- こころの成長~志の世界の編
あとがき
街を歩いていていろいろなひとを見るとさまざまな光景が目に映ります。その情景を見ているとさまざまに自分のこれまでの姿と重なる場面がたくさんに思い出します。そして出会ったひとたちは全員がわたしのこころを成長させてくれたひとたちであることに気がつきます
わたしの傲慢さを伝えくれたひとや、そしてわたしの因果を教えてくれたひとたちなどたくさんにいます。そして常に相手のひとはあなたとは同じでないということ。こころのあり様はさまざまにあるということです
つまり自分の感覚で相手に話しをしても通じないことが必ずあるということです。また相手にとってはさして重要ではなくそれはただの自分自身の自己満足にすぎないことであったりと気づかされたりするものです
自分にとっての正解は相手にとって環境や立場、考え方の違いなどで必ずしも正解ではないこと。それはひとがみな自由であってよいことだとも学びました。そしてひとはこころの成長のためにいろいろなひとと出会い、学ぶことであるのだと教わりました
ひとの人生とはすべてがこころの成長であるのです
目的はみなが一緒であってもこころのあり様次第で至る過程はみなそれぞれに違うのです。それなのにこの社会は決まった定規で同じように計ったり、もし定規ではかれなければ計れるように型にはめてひとのこころを思い通りにしようとするのです
目的が一緒であればその過程も同じでなければならないと勝手に決めつけてしまうのです。相手の問題はその相手が自身で気づき自身で解決をしなければならないことです。もちろん手を差し伸べてあげることは大切ですが最期は自分で気が付かなければならないのです
だからこそ相手には相手の事情があるのです。あなたとは一緒ではないことを十分に理解しなければならず、相手を受け入れてあげなければならないのです。ひとのこころのあり様はさまざまに違うということです
そして自らの「志」を掲げ役割に気づいているひとはたとえ目的が同じでも相手が自分とは真逆の考えのひとであっってもそうした役割もあるものだと受け入れるのです。それがそのひとにしかできない役割なのです。それは正しいか間違いかではないのです。それぞれが「~らしさ」でありそれぞれのこころの成長であるということです
カテゴリー: こころの成長~志の世界の編
2022年4月1日~10日
志の世界の編 (その9)
- こころの成長~志の世界の編
第八章 まだ見ぬ「志」の世界
あなたがいま生きていることはただの点でありただ「そこに在る」だけです。偶然ではなくあなたに必要なことがただ起きるだけです。あなたがいま見た光景は理由があっての必然であるのです
あなたがいま見ている光景は何年後かにはまた違った光景となっているのでしょうか
それともいまと同じのままでしょうか
たとえ理由があっての必然を理解したところでこの先の状況が大きく変わりその先の必然とはいまと比べものにならないくらいのこころが成長したこととなっているのかもしれません
実はこの理由があっての必然とはこころが成長している一連の過程でしかないのです
そしてその過程のひとつひとつが通過点ありそれをなんども積み重ねてこころは成長するのです
きっとこの点のつながりの先に線となった「志」があるのでしょう。たとえ「志」を掲げてもまだ見ぬ世界です。でもまだ見ぬ世界だからいろいろに想像をしてこころを掻き立てられるのです
きっと上っても登ってもたどり着けない場所にあるのでしょう。ただ登っているある時に下を振り向くと自分がどれだけ高くに登ってきたのかがよくわかります。でも見上げてもまだまだその先は見えません。こころの成長とは、人生とはそんなものです
あなたはたくさんの寄り道をしてきています。でもその寄り道があったからこそいまが在るのです。その寄り道さえも導きの通過点のひとつです。そしてもしかしたらこの先もまた寄り道をするのかもしれません
それに寄り道がなければそもそも山を登っていなかったかもしれません。「志」の世界など見たいと思わなかったかもしれません
ただひたすらに上っているこの行動は決して無駄ではありません。「志」がどんな世界なのかを見るために昇り続けているのです
