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須佐神社にて~素戔嗚さまと八岐大蛇(豪族であったひとのこと)のにらみ合いでしょうか・・・
- こころの成長~ひととしての編
まえがき
ひとの欲につけ込んだ儲け話は至る所にあります。でもそれは決して儲かるはずのないお話です。長きにわたりいろいろな営業職の経験をしてきているためにわかるものです。通常の商取引であれば相手が欲する物を売買するのが基本ですが儲け話とは相手の「欲」を売買する話を云うのです
溢れる商品には付加価値をつけて販売しなければなりません。資本主義の在りかたとして外国のどなたかが「商売の本質は詐欺である」と言っていましたが的を得ている言葉ではないかと思います
相手をおだてて気分をよくして商品を購入してもらうことも手段のひとつでしょう。また以前には日本人がアラブ人に富士山を売りつけたひともおります。商品はあなたの発想次第です
騙すひとが悪いのか、騙されるひとがいけないのかなどの議論は絶えません。ただ両者とも「欲」にまみれた考えかたがいけないのです。騙すひとは言わずものがな、騙されるひとはよくよく聞いてみれば「家族を養うために」とか「手術費のめに」という美談もあるのかもしれません。その感情は理解できますが、でも結局はその根底にあるのが「欲」であることに変りはありません
ひとを騙したり、ひとに嘘をつくことなどは、おおよそがひとの歴史です。ひとが自然から離れ独自の世界を形成した結果、そのような行為に対して成す術もなく無法な状態となっているのです
そこで民を束ねるものは秩序を保つために「法」で統治しようとしてきたのです。ただひとの強欲はそれでも治まらずに法の眼をかいくぐりながら現在に至っています。ひとの慣れとは恐ろしいもので同じことをくり返すたびにその感覚が麻痺してゆくのです
同じことを繰り返すとはまさしく因果そのものなのでしょう
虐待が虐待を呼ぶように地獄が地獄を呼び起こして、その地獄がさらに深く、さらに広くになってその強欲は留まることを知らないのです。地獄はあの世にあるものと言われていますがそうではなくこの世にあるのです
こころの成長は誰もができることです。そしてわれわれがこの因果である負の連鎖に気づき、みながそれぞれにできる役割に尽くすことが大切なことなのです
それでは本編をご覧ください・・・
目次
まえがき
第一章 失くしたもの
第二章 取り戻すために
第三章 そして何をするのか
第四章 守るべきもの
第五章 どうすればよいのか~その1
第六章 どうすればよいのか~その2
第七章 使命感(わたしの場合)
第八章 受け継ぐひとたち(わたしの場合)
あとがき
以上
- こころの成長~気づくべきことの編
あとがき
それまでまったく意識をしていなかった空にある雲がこれだけ意識がつながるものとは思いもしませんでした。2018年にそれまでの仕事から解放されてやっと行くことができた神社で何気なく撮った雲の写真、翌週に見返してみるとそこには大好きな龍神さまが写り込んでいました。そんな龍神様に感謝の気持ちを伝えにまた神社へと行くようになりました。きっかけなどはそんなものです
インスタに載せている写真は怖そうなお姿もありますが、それはまだまだわたしのチカラが足りないから怒られているだけです
そしていまではたくさんの素敵な写真や言葉たちに囲まれています。それらの大切な言葉を自分のためだけではなくみなさまへも伝えたいと思いから2019年からブログを通じてみなさまにもお知らせをしています
そしてその言葉たちに対して感謝の気持ちを伝えるためにさらにまたさまざまな場所に登拝をしているのです。それは決して名のある場所ではなく、いまではひっそりと静かな場所もあります。感覚としてあまり賑やかにしたくないのかと思いそのような場所はインスタでもお知らせをしていません
そんな場所のひとつで昨年に訪れた所は来年もまた登拝したい場所なのですが何もなさ過ぎて今度はお花の種をまいてあげようと思っています。そこは何もない場所なのです。でも以前にはなにかあった場所であり、いまもなにかある場所なのです
もしかしたらそっとしておいてくれと怒られるのかもしれません。でもわたしは自身がそう感じたのであれば花の種を蒔いてみるなどをしてもいいのかと思っています
お花の種をまこうと感じたことはもちろん正しいことなのか間違いなのかはわかりません。でもわたしは神さまになにかしてあげたいとそう感じることを大切にしてゆきたいと思っているだけです
「ものの見かた、感じかた、考えかた」を意識するとすこしだけその先に気がつくようになるのです
