体があるこの世についても同じで、あなたのこころの中に存在しているということです

ただこの世は物資世界であるために必然とこころ(魂)は身体に宿ることをしなければなりません。そしてこころ(魂)を成長させているのです。ひとが生きる理由とはこころを成長させることです。それはひとを成長させることにもつながるということです

この身体には脳で考える思考や本能のままにある感情があり、あなたを守る神さま(こころ)があります。それぞれの意識は常に葛藤をしてそれぞれの成長を補い合っています

脳で考える思考は身体の機能の一部です。そして感情の根本は本能(欲)です。そして本能もまた摂理(自然の法則)の一部であるということです

物質世界にあるこの考えは、あの世での精神世界にあってもその意識は同じものです。本来は精神世界にある摂理(自然の法則)を具現化しているのがこの世であるということです

さらにもっと大局的に考えればこの世もこころの一部であるということです。ひとりひとりがそれぞれに独自に世界を持っているということです

基本的には他のこころとはことばを使ってなど意識的に交わることはありませんが、それぞれがこころの成長に必要な世界をそれぞれに持ち合わせているのです

あの世もあなたのこころの中に内包されている世界です。あなたのこころのあり様次第であの世の世界もさまざまにあるのです。そしてひとそれぞれに、あの世の世界もあるということです

この世では物質世界によって生み出される因果である悩み解決してゆくことがこころの成長であり生きる理由です

そしてこの世での物質世界にあってのこころの成長と、あの世である精神世界でのこころの成長はこの世での物資世界での経験があるからこそその延長線上にある精神世界でのこころの成長はつながっているのです