- こころの成長~役割ある世界の編
あとがき
ひとが生きることは苦労ばかりではありません。あなたの考えかたでそのように感じているだけです。そして考えかた次第でその苦労は楽しいに変えることもできるのです。以前からのテーマである「ものの見かた、感じかた、考えかた」は自分を変えて新たなる出会いにつながる意識のことを云うのです
その出会いに気づくことが大切なのです。あなたにとって必要だからこその出会いです。その理由を考えてみることが大事なのです。もちろんひととの出会いだけでなくさまざまな生き物との出会いや自然との出会いもあなたにとって必要であることと意識してみてください
わたしはこどものころの自分に出会うことがたまにあります。友達としょっちゅう外で遊んでいたことや、カブト虫を捕まえに朝方によく山へ行ったものです
いま思えば日の出前の4時とか5時の真っ暗な山であったのに暗くて怖いなどとは全然思いませんでした。ただカブトムシを捕まえたい一心です。いま思えば登拝するなどの目的は違えど真っ暗な山を歩くのはその時と同じであったのです
ひとが怖いと思うのはこころに隙があると余計なことを考えるから怖くなったりするのです。いまも昔も真っ暗な山を登れるのは夢中になれるものがあったからこそ余計なことを考えずに登ることができているのです
過去を思い出すことも自らの役割を見出すきっかけであることがよくあります。それはあなただけの想い出です。写真を見ながらでも、記憶を辿りながらでも振り返ってみてください。「ものの見かた、感じかた、考えかた」の意識を変えてあなたのこどもの頃からの記憶を思い出してみてください
わたしがこれまで書き綴ることができているのもひとに伝ええることを役割として生かされているのだと思っているからです。これまで何度も生命の危険に遭いましたが、その度に生き永らえて来られたのはきっとこの役割に尽くすことなのでしょう
まだまだ伝えたいことがたくさんあります。それはいま生きているからこそわたしの役割としてするべきこと、できることをしてゆきます
カテゴリー: こころの成長~役割のある世界の編
2022年5月1日~10日
役割のある世界の編 (その9)
- こころの成長~役割ある世界の編
第八章 すべておなじ
道理(ひとの道)と摂理(自然の法則)
道理とは摂理のことでもありますが、時は流れてひとの道理は欲にまみれ因果(悪い)へと変わり摂理から離れてしまいました。少し言葉を変えるならわれわれは自然からの教えを忘れてしまっているのです
また良い因果とはこころそのものでしたが強欲による悪い因果が生まれてしまったためにこころから離れてしまったのです
この良い因果である「こころ」や悪い因果である「強欲」、道理である「摂理」という言葉はこれまでのわたしの書で伝えてきた通りです
さまざまなひととの出会いがあなたの「志」の世界を少しずつつくってゆきます。その出会いとはひとだけにあらずあなたが目にするもの、感じるものすべてです。そうしてひとは学び成長してゆくのです
あなたの時間と相手の時間は違います。こころのあり様もさまざまに違うのです。あの世である精神世界をあえて時間で例えるのならそれがこころの成長であることは伝えた通りです
たとえばひとの手のひらに落ちた雪は一瞬で消えますが、周りの雪は積もっています。その雪は冬が終わり春がやって来ると消えてなくなり代わりに自然には新しい息吹が芽生えます。大地は一面、生命に満ち溢れます
一時の雪であるのか、生命を次につなげる雪であるのかなど同じ雪でもさまざまな意識のあり様はまるで違うのです。手のひらで一瞬に消える雪も自然に残る生命を育む雪もさまざまに感じかた、考えかたがあるということです。現在はではそんな当たり前のことが当たり前に感じなくなっているのです
時間をかけて溶けた雪のあとにはやがて辺り一面はこれから成長するこころたちで埋め尽くされるということ・・・それが摂理たる自然の教えです
自然に生きるものたちのはじまりから終わりまでを意識してください
すべてに理由があり必然に起きているのが自然です
われわれは自然から学び、自然に守られていることを忘れないでください