- こころの成長~気づくべきことの編
第八章 こころの隙間
大切なことをひとつ受け入れると時が少しだけ長くに感じます。ひとつまた一つとその言葉や行動を受け入れるとひとつ、ふたつと段々に時が長くに感じるのです
以前は気にも留めずにあったことが気づくようになって、いまでは時すごく長くに感じるようになるのです。それは時間の長さではなく「気づくことができてなにかうれしいな」というこころのあり様のことです
圧倒的な強欲のチカラによって窮屈に抑え込まれたときにあるときに「ふっ」とこころが虚しさや空(から)の気持ちとなって「わたしはなにやってんだろう」、「なんでこうなったのかな」とした焦燥感を感じることでしょう
われわれはみながこころに空いた無数の隙間を何とかして埋めようとその「何か」を探しているのです
こころは欲や憎しみや悲しみなどの感情によって無数に穴があけられていますが大抵はその隙間をまたほかの何かで埋めようとするのです
でもそうではなく道理で埋めるようしてください。その道理とは自然から学ぶことができます
ひとつひとつを道理で埋めてゆくことがこころの成長なのです。それぞれに空いてしまった原因はひとそれぞれに違うものです。だからこそ自分で見つけて自分でその隙間を塞いでゆくことがこころの成長であるのです
感情でこころを満たすことができるのはほんの一瞬ですが、道理でこころの穴を満たすことは永遠です
こころとは意志でありその言葉(言霊)とは「志」のことを云うのです
それがあなたらしさの道理であるということです
あなたの無数に空いたこころの隙間はあなたらしさである「志」で埋めればそれでよいのです
- こころの成長~気づくべきことの編
第七章 大切なこと
ひとりだから淋しいわけではありません。また多数だから楽しいわけでもありません。それはただの見た目の印象なだけです。大勢が楽しいのはたくさんのこころに触れることができるから楽しいのです
ひとりが好きだからこその学ぶべきことや多数が楽しいからこそ学ぶべきことなどさまざまにあるのです。大切なことはあなたのこころのあり様次第であるだけです。あなたはひとりが好きですか。それとも集団での行動が得意でしょうか
ひとは目の前の自分の欲ばかりに目がくらみ本質が見えなくなることがよくあります
これは区役所で遭遇した出来事です
母親が身体障がい者であり、その等級が1等級から3等級に下がるために昨年までに受けていた行政からの恩恵が受けられなくなります。なんとか1等級のままにしたいという目の前の欲の思いから抜けきれない光景をを目の当たりにしました・・・
「3等級なんてそんなはずはない、母は1等級ですよ」
「でも病院の先生は3等級だと報告がきていますよ」・・・そんなやりとりが続いているのです
ですが勘違いをしてはいけません。そもそも1等級から3等級になることは母親の健康状態が良くなったという証です。それを喜ばずしてただ欲のためになぜ行政からの恩恵ばかりを当てにしなければならないのでしょうか、本末転倒の話です
でもひとは一度その甘えた環境に慣れてしまうと大切なことが見えなくなってしまうものなのです
この話はそばでその成り行きを聞いていたから本質を理解できたのですがはたして当事者であればそのことに気付いたでしょうか。それくらいに当事者は我に縛られてしまうということです。当人の生活が困窮していればなおさらのことでしょう
でも大切なことは母親の体調が良くなったということです
そうなったのだから素直に喜べばそれで良いのです
あなたはなにが希望なのですか
欲でしょうか・・・それとも・・・
- こころの成長~気づくべきことの編
第六章 しあわせ
この世はひとの感情で埋め尽くされています
辛い・悲しい・憎い・うれしい・楽しいなど、それは感情のままにあるといったひとのあり様です
良いことも悪いことも順番に起きるのです。悪いこととは「因果」のことです
そして良いことが起きるのは悪いことの因果に気づいてもらうために起きているのです
すべてはこころを成長させるため・・・ただそれだけです。良い因果とはただ感情のままにあればなかなか気づきません。とくに欲に絡んだことであればなおさら気がつかないのです。ただ良い因果とは自然に気がつくほどにもっと簡単に見つけられることができます
でも欲にまみれていては自然に触れても良い因果に気づくことはできないのです
この世にある良い因果のはじまりはひとのこころにある小さな意志のことを云います
その想いはひとであればかならずあるものです