いつ見ることができるのでしょうか。でもきっとこの山を登る行動は果てしなく続くものでしょう。なぜならわれわれが見たいその「志」の世界はその山に昇ろうとしたときにすでに見ていた光景なのです
それを確かめるためにわれわれはいまを生きているのです
志の世界の編 (その8)
- こころの成長~志の世界の編
第七章 わがまま
相手のわがままはできるだけたくさん聞いてあげてください。あなたはいずれひとや動植物を守る役割を必ず担います。その時の準備だと思ってください。もちろん相手のわがままをすべて叶えてあげるということではなく聞いてあげることが大切なのです
わがままとは自分勝手な意味として広くその言葉が使われていますが、それはわれのまま、そのひとのままということです。そしてそれは何よりも大切な「そのひとらしさ」でもあるということです
わがままの行為とは相手が感じてこその言葉です。おとなになってのわがままとはたとえば、小さなコミュニティ内や、会社の組織やチームであったり、友人同士のグループであったりと大抵はそれが不快と思われることがわがままといったりします。
でもわがままとはただの甘えです。自身を認めてもらいたいがための自己主張であるだけです
もちろんだれしも大なり小なりのわがままは持っています。でもそのわがままはあなたらしさのひとつでもあるのです。わがままのほとんどは欲の感情ですが稀に欲とはかけ離れたわがままがあったりします
生きものだけは虫であっても殺さないとか、困ったひとはとにかく助けてあげたいとか・・・そのわがまま自体がすでに「志」でもあるということです。本人は気づいていませんが無意識の内に感じる意識からくる行動があなたの「志」につながっているのです
そして「志」とは自然との共通部分が数多くあるのです
ひとは遥か以前では自然と同じく当たり前のように感じていたことがいつのまにかひとは傲慢になって自然の想いを忘れかけています。そんなひとが中心であるとしたこの世界でも自然だけは制御することはできません。だからこそ自然とはひとにとって不条理であると感じるのです
でもよく考えてみてください。自然が不条理なのではなく変わってしまったひとであるわれわれがただ不条理なだけなのです
自然はただ当たり前にそこに在るだけです・・・
志の世界の編 (その7)
- こころの成長~志の世界の編
第六章 こころの隙間
こころの世界とは精神世界のことです。もしあなたがこころの存在に気づいているのであればさまざまな理解をすることができるでしょう。そしてこころとはひとの身体に宿るということなのです
もう少し具体的に伝えるとこころがある精神世界とはひとが存在しているこの現実から身体だけを取り除いたイメージがこころだけの世界です。そしてこの現実と精神世界はひとつでありつながっているということです
ひとは身体があり脳における意識があると同時にこころにも意識があります。いわゆる感情と理性ということです。そのふたつの意識の葛藤については以前もお伝えをした通りです。またひとは死後に他界したと言われますがもちろんそれは精神世界に移ったという意味を指すものです
ひとのこころ(精神)とは弱いものです。常にゆらゆらと揺れ動きます
こころが未熟であるとこの世での未練が抜ききれずひとの死後、精神世界においてこころ(魂)が妖(あやかし)の姿として具現化されて現れます。ひとが生前に意識をして勝手に想像をしているだけの姿なのですが・・・
妖(あやかし)とはひとのこころ(魂)が感情のままに変化して自然に生きるものの所々の部分を合成させた想像した姿です。もちろん動植物の本体とは無関係です。こころ(魂)がこの世に未練を残して意識をした姿・形であるだけです
ただ普通の妖(あやかし)のこころ(魂)は未熟であるため切ないものです。たったひとつの儚い希望のためにただ生き続けるのです。ただその気持ちも純粋なだけなのです。過去にひととしてこころに大きな傷を背負いその感情から抜け出せなくなったこころがそうなるのです。だから妖(あやかし)はひとの影に映るのです。感情が詰まった想い出の中で生きることができないのです
もちろん妖(あやかし)もひとに災いを与えるものがおりますが妖は単体では純粋な感情に忠実でただひとに理解をしてほしいだけのこころ(魂)であるということです
