- こころの成長~自然についての編
あとがき
登拝をしていると時折にそよ風や突風がとても心地よく感じることが多々あります。特に夏場での山登り途中の風はとにかく気持ちが良いものです。そんなときに自然に話しかけてみたり、自由に思うがままのひとりごとをよく言っています
だれかがそこにいるかのようにです。もちろん言葉での返事があるわけではありませんが代わりに草木が揺れる音が返事のように感じてその場の居心地はとても良いものです
わたしの山登り(登拝)はすべてひとりですが山に包まれているような感じがして怖いと思ったことはありません。もちろん朝方の3:00や4:00などの場合は真っ暗ですがそれでもあまり気にしません。昼間だとたまに熊とかでてきたらどうしようかなと考える時もありますが歩いているとすぐ忘れてしまいます
山登りも道があればその方向はわかりやすいのですが平坦な場所に出くわすとほとんど道ではなく広場のようで道を探すのに不安がよぎります
木に巻かれた赤や黄色、白いビニールテープがコースサインとしての指標にはなりますが違う方角のテープだったりもするので安易に頼りすぎるのもどうかと思います
ある時に晴れていてもわかりにくいただ広い場所で突然雨が降り霧で視界が数メートルくらいであった時はさすがに不安になりました。もともと登山家でもないのでその時はGPSなど持ち合わせておらずただ雨水の流れる方向にそって歩き何とか下山をすることができたこともありました。おかげで山登りも素人ながらいろいろと勉強させて頂きました
そして一昨年よりは必ずコンビニのゴミ袋を必ず携えて登りも下りもゴミがあれば必ず拾うようにしています。山のためにすこしでも役に立てればとの思いでゴミ拾いも兼ねて登拝しています。捨てるひとあらば拾うひとあり・・・それも道理です
もちろん、山を難なく登れるように道を作ってくれた先人のひとたちに感謝の気持ちを伝えながら歩いています。ほかにも野ざらしの祠や社などは枯れ木を祓いできるだけきれいにするように心がけています
カテゴリー: こころの成長~自然についての編
2022年3月1日~10日
自然についての編 (その9)
- こころの成長~自然についての編
第八章 それぞれの選択
あなたは自分の寿命を知りたいですか、それとも知らない方がよいですか
たとえば病気により余命を聞かされたときにだれもが嘆きます。それは若ければ若いほどその衝撃は計り知れません。これを自身に置き換えてみれば日々の生き方がいかに大切なことかがよくわかります
ただ事故や意図せずに巻き込まれた事件も含めてひとはいつ寿命が尽きるかわからないのにそれを自分のことには置き換えて考えたりせずに「大変だな」くらいにしか思わないのです。または自分だけは大丈夫という根拠のない意識がこころのどこかにありすべてが他人事なのです
そのくせひとだけが死に対する恐怖を覚えるのです。いやそうでなく、だからこそ死に怯えるのかもしれません。自然に生きる動植物のなかでひとだけが死の認識をするのです。そして認識をしながらもどこか他人事なのです・・・
もちろん若年齢のかたほどそのことに気が付かないのは当然です。そのことを教えるひともいなければ学ぶ機会もないのですから。こんなにもわかりやすく大切なことにだれも気付こうとしないのです
そして死に気づいたときは後悔ばかりをするのです。みなさまはこの繰り返しをどのように考えて受け入れることでしょうか。当たり前のことを知ろうとせずに欲のことばかりを考える毎日。もちろん欲のすべてを否定しませんがそんなことは後回しにしても何の問題もないはずです
明日に突然、寿命が尽きても後悔しない生きかたを今日してください。それに比べたらあなたがいま抱える問題などたいしたことではありません。たとえ正解が見つからずにずっと悩み苦しんでいてもあなたなりのあなたらしさの最善の答えなら必ずあるはずです。ひとが生きる社会では完璧な正解などありません。あなたが持つあなたらしさの最善の答えで進んでください
苦しみは苦しみではありません。悩みもまた悩みではありません。あなたがそう感じているだけです。そしてあなたの苦しみや悩みはほかのひとはなんとも感じていないのです