役割のある世界の編 (その8)
- こころの成長~役割ある世界の編
第七章 この世に在るべきでない魂(その2)
ひとは妖(あやかし)に対して能力も霊力も知識もないのに安易に感情を同調することがあってはなりません。特にあなた自身のこころとリンクするようなことになれば必ずあなたの「魂」を取り込まれてしまうでしょう
邪悪なこころはしたたかにひとのこころの弱い部分につけ込んで支配しようとするのです
そして安易に助けてあげようとしたり、浄化しようとするなどはもってのほかです。一切に無視をして気にしないようにしてください。そのために祝詞やご真言があるのです。いざというときに使えるようにいくつか憶えておくとよいでしょう。調べてみて自分にしっくりする言葉を覚えるようにしてください
われわれが恐いと思うことはこころにある意識が乱されるということです。所詮は幻想であるのにそのことに気がつかずこれまでに見たことのない姿、形やそれまで感じたことのない怒りや憎悪などを想像して怯えてしまうのです
あの世である意識だけの世界においてはこの世での身体があった頃の恐怖という感情を引きづっているだけで実体のない「魂」に抱く感情は何の意味もないのです
それなのにこころだけになったあの世でも、この世での欲にまみれた世界で生きた感情に執着をして未練を残し、あの世でも幻想をつくりだそうとするのです。魂がつくり出した幻想である姿・形をあなたが勝手に想像をしているだけです。こうして長い年月をかけて「魂」が妖(あやかし)となってゆくのです
大切なことは強い意志のことであり、信念・「志」のことです。その強い意志があるかぎり恐れを抱くことは絶対にありません。だからこそこころとは「志」そのものであるということなのです
役割のある世界の編 (その7)
- こころの成長~役割ある世界の編
第六章 この世に在るべきでない魂(その1)
「こころ」と「魂」はその意味が違うものです。こころとはこころの成長を意識しているもので「魂」とはただ感情のままに在る意識のことを云います
前章で妖(あやかし)のことに少し触れたのでもう少し細かくお伝えいたします。妖(あやかし)は「魂」のことと伝えています。こころの成長を理解できないままに在るのが「魂」です
こころや「魂」に姿、形はありません。ただ妖(あやかし)は感情のままのあり様によってさまざまなイメージの姿を具現化しているのです。そして欲に囚われて感情のままに身体から離れた「魂」は本来この世に在るべきでないのです
いわゆる低級霊と分類される「魂」です。もちろんその具現化した姿が見えるのは同じ「魂」のあり様ですがあくまでもイメージをしているだけです
つぎにもう少し強い怨念のような感情を持つ妖(あやかし)がいてそれは中級の部類に入るものです。この世に在るべきでない「魂」はさらに念の強い念が強い分、ひとの言葉をなかなか聞き入れません。「魂」は感情のままに在る強欲そのものであるからです
そしてほかの魂を喰らうことで自らのチカラを強くします。喰らうとは取り込む、支配するといったことです
「こころ」と「魂」との違いは単純にこの世で「こころの成長」に気づいているか否かの違いです。ただそのことに気がつかないままにこの世で何百年もすさんだその「魂」が感情を持ち続けるとやがて「魂」はその念を具現化できるようになるのです
それが妖(あやかし)と呼ばれるものたちです
ただ具現化するといってもその「魂」の感情をそのままに想像しているだけです。そして見えるとする側も相手の感情(魂)を想像しているに過ぎないのです
本来は精神世界存在する「魂」のあり様であることに変りはありません
役割のある世界の編 (その6)
- こころの成長~役割ある世界の編
第五章 こころの役割
ひとはそれぞれに役割があります。もちろんあの世でもこころには役割があります。その役割がなんなのかはこころの成長のあり様次第でそれぞれに違います
この世ではその役割について意識的に気づいているひともいれば無意識に行動をしているひともいます