もちろん憎悪に満ちた妖(あやかし)も数多におります。この世に未練を残したこころ(魂)は自らには身体がないためにひとの身体にあるこころ(魂)の隙間に入り込んであなたの身体を支配しようとしているのです
もし日々の体調に違和感を感じるようでしたらお風呂にお塩を一掴み入れて身体を浄化させてください
志の世界の編 (その6)
- こころの成長~志の世界の編
第五章 問題の本質
たった一度のすれ違いがそれまでとても仲が良かったふたりのこころが離れ離れになってしまうことがあります。それ以降はことあるごとに対立をして互いの主張を通すようになったり、または二度と会わなくなることもあるでしょう。ただそうなった原因は一度のすれ違いだけではなくどちらかが以前から不満があったのです
上記のような例だけではなくすべてにおいて人間関係で問題が起きた時はあなた自身が原因であることと自覚をしてください。そしてその相手のひとは鏡に映るあなた自身のことであるということなのです
鏡をみて自分の顔をよく見てください・・・どんな表情をしてるでしょうか・・・
きっと負けん気の強い傲慢な顔が映っていることでしょう。実はあなたが対立する相手とはあなた自身であることに気がついてほしいのです
感情的になり仲互いしてしまったことはあなたの因果なのです。相手の傲慢さが問題ではなくそれと等しいあなたの傲慢さが原因であるということです
あなた自身がただ自分にこだわっているだけです。何をこだわっているのでしょうか、プライドでしょうか、相手と比較をした自らの優越感を感じなくなったからでしょうか。その感じかたは仲が良かったときからそのような感情はずっとあったのです
どちらかがひと言「ごめんなさい」と相手に伝えればそれでよいのですが・・・
あなたがそんなにも意地を通すのはきっとその相手のひとだけではないでしょう
すべてはあなたのこころのあり様が問題であるのです
「やさしさや思いやりであったりと自然にあるこころを理解しなさい」と
教えてくれているのです
因果とはあなたにとって必要なことが事象として起きることを言います。前述の事例において仲直りをすることが大切なのではなくこころの成長のためにお互いが自身の因果に気づいてこころ改めることがなによりも大切であるということなのです
すべてにおいて起きる問題の本質は相手のひとではなくてあなた自身が問題であると自覚をしてください
志の世界の編 (その5)
- こころの成長~志の世界の編
第四章 考えかた・・・
ひとのこころの形とは・・・
こころとは意志であり意識です。あの世(常世)にあるのは「意識」だけです
常世ではこころとだれかのこころの会話などもありません
自分で意識している質問を自分で応えているだけなのです
すべてはただあなたが想像をして意識しているだけの世界です
こころ(意識)のあり様がすべてということです
こころの成長を別の伝え方をしているのが「悟り」というものなのです
こころの成長についてこの世から気づいていればひとの死後にこころが身体から離れて向かう先の世界が「これがあの世か・・・」と感じるものです
ただ感じかたはさきほど伝えたようにこころのあり様でさまざまに違います
それゆえにこの世で「こころを成長させてください」としているのです
この世は物質世界です。でもあの世にあるこころとは精神世界にあるものです
この世を経験しているからあの世である精神世界をイメージしようとしているだけです
だからひとのこころの形とは・・・と云う問いとなるのです
すべてはこころのあり様で在るがままです
こころ(魂)とは何か・・・については今後お伝えをしてゆきます
こころのあり様もさまざまです・・・
それは憎悪に支配されたこころであったり
いまだにどうしたらよいのかわからずにただ迷っているこころ
悲しみを背負い続けるこころであったりとさまざまにあるのです
この世でいろいろなひとが存在しているのとまったく同じです
あるひとはあの世が本来の在るべき世界でこの世が想像の世界であるとした考えのかたもいらっしゃるなどさまざまに在るのです・・・
大切なことは「いま在るべき姿は事実として受け入れて」その先の考えかたはさまざまな楽しみとして、いまを生きることであるのです
志の世界の編 (その4)
- こころの成長~志の世界の編
第三章 孤独