答えがみつからないから壁に当たると感じるのです。すぐそこに答えがあることに気がつかないのです
あなたのこころのずっと奥底にある答えはあなたにとっての正解です
その言葉を引き上げて、そしてその言葉を信じて日々を生きるようにしてください
自然についての編 (その8)
- こころの成長~自然についての編
第七章 向上心と不安
なんにでも向上心をもてば必ず壁にあたります。その壁が怖いから、その壁で悩みたくないからひとは向上することを止めてしまい、いまのままでよいとするのです
ただその壁と仲良くできるものとそうでないものとではそのこころの成長が著しく異なるものです。その仲良くとはなんでしょうか・・・
逆説的にいえば答えが見つからないから壁と感じてしまうのです。そしてその壁とはいわば自分で壁をつくっていると言ってもよいでしょう。もともとは自分でつくった壁であると理解して受け入れることができれば壁の原因がわかるようになるのです。それが仲良くなるといった意味なのです
また壁を越えるための答えは決してひとつではありません。技術的なことでも精神的なことでもありません。あなたらしさで必ず越えられるのです。そして仲良くできないものは自分でつくった壁を理解できずに困難であると認識をしてあきらめてしまうのです
いままで順調だった人生がたったひとつの出来事で以前の最悪な人生に戻ることがあります。なぜ依然が最悪だと感じたのか・・・でもその時になぜ以前の最悪な状態からいまは良くなったと感じているのか
そして最悪とした人生が何だったのか。あなたはわかっているはずです。だからたとえ落ちてしまってもまた最悪な状態からよい人生にすることは必ずできるということです
これは生活環境の話ではありません。あなたのこころのあり様の話しです。そうしてこれまで何度も輪廻をしてこころを成長させようとしてきているのです
時を刻む時計は同じ時間を円を描きながら数字を回り続けます。デジタルであっても同じ数字をただ繰り返すだけです。でもひとの人生はみな違います。みなそれぞれに~らしさが必ずあるのです
自然界で同じ時間を生きていてもひとだけがさまざまな生きかた、考えかたをすることができるのです。そしてひとだけが「明日は○○〇するんだ」と思えばその通りに行動をすることができるのです
それが自然に在る生命との違いです・・・
自然についての編 (その7)
- こころの成長~自然についての編
第六章 言葉とは
あなたはこころから信じられるひとがいるでしょうか
これはとても難しい問いのひとつです。こころから信じるとはどこまでを信じるのか、信じる相手との気持ちは一方通行で良いのかまたは両者とも同じ想いでなければならないのかなど・・・
または都合よく解釈をして愛を通じて信じられるひとがいるかどうか、お金を通じて信じられるひとがいるかどうか、友人として信じられるひとがいるかどうかなど細かく理由付けをするのです
では上記のように細かく理由付けをしたら「あなたが信じられるひと」はいるのでしょうか。もしくは更に細かく分類しなければならないのでしょうか
「信じる」と言う言葉にごまかされているのです
「信じる」とはどのようなことでしょうか・・・
このようにしてもともと「信じる」とは良い因果の世界での当たり前であった言葉を「悪い因果」の対義語として生み出された言葉であるから「信じる」という言葉を難しく考えてしまうのです。それほどまでにいまの世は傲慢なひとが中心の世界となってしまっているのです
「信じる」という言葉は良い因果の言葉でありもともとは当たり前のこととしてそのような言葉はありませんでした。ただひとが欲に溺れることでうそをついたり裏切る行為を重ねてひとのこころを傷つけるようになったからこそ希望の言葉として「信じる」という言葉が生まれただけです
このようなたとえはほかにもあります。例えばあの世に在るとされる「天国」と「地獄」などもそうです。ひとの因果によるいじめ、虐待、殺人などの行為そのものが「地獄」なのです。ただひとは常に希望を求めるために生まれた言葉が「天国」という言葉であるだけです