ただひとのこころはそのほとんどが感情のままに在ります。それでも欲にまみれた感情をひとつひとつを紐解いて整理してゆけば、こころの奥底にある良い因果にかならず気づくことができるのです
良い因果とは因果の裏返しです。因果を理解することができれば自ずと良い因果とは何かがわかるようになるのです
ひとは平等にあり良いことがあればそうでないことが順番に起こるものです
ただ良い因果に気がつかずに感情のままに・・・因果のままにあればよくない出来事のほうがなんども起こりこころは失われてゆくのです
だから良い因果を知るために「ひとにやさしくしてください」と伝えているのです。「ひとを笑顔にしてください」と云うのです
そうすることで相手だけでなくあなた自身も幸せになることができるのです
- こころの成長~気づくべきことの編
第五章 やさしさとは
やさしさとは相手が感じる言葉です
そしてやさしさとは相手を思いやる気持ちの行動です
やさしさとは特別なものではなくだれもが持っているものです。もちろん物質的なやさしさもありますが、おもいやりによる精神的なやさしさは言葉でも行動でもだれもができることなのです
そして「やさしさ」は、ひと以外の生命(いのち)を助けることもできるのです。以前にも伝えているように動物や植物は生きることが役割としています
ひと以外の生命(いのち)あるものの生きる理由とはただ「未来に命をつなげてゆく」ということだけです。そして本来ひともまた変わりなくそれは良い因果のことでもあるということなのです
やさしさとは意志の強さのことでもあります。身体の強さとはこの世の身体がある世界だけのこと、精神世界であるあの世では身体の強さなど何の意味もありません
そしてこの世でのやさしさとは具体的なひとつの例えとして「やさしさとは相手のことを思いやる気持ちの結果であり行動をして手伝うことなど物理的に相手のために何かをすることで相手が笑顔になる」ということです
それでは身体もない言葉も発せられない精神世界でのやさしとはなんでしょか・・・
前述の通りあの世でのやさしさとは「意志」のことを云いますあなたのためにその役割を担うのがあなたのことを「いつも守ってくれている神さま(こころ)」のことを云うのです
以前にも伝えている通りにあなたより少しだけ先を歩いている方たちのことです
この世であなたを守る神さま(こころ)はこれまでに何度もあなたのことを守ってくれています。そして支えてくれているのです。そのことに気づいて感謝の気持ちを伝えてください
そのためにあなたには行動することができる身体があり、言葉があるのです・・・
- こころの成長~気づくべきことの編
第四章 ものの考えかた~その2
前章からの続きです
【考えかた】
ひとは動物たちとの共存・共栄は当たり前のことであるのにいつの間にかひとは独自の社会をつくり傲慢となってしまいました
ひとが自然から学ぶことの大切さに気がつかなくなってしまったのです
【感じかた】
「在るがまま」とは因果に囚われるものではなくそのままの言葉でありただ「在るがまま」のそれだけです。それは植物の存在と同じです
植物はまさに生きるためだけとしてそこに「在るがまま」なのです。そして在るがままとは良い因果のことであり自然のこころに一番近い存在であるのです。自然はただ意志があるままの存在なのです
【ものの見かた】
ひとが生きる理由とはこころの成長のためにあなたにとって必要だからその事象が目の前で起きるということです
【ものの見かた、感じかた、考えかた】
見かたを変えることで感じかたが変わり、感じかたが変わることで考えかたが変わります
摂理とは植物や動物などの生きる理由について教えてくれています
この世でのひとの考えかたとは欲による損得の考えかたです
忘れてしまった自然からの学びに気づいてください
ひとが「どうだの」とか「こうだの」などは一切関係ありません
あなた自身が「どうなの」であるかということだけです
- こころの成長~気づくべきことの編
第三章 ものの考えかた~その1
家で一緒に暮らす猫や犬にとってあなたは食べ物を与えてくれる親のように認識をしています。そしてひとは猫や犬に愛情を注げばその分、猫や犬は愛情を返してくれるという良い因果の世界を教えてくれているのです
あなたの傍に動物がいるのならそれはあなたに教えを学ばせるためとして
あなたのそばにいるのです
それはひとも同じです
【感じかた】
ひと以外の生きものに因果がないのであれば、ひとの都合で食用とする牛や豚などにも「憎しみ」の因果はないのででしょうか
猫や犬は可愛いからとして特別なのでしょうか・・・
そうではありません・・・ひとが生み出した社会によってひとは傲慢となり自然とは別にひとの社会に取り込まれた動物たちを都合よく区別をしているだけです