そして役割とはひと(こころ)だけにあらず、自然もまた意志のある役割なのです。ひいては地球も、そして宇宙もまた役割のある意志を持った存在であるのです。宇宙まで話が飛躍すると少し難しいですよね。でも役割が違うだけで「成長」という本質は何も変わりません。ここではその言葉だけに留めておきます
こころとはこころの成長を意識している意志であり、こころに気づいていないものは「魂」という伝えかたをしています。逆にこころとは言わずに「魂」で統一しているかたもおられます・・・
あの世とはこころ(魂)があるだけの精神世界のことを言います。ひとであれば必ずこころ(魂)があります。この世(現世:物質世界)もあの世(常世:精神世界)もこころを成長させるという意識が在るだけです。ただこころよりも未熟な「魂」はどうしても環境に左右されてしまうのです
「こころのあり様」とはよく伝えていますが、こころの成長の目的は自然を知り摂理のままに生きることです。言葉で伝えることは簡単ですがその摂理のためとしたあなたの役割がわからずにこの世を終えてしまうことはよくあります
そして「魂」はあの世でも「魂」を成長させて「こころ」の意識に気づくまで学ぶのです
もう一度伝えます。「魂」とはこころの成長に気づいていない意識のことを云うのです
ただこころのあり様もさまざまにあります。あの世では欲にまみれた不浄のままの「魂」はこころに気がつかずひたすらにその欲を満たすために彷徨い続けるのです
妖(あやかし)は「魂」のことでありそのあり様次第でさまざまな姿となってひとを不安にさせるのです
そしてこころとはひとの「理性」のことを云います
感情のままではひとの道理を理解できずに自身の役割は見つかりません
役割とは因果を知り、因果を受け入れたその先に在るものです
役割のある世界の編 (その5)
- こころの成長~役割ある世界の編
第四章 感情を並べてみた世界
あなたの目の前に現れるひとは鏡に映るあなた自身です。それはこころの成長のためにあなたの目の前に現れているのです。ただそれを理解することはとても難しいことでしょう
それはあなたの苦手なひと、嫌なことであればあるほど決して受け入れることができずに無意識に拒絶するからです。ましてはその嫌な相手が自分の鏡などと・・・
でもあなたが苦手としているひと、嫌だとするひとの何が苦手であり、嫌なことなのでしょうか。相手の言動や行動はあなた自身がほかのひとにしていることと同じです。あなたが嫌だと思うことをあなたはほかのひとにしているのです。そのことに気がついてください
客観的にあなたの性格と苦手なひとの感情を並べてみてください。素直になって見比べてみてください。実はそんなに変わることはないのです
ただそれは自身の立場からの教えであって相手のひとにとってみればあなたと出会ったことで同じように嫌がられているのです。そして相手もあなたと同じように学ぶべき何かがあるということです
でも必ずしもその出会いが教えであることに気づくものではありません。そもそもあなたの苦手なひとが学びであるなどと考えることもないでしょう
ただこころが成長すればあなたの目の前に現れるひとも変わります。それまでの苦手なひとや嫌なひとたちはあなたのこころが成長すれば、当分の間はあなたの前には現れることはないでしょう。それは相手があなたを避けてゆくからです。その代りにあなたが更にこころが成長するために教えてくれるひとが現れるのです
常にこころを成長させなければならないということです
あなたの前に現れるひとや出来事はあなたにとって必要だから起きることであり必然なのです。決して避けられるものではありません。「わたしだけ何でこんなにも・・・」と嘆くからこそ何度も同じことが起きるのです
だからこそ、その原因が何であるのか気づかなければならないのです。その原因があなたの因果であるということをです
自身の因果に気づき反省をしてこころ改めることがとても大切なことであるのです
因果から「鏡の法則」や「類は友を呼ぶ」という言葉が生まれているのです
役割のある世界の編 (その4)
- こころの成長~役割ある世界の編
第三章 鏡(かがみ)
以下の言葉はたとえの一節です
もしあなたが・・・