ほかにも「幸せと不幸せ」などもあります。これらのすべては「因果」から生まれた都合の良い言葉なのです
そして起きる出来事を「点」で考えるのではなく「線」で考えることができるならば冒頭の問いに対するみなさまの「~らしさ」によってそれぞれの答えが導かれることでしょう
わたしなりの答えは・・・
「ひとを信じることよりもあなたがひとから信じられるひとになってください。そうすれば自ずと答えが見つかるようになります。それは「信じる」という言葉がなくともそれが当たり前のような世界である」ということです
みなさまの答えはいかがでしょうか・・・
自然についての編 (その6)
- こころの成長~自然についての編
第五章 志の違い
「志」とはこころが成長するとともにその内容が変わることもあるでしょう。ほかのひとと同じようにではなくあなたがこころから発せられる言葉や気持ちによって現わしてください。
「志」はあなたの信念と言う言葉に置き換えても良いです。ひとそれぞれによって違いがあって構いません。そして「志」は神さまとあなたの約束事であるのです
そして「志」や「信念」は願いごとではありませんので誤解をしないでください。
「志」に正解も間違いもありません。ただ役割(行動)であるだけです
たとえ「志」に気づいてもはじめのころは不安になるときもあります
だれかの「志」と比較をしてしまい自らの「志」を疑い不安になっているということです
「志」とはひとの言動・行動に左右されるものではありません。どんなことがあっても変わらない意思の志強さが「志」であるのです。ひとがこうだとか、こうあるべきなどの定義など一切関係ありません。あなたの志を貫いてください
「志」とは他と比較をするものではありません。それぞれの「~らしさ」で尽くすことができればそれで良いのです。そして相手の「志」は尊重して受け入れなければなりません
どうしてもはじめのころは自分の志だけが唯一の正しいと思ってしまいます。他と比較をして傲慢とならないように気を付けてください。常に謙虚で相手を敬うことが大切です
前述にもありますが「志」は希望や願いごとではありません。あきらめるかそうでないのか、その意志を行動で貫くことが役割であるということだけです。そして「志」とは結果でもありません。結果を意識すれば必ず志はずれてゆくものです
また相手の「志」に疑問をもってもいけません。ひとそれぞれにあるこころのあり様でみな違うのです。だれもがあなたと同じ考えかたをしているのではありません。だからこそひとそれぞれに「~らしさ」があるのです
自然についての編 (その5)
- こころの成長~自然についての編
第四章 動植物からの教え~その2
動物や植物のこころとは本能そのものです。ひとはその本能から学ぶことが多くあり、ひとのここをを成長させるために必要なことです
ひとは動物から本能を学びその代わりに動物を幸せにするという共存関係があります。それが「良い因果」のひとつでもあります
ひとは動植物から多くの教えを学びますがそれでは動物側にとっての幸せとは何でしょうか。ひとと交流のある動物だけが幸せなのでしょうか。もちろんひとによる動物の虐待などが多々あることも事実です
動植物にも感情はあります。とくに長い期間でひとの手によって飼育されている動物はひとを家族のように思うので愛情を込めれば込めるほどに感情の感覚が強くなってゆくのです
自然の動植物に罪はありません。動植物はいまあるその環境で必死に生きているだけです
動物にとっての幸せとは本来、自然の中で本能のままに生きることが幸せなのです
われわれはすべての自然に生きる動植物と共存共栄するためにその自然を無くさないこともひとの役割でもあります。動物を含めたすべての生きものは本能のままに生きることが幸せ(=役割)なのです
それはひとも例外ではありません。そのためにひとは自然の一部であること理解して
その役割に尽くすことが大切なのです
自然についての編 (その4)
- こころの成長~自然についての編