【考えかた】
そもそもそれは動物の問題ではなくひとの因果の問題であるだけです。運の良い猫がいて、運の悪い食用の牛や豚がいるのではありません。ひとはいにしえより狩猟をして生き永らえてきています
ただ生きものに対して感謝をする気持ちがなくなってしまっているだけです
【見かた】
食用目的で飼育される生きものであっても本能において純粋な感情はあります。その動物たちのこころを傷つけて生まれたひとの因果はやがてクローンがつくられて本体のひとはただ生かされているだけの世界となるいうことです
クローンによってひともまた都合の良い存在となるのです
「する側とされる側」がただ在るだけなのです
ひとの社会は欲によってつくられていますが、ひとはすでにその欲のままに取り込まれてしまっているのです
- こころの成長~気づくべきことの編
第二章 感じかた・・・
こころとはすべての生命(いのち)に存在します
ひとつの感じかた・・・
【植物】
自然界では植物などの生命体はそれ自体がこころ(良い因果、本能)であるのです。それは摂理(自然の法則)に最も近いこころであるということです
生きてつなぐために在るだけなのです
【動物】
やがて動物が現れ動物は食物連鎖という生態系の秩序を生み出すとこころと本能は離れてゆき本能は脳にある機能の一部に取り込まれてゆくようになったのです
動物の脳とは本能として生態系の秩序を守る役割を担い、少しずつ良い因果であるこころに気がつくようになるのです
【ひと】
本能とは脳にある意識のことです。それは動物から進化したひともまた同じです。ただひとは本能である脳の領域は動物よりも広く大きいのです。そのため本能である脳もまたさまざまな考えをするようになり、やがて脳は本能である欲から強欲を生み出し意識するようになったのです
動物から進化をしたひとのこころとは慈愛に満ち溢れた良い因果そのものでした。ただひとの本能である脳は欲を意識するようになりその意識が強欲となりい因果が生まれたのです
【転生】
転生をするのは摂理を知らない意識(魂)がするものです、だからひとだけが転生をするのです。ほかの生きものは摂理のまま生きることに尽くしているために転生をする必要はないのです。そのことをひとに気づかせるために転生をしているだけです
摂理とは自然の法則のことを言います
こころとは良い因果のことです
そして良い因果とは慈愛に満ちた行動の連鎖です
- こころの成長~気づくべきことの編
第一章 言霊
言葉とはこころが成長するほどに行動と同じくらいに大切なときがあります。それは言葉でひとを助けることもできるということです
そして言葉とは行動のことでもあるのです。言葉とはあの世では言霊と云い意志のことです。あの世では当然に身体がなくこころしかないので言葉など発することなどできません。だからこころの意志そのものが言霊となるのです
言葉とはこの世で自然に生きるすべてのものたちに伝えるためにあるものです。それがたとえひとにはわからなくとも自然に生きるものには伝わります。その言葉とは「意志」であり「こころ」のことを云うのです
それはいまも昔も変りません。ただひとだけは段々とそのことを忘れているのです。欲に惑わされて本来の目的を見失っているのです。だからこそはじめにひとが気づかなければならないのです
そのことに気づかないものは、いまだに欲にまみれた考えや行動をしています。「ひとがどうとか、だれがなにをしている」かなど関係ありません。あなたが自然のままにあればそれでよいのです
いまいちど問いかけます。あなたが生きる理由とは何でしょうか
まずはそのことに気がつかなければなりません。自然にあるさまざまな意識には必然とした理由が在るのです
そしてひとにはかならず信念という「志」であるのです
ひとつのたとえです・・・
だれかにつぶされるのなら、その前に
多くの生命(いのち)を救います
もしだれかにつぶされたら、
今度は以前と違う方法で
生命(いのち)を救います
それでもしだれかに殺されたら、
次の世でまた生命(いのち)を
救います
伝えたいことは、ゆるぎない信念とともに生命(いのち)を救うということと同時にそれは「自らのこころを救うこと」であるのです
それがこころの成長を意味することなのです
そして「志」とはあなた自身のこころのことを言うのです
その言葉をあの世では「言霊」と言うのです
「志」の意志そのものがこころであるということです
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