だれかにつぶされるのなら、その前に多くの生きものを救ってください
そしてだれかにつぶされたら、今度は以前と違う方法で生きものを救ってください
それでも、もしだれかに殺されたら、次の世でまた生きものを救ってください
ここで云う「生きものを救う」という信念・「志」とは諦めることなくつづくものです
前述にある一節のようにあなたらしさの言葉でいろいろに当てはめてみてください。きっと素敵な役割が見つかるはずです
あなたはやさしいから相手のことを心配してしまうのです。気を遣うあまり話し方や伝え方を変えてしまい結局は相手に上手く伝わらなくなることはよくあります
でも間違ってはいけないことは相手がどうであるのかは相手の問題なのです。あなたはいつも通りであればそれでよいのです。相手に合わせようとしてはいけません。それで相手が気づかないのであればそれはそれで仕方ありません。そのひとはまた別の機会で他のひとから気づきを学ぶだけです
そしてもっとも大切なことは相手の問題であると同時にあなたの問題でもあるということです。逆に相手のひとはあなたの学ぶべきことを教えてくれているということです。相手のひとはあなたの鏡です。あなたが学ぶべきことを教えてくれているのです
なんども伝えますがあなたの目の前に現れる「相手とは・・・」あなた自身であるということです
そしてあなたの目の前で起きる出来事はあなたの因果であるということなのです
学びが尽きることはありません。今後あなたが出会うひとや出来事はあなたが学ぶべきことと理解してください。こころの成長のためにあなたにとって必要だからそのようなひとに出会い、出来事が起きるのです
傲慢になってはいけません。常に謙虚でいてください。謙虚であれば必ずその学びに気づき教えを身に付けることができるのです
役割のある世界の編 (その3)
- こころの成長~役割ある世界の編
第二章 時間
古くからよくあのひとは他界しましたという言葉を使います。身体の役割が終えたときにその身体からこころが離れ精神世界へと導かれることを言います
ひとの一生ははかなく切ないものです。それは時間という観念があるからです。ひとはこの世で生きる理由を知るものもいれば何もわからぬままに未練だけを残してあの世へと行くひともいます
またたとえ生きる理由を知らなくてもこの人生にやり残したことなく満足して生きてきたひとたちなど無意識のままに役割をまっとうして人生を終えるひともいます
この世に在る時間とはそもそもあの世である精神世界にはありません。時間を意識する環境(世界)ではないということです
時間とは物質世界おけるこの世で身体があるからこその時間なのです。太陽が昇り、陽が沈み、それを一日の時間とするなど常に自然との関わりを軸にして時間という観念をつくってきたものです
ただひとはあの世(精神世界)へと移りこころだけとなってもこの世の名残りとして時間という認識はあるのです
でもその認識はほどなくなります。あの世ではこころの意識は眠ることなく常に意識して在るために次第に時間という感覚を忘れてしまうのです
ただ時間がないあの世(精神世界)であっても唯一時間に例えることがあるならばそれが「こころの成長」という意識こそが時間に置き換えられることができるのです。
あの世でも「こころの成長」こそがこころの役割のあり、それは唯一時間に等しいものであるのです
あの世でのこころの成長とはただただそれぞれにこころのあり様次第で更なるこころを成長させるために必要な世界を意識させられているだけです
もちろんあの世では他のこころとの会話などあろうはずもありません
ただこころのあり様より感情が強く現世(この世)に未練があるほどにあの世では感情の世界が映し出されるものです
すべてはこころのあり様次第で見かた・考えかた・感じかたが違うだけなのです
役割のある世界の編 (その2)
- こころの成長~役割ある世界の編
第一章 誘惑
この世は欲の誘惑が溢れている世界です。それはひとの社会とは欲が基本として形成しています。さらには強欲によって因果が生まれ混沌としているのです。ほどほどの欲であればよいのですがいまはそうではなく強欲に際限がありません