第三章 動植物からの教え~その1
基本的にはひとの「こころ」はひと以外の器には宿りません。もともと「こころ」と言う概念はひとだけにあるものです。ひと以外の生命はこころとは本能そのものを云うのです
現在においてわれわれは自然から学ぶことばりです。それはその動植物から学ぶべきことがあるからこその必然なのです。動植物にあるこころ(本能)を学んでくださいということです
それなのにひとは動植物をひとの都合だけで扱うのです。例えば動物であればなぜこんなところで排泄をするのか、なぜ壁を傷つけるのか、植物であればきれいな花を良しとして雑草は排除する、それでもまた生えてくる・・・などさまざまにありますが動植物にとってはそれがごく普通に当たり前のことなのです
ひとは可愛いからと言って都合よく動物を飼っておいていざ自分の言うことを聞かなければ動物に感情をぶつけるなどありえないことです。植物であっても花だけが重宝され草には目もくれません
ひとは動植物のこころである本能を学ばなければならないのです。動植物がさまざまに生きているように、ひとも国ごとで考え方や生活習慣などさまざまに違うのと同じです
動植物のこころである本能を学ぶとはひとと違って動植物には悪しき「因果」はありません。そのために本能のままに生きる純粋さ、さまざまな生き物がそれぞれに~らしさで役割に尽くしていることなど多種多様に学ぶべき教えがあるということです
だから輪廻(やり直し)をするのはひとのこころだけです。前述したように自然以外の生命はすべてその役割に尽くしているので輪廻はありません。役割に気がついていないひとのこころだけに輪廻があるのです
命ある生命のすべてに役割があります。その役割とは生命にあるそれぞれの本能です
ただひとには本能以外にこころがあり、こころのままに尽くすことが役割であるのです。ただひとだけがその強欲・傲慢さゆえにこころ(自然)から離れて役割に気がつかなくなってしまったのです
こころである自然の役割に気がついてください
自然についての編 (その3)
- こころの成長~自然についての編
第二章 ひとのこころ~その2
ひとりが一人のひとを助けるのが基本ですが稀に自身のチカラを過信してより多くのひとを助けようと思いがちになります
あなたの信念である「ひとを助ける」ことについてひとりでも多くひとを助けたいという想いによるものですが結局はそれができずに、逆に混乱を招いてしまうことがあります。その想いは大切なのですが逆に多くのひとを困らせてしまうことになるので気を付けてください
その場合は迷うことなく他のひとに頼ってください。それもひとりではなく複数のひとにチカラを貸してもらうのです。その人数が多ければおおいほどに互いに協力をすれば必ず問題を解決することができます
このようにして志と傲慢さは紙一重なのです。自らの立ち位置と役割を決して見失わないでください。助ける相手はひとりだけでも十分です
命ある生命のすべてに役割があります。その役割とはそれぞれの本能でありその身体が役割を担うものです。動植物には環境に合わせてそれぞれの役割がありひとにはひとにしかできない役割があるのです
その役割とは自然の一部であるひとは自らが一生懸命に生きるのと同時に相手をも活かし(助ける)、更には未来に想いをつなげる行動をするということです。そして自然に生きるそれぞれに「~らしさ」をもって役割に尽くすということです。それが良い因果のことであるのです
そして輪廻をするのはひとのこころだけです。ひと以外にある自然の生命のすべては自らがその役割に尽くしているので輪廻はありません。ひとだけが因果を生み自然の役割に気づかなくなったために輪廻(やり直し)があるのです
輪廻をするこころの役割とは悪い因果を減らし良い因果をとり戻すことにあります。だからこそこころの成長が必要なのです
もともとひとにあるこころはひとつでした。それは動植物にある本能のそれと同じでひとの場合はそれを「良い因果」とした「こころ」であったのです
でもひとは強欲を生み出した結果、その良い因果であるこころに気がつかなくってしまったのです