突然の風を意識して感じるときがあります。身体を通り抜けていくときもあれば身体に残っているときもあります。意識をして感じたとき・・・それはだれかがそばにいて話しかけてくれているような心地よい感じです
たとえ風の言葉はわからずともやさしくおだやかに自然に触れているときに感じるものです。このようにしてひとは決してひとりでは在りません。かならず自然が傍にいてくれます
「自然に・・・」ではなくひとの無理をした強がりとは自身の弱さを隠すものです。でもそれはただひとりが淋しいだけなのです。ただだれかと話がしたいだけなのです。もっとわかりやすくはただかまってほしいだけなのです
でもひとりが長すぎるとどうやってひとと接すればよいのかわからずにただ自分を知ってほしいだけなのに我を通そうとしてしまうのです
そして気づけばまた・・・だれも寄ってこなくなるのです。その繰り返しです。自分はこれだけ尽くしているのになぜ気づいてくれないのかと思うようになり、そしてまたひとりになっては自分と共有してくれるひとを探すのです
やがてひとを信じることができなくなり、それならひとりでいるほうが一番都合良いと思うようになるのです
なぜそのひとの周りにひとはいないのか・・・結局それは自分だけしか考えていないのです
孤独に慣れてしまうと別に淋しいと思ったことはないがある時に他のひとが楽しそうに笑っている光景を見ると無性に自身が孤独であることを感じてしまうのです。でもその孤独を乗り越えるたびにそのひとの我はさら強くなってしまうのです
もともとはとても繊細で気遣いのあるとてもやさしく良いひとでしたがなにかのきっかけでひとが信じられなくなりその結果は承認欲(強欲のひとつ)に囚われてからは自身の強がりを押し通して、ひとりが淋しいから相手にも自分の世界を共有しようとするのです
ただ自分を認めてほしいだけなのです。自分の存在を認めてもらいたいだけなのです。でもなぜみなはわかってくれないのかとどんどんと孤独が強くなってしまうのです
そして気づかないうちに自分(こころ)からも離れてしまっているのです
志の世界の編 (その3)
- こころの成長~志の世界の編
第二章 感情のコントロール
われわれはひとと同じことをしてそのひとたちと同じようにして比較をされて育ちますが本来ひとが持つ使命とは「~らしさ」でさまざまにあるのです。「~らしさ」によってやさしさ、いたわり、笑顔、献身をするのです
われわれはひとと同じことだけをするのではなく「~らしさ」をもっと磨いてゆかなければなりません
「~らしさ」とはひとそれぞれが身につけているものです。「~らしさ」を無理に考えてしまうとひとは集中すればするほどに物事を点でしか考えられなくなり、目先のことしか見えなくなるものです
そうではなくものごとは全体像である線で捉えるようにすることで思考に余裕が生まれるのです。感情の余裕は身体の緊張を和らげて脳を安心させるのです
自然に・・・ということです
すべては線でつながっています。その始まりから終わりを想像してみてください
また違った景色が見えてくるものです
これは日常においても意識することで常態化できるようになります
一番簡単な考えかたは、あなたがいま在るのはご先祖さまからの身体のつながりによるものです。だからそのつながるひとたちに感謝をするのです
これは当たり前なのですがなかなか常に意識することまではできませんが試してみてください。朝起きた時、夜寝るときなどにあなたとつながるひとたちに感謝の言葉を伝えてみてください
毎日の日常生活に取り入れてみると楽しくなります
それは決してひとりではないと感じるようになるからです
ひとは感情によって生きています。でもそれを上手にコントロールすることができないのです。上記にあることばたちはそのための行動のひとつです
自分のことだけで考えるから感情のコントロールを簡単に思い通りにしようとしてしまうのです
そうではなくまずはじめには「だれかのために・・・」とつながりのあるひとたちへ感謝の気持ちを伝えてみてください
ひとためにと考えることであなたはいつも楽しく考えられるようになるのです
あなたの想いはかならず相手に伝わっています
そしてとても喜んでくれているのです・・・
志の世界の編 (その2)
- こころの成長~志の世界の編
第一章 ひとの価値