誘惑はひとの感情(欲)を揺さぶるのです。欲はひととの比較からはじまりほかのひとよりも優位でありたいという感情は「ああなりたい」「こうなりたい」との欲が尽きないのです。そしてこころの本質がわからず感情のままに強欲へと引き込まれてゆくのです
そしてひとは憎しみの感情によっていじめ、虐待、殺人などの地獄と呼ばれる世界をつくりだすのです
わたしは以前より「天国などありません」と伝えています。それはこの世が地獄であるからこそその希望のために天国があるとしているだけです。それは幸せも同じではじめから幸せなどないのです。ただひとと比較をすることで不幸と感じることで、そのために幸せという言葉が生まれたのです
その理由とは天国も幸せも当たり前のことであるということです。それゆえにいにしえの時代では天国も幸せという言葉などなかったのです。あくまでもこの世は強欲によって地獄や不幸という感情があるから生まれた言葉なのです
いにしえの時代ではこころとは良い因果そのものであったのにひとが強欲に目覚めたときにこころから離れてこころ(良い因果)と強欲のふたつに分かれてしまったのです。この世の中心は摂理であるのに対してひとは独自の社会を築き、ひとが中心の世をつくってきたのです
そしていつのまにかひとがすべての中心であり頂点であると錯覚するようになったのです。それでもひとは自然には叶わず、だからこそチカラが及ばない自然を不条理とするのです。傲慢であるがゆえにひとは「なぜ・・・」と自然を不条理に感じるのです
あなたの「志」は他人にとって受け入れられるかどうかはわかりませんがだれもあなたを否定することはできません。だからこそどんな誘惑にも負けずにあなたの「志」である信念は必ず真っ直ぐに貫いて行かねばならないのです。それがあなたの役割であり生きる理由なのです
役割のある世界の編 (その1)
- こころの成長~役割ある世界の編
まえがき
この世で目にすること、耳にすることのほとんどはひとの強欲がもたらす事件・事故ばかりです。またそれらに焦点を当てることが社会にとって必要とされていることも事実です。またビジネスの生業として商売を目的にしていることも当然です
いにしえの時代より月日は流れ、いまわれわれの目の前で起きる出来事のほとんどが因果でありそれは自身の負の改善をするための教えです。われわれは常にこころの成長のためにいまを生きています
街を歩いていると至るところに欲の感情が溢れています。耳で聞こえること、目で見る光景などさまざまです。逆に相手はどうやってお客さまを誘引するのか必死なのです。ビジネス(商売含む)の基本はすべて欲を利用した行動で成り立っています。それゆえにひとがつくった社会とは欲の社会でもあるのです
もちろんこれまで何度も言うように欲がいけないのではありません。強欲がいけないのです
以前から伝えている通りもともと天国や幸せという言葉の意識などはありませんでした。それは遥か以前ではそのような言葉が当たり前のことであったからです。でも現在ではただ欲にまみれたこの世界では地獄と不幸が当たり前のようにこの世界で蔓延っています。そのためにひとは希望の言葉として天国や幸せという言葉が生まれたのです
本来であればそんな都合のよい言葉はいらないのですがこころの成長のために必要としているだけです
そしてひと以外の自然はいつも生きることに尽くしているのでそもそも言葉などは必要としないのです。ただ生きるために・・・それだけです
ひとは独自の社会を形成して自然の秩序を乱しているのです。本来ひとは自然の一部です
ひととしての役割を果たすためにこころを成長させなければならないのです
耳に聞こえるもの、目に見えもの、言葉とか行動はほかのひとがどう言おうと関係ありません。大切なことはあなたにとってその言葉や行動が自然とこころからの声であるのかどうかただそれだけです
まえがき
目次
第一章 誘惑
第二章 時間
第三章 鏡(かがみ)
第四章 感情を並べて見た世界
第五章 こころの役割
第六章 この世に在るべきでない魂(その1)
第七章 この世に在るべきでない魂(その2)
第八章 すべておなじ
あとがき
以上