こころとは自然そのものであるということです
自然についての編 (その2)
- こころの成長~自然についての編
第一章 ひとのこころ~その1
われわれはかつてのように互いに協力し合って生まれる笑顔で幸せに溢れる世界であったころのひとのあり様に戻らなければなりません。その意識とはわれわれは自然の一部であり自然のままに生きることが役割であったことに気づくことです
その頃は行動が先にあって、行動そのものが言葉でした。かつてひとは役割のままに行動をしていました。それはまず先に行動(素のままに)があって、その結果に言葉(真実)があって、最後はその言葉に対して互いに協力して生まれる笑顔で幸せになること(希望)が自然の一部であるひとの役割としていたのです
でもいまではひと(欲)があって言葉(嘘)があって、最後に行動(偽り)があるのです。この流れはどこにも自然との関わりはありません。いつの間にかひとが中心の世界であるかのようにひとは傲慢になってしまっているのです
すべての生きものはこれまで進化の過程で自然の中で多様な困難に出会っているからこそいまがあるのです。われわれが忘れかけているひとは自然の一部であることに意識を向けて戻らなければなりません
以前にどちらかの判断をするために選択に迷ったら楽しい(たのしい)ほうを選んでくださいと伝えていますが、こころの成長のためにさらに次のステップとしてその選ぶ判断基準を自分にとって大変なほうを選んでください。そしてその大変なことさえも楽しいと感じるようにことを成してください
ひとつの例えですが大変な思いをして山頂に上り詰めたときの頂から眺める景色は最高です。その繰り返しがひとのこころを成長させるのです
「少しは息抜きをして楽になろうか」という言葉をみなさん聞いたことがあるかと思います。これは「気分転換」の意味として使われています。その楽とは楽しくすることといった意味であるのです
だから息抜きは大切であるとするのです。楽をすることの言葉の意味を大切にしてください。もちろん手抜きをして楽をすることはいけません
そんなことはすでに気がついていますよね・・・
自然についての編 (その1)
- こころの成長~自然についての編
まえがき
わたしは登拝をするようになってから自然に接する機会が多くなり、その自然からさまざまなことを学ぶようになりました
ひとの世で生きていると摂理について気がつかないことがたくさんにあります
ひとは自然の一部であるのにその摂理から離れて独自の秩序をつくり社会を形成してきました。そしてこの世はひとが中心であるかのように傲慢となっているのです
ひとがあって自然があるのではありません。地球があって自然があってひとが在るのですこの当たり前のことさえ気がつかないのです
ひとの進化とは自然がなければあり得ません
逆に言えばひとの進化とは自然と共生をして成してゆくものなのです
これは地球創生からの歴史を振り返れば当たり前のことです
どんなに科学を発達させようが自然の大災害が起きれば一瞬で無くなります
その時に科学の進化でひとは生き残れるのでしょうか
これまでもひとは進化の過程でその選択肢はいくつもありましたがそのときには常に自然との共生のなかでひとの進化は最善の方向性を決めて歩んできているのです
ただそうして養われてきた進化のひとつである脳や遺伝子の解明をひとはいまだにできておりません
そのことすらできていないのに自然から離れたひとはこの先どうなるのでしょうか。
ただ言えることはひとが欲に溺れ、自然と共生をしない限りは自業自得のように自らを滅ぼすことにつながるでしょう
これまでの歴史に名が残るひとたちはそのことを伝えてくれているのにわれわれは誰も気がつかなくなってしまっているのです
今回のテーマは自然について・・・
それでは本編をご覧ください
目次
まえがき
第一章 ひとのこころ~その1
第二章 ひとのこころ~その2
第三章 動植物からの教え~その1
第四章 動植物からの教え~その2
第五章 志の違い
第六章 言葉
第七章 向上心と不安
第八章 こころの選択
あとがき
以上