ほんの些細なことがひとを幸せにします。例えば飲み物の紙コップに手書きで「笑顔の顔マーク」を書いたりして飲み物に付加価値をつけるのです。それだけでも楽しくなりますよね。ほかにも母親が子供に好き嫌いを無くすために嫌いなニンジンをお花の形にしたり、ウインナーをたこさんの形にして興味をそそる方法はみなさまご存じでしょう。食事を楽しくすることはとても大切なことです
ひとを楽しませることはほんの些細なことでできるのです。場の空気が張り詰めている時や、落ち込むような状況では気持ちをリセットするにはとても大事なことです
ただひとによってはこのようなことが嫌いなひともいます。一度くらい怒られたり無視されたりしてもあなたの工夫はあきらめずに続けてみてください。何のために続けるのかと言われてもただひとの笑顔を見たいから・・・ただそれだけです
笑顔に囲まれた環境はとても心地が良いのです。ひとの感情だけに囲まれた環境だけではなく自然や動植物などすべてに囲まれた環境はひとをとても穏やかにしてくれます。部屋に観葉植物を飾るのもそのひとつですよね
大人が子供に絵本を読んであげるのは想像力を働かせたり、喜怒哀楽の表現を教えるためにとても大切なことです。こどもは絵本のなかに出てくる生きものたちに囲まれているがとても楽しいのです。こどもがなぜみなから好かれるのでしょうか。それは無邪気で純粋で穢れなきこころの持ち主だからです
そしてなにより笑顔は万病に効く薬です。病は気からというのは笑顔の気を絶やさなければ決して病気にはなりません。幸せとは言葉ですが笑顔とは行動です。幸せと感じることは気持ちが満たされている状態のことをいいますが、それを行動で現わした笑顔は言葉よりも大切なことなのです
わたしの「志」である「すべての生きとしいけるものが幸せに満ち溢れて世界となること」それは「幸せを感じる笑顔で満ち溢れた世界にすること」です。それはする側もされる側も、さらにはそれを見ている生き物たちすべてが笑顔になれるのです。これは「~らしさ」を超えたすべてのひとに共通した答えのひとつです
志の世界の編 (その1)
- こころの成長~志の世界の編
まえがき
志の世界を意識しているひとはどれくらいいるのでしょうか。それはこころが成長する過程のひとつです
こころが成長する過程にも寄り道は必要です。寄り道をするからこそにその成長が加速する場合もあります。こころの成長に規則などはありません。だれがどんな過程でこころを成長させているのかなどひとそれぞれにあるのです
寄り道をすることで視野を広くすることもあるでしょう。それに寄り道はあなたにとって必要なのかもしれません。前述の通りこころの成長はそれぞれのひとに対して方法・手段はさまざまにあります。それぞれに適した経験で学んでゆくものです
学ぶとは意識をして気がつかないと意味がありません。こころの成長という言葉ではわかりづらいのであれば「ひとの成長」という言葉を意識してみるのもよいでしょう
すこしだけ寄り道をしてあなたが学んだ以外の限りない方法・手段をさまざまに気づくことはとても大切です。たとえ途中であっても辿り着く道をたくさんに知ることは必ずあなたのこころの成長にもつながるものです
ひとが生まれてくるときにみな平等であるのはひとがみなそれぞれにこの世でこころが最も成長する環境で生まれてくるからです
裕福であるとかそうでないとか、幸せな環境であるのかどうかなどはまったく関係ありません。あの世でのあなたのこころのあり様次第によってこころはこの世でもっとも成長するために必要な環境で生まれてくるだけです
それでもほとんどのひとがそのことに気が付かないのです。欲にまみれたこの世界がこころの成長を邪魔するのです。だからこそこころの成長に価値があることなのかもしれません
こころの成長とは摂理(自然の法則)を知ることです。そのことに気が付かない限りこころの成長にはつながりません。摂理(自然の法則)を知ることはわたしがこれまで書き記している原点です。われわれが欲にまみれながらもこの世で生きる理由がそこにあるのです
目次
まえがき
第一章 ひとの価値
第二章 感情のコントロール
第三章 孤独
第四章 考えかた・・・
第五章 問題の本質
第六章 こころの隙間
第七章 わがまま
第八章 まだ見ぬ「志」の世界
あとがき
以上