「因果とともに」の編 (その10)

素直であること~「因果とともに」の編

あとがき

因果の説明にその限りはありません。理解をするための方法など、それぞれが千差万別であり、わたし自身も経験をしながらの説明でしかありません。だからこそわたしの説明はあくまでも自身に対してのことであってみなさまにとっては読んだだけではまったく意味不明なのかもしれません

今回では「因果に気づいたことに感謝をすること」、そして「因果を良い因果に変えることができること」に理解をするに至りました。因果は感情であり性格によってつくられています。そしてその性格は必然であり、そうした環境を選んで転生をしているのです。このようにすべてが一連の流れであることは自然のままにあるということです

起きる事象のすべてが因果(よい因果を含む)であると理解をすることが大切です。そして起きる事象がすべて因果ではなくよい因果であるとして理解することが大事なのです。教えてくれたことに感謝をして成長させてくれたことに感謝をするのです。感謝をすること自体がすでに因果ではなく良い因果へのつながりであるということです

これはなかなか楽しい意識の変え方です。わたしはこれまで因果を経験する中で因果を消すことはできないとの考えに至りました。因果とともにあるということです

そもそも、こころを成長させるために選んだ環境で生まれ育ち養われているのです。自分に厳しく外界と遮断をして出家するなどの道を選ぶのであれば因果を打ち消すこともできるかもしれませんが、因果の世界である以上、それだったらその因果と一緒にいればよいのです

そして因果をよい因果に変えることができれば、どれほどこころが成長するだろうかとの想いです。そして因果をよい因果に変えるとは因果に感謝をすればよいのです。感謝をすること自体が良い因果に変えているということです。素直で謙虚であり続けてください。あとは良い因果につなげればよいのです

この世は地獄であり因果の原因であるあなたの過去の過ちを正すことが、こころの成長であり生きる理由であるということです

そして今後も、この因果の世界で生き続けなければなりません。だからわたしは敢えてひとであることを楽しみたいです。正直に因果を受けて教えてくれたことに感謝をして良い因果に変えることを楽しみとすることです

でもそんなことを言っていたら、またきっと怒られるのでしょうね。甘えていないでもっと早く成長しなさいと・・・・

「因果とともに」の編 (その9)

素直であること~「因果とともに」の編

第八章  相手の因果

因果に気づいたことに感謝をするとはいったい誰に感謝をするのでしょうか。でもそれは相手に感謝をするということであり、「因果」に感謝をするということです

そして因果は自身の行為で気が付くこともあれば他人の行為が自身の行いと重なり因果に気づかされることもあります。鏡の法則、引き寄せの法則によるもので相手に気づかされるということです

「感謝の気持ちとは相手の立場に立って、相手を理解することです。相手を理解するということは相手の因果を知ることです。相手の因果とはまさしく自らの因果です。自らの因果を教えてくれた相手(因果)に感謝の気持ちを伝える」のです

これは自身の因果に気づくための意識の在り方のひとつです。上記にあるように相手の因果とは自らの因果でもあるということです

自身の因果にさえ気が付かないのに相手の因果が自分の因果であることなどはなかなか気がつきません。でも自分相手に嫌なことをしている行為を、自分がその嫌な感覚を味わうことで知らさられるのです

因果に気がつかないからといってあなたに良くないことが起き続けることというわけではありません。ただ因果の連鎖は誰にでもあるので、他責にしていればどんどん大きくなります

もちろんその時間的な間隔もひとそれぞれです。また良いことも悪いこともそのひとの価値感であり一様ではありません

良い因果なのに、勝手にひねくれた考えによって、良くない因果と誤解をすることもあるでしょう。だからこそ因果を知ることや、理解をすることはひとそれぞれに違うのです

だからこそいずれの因果であっても、素直で謙虚で因果に気づいたことに感謝をすることが大切なのです

因果に気がつくことは感謝の気持ちを伝えることです。その数が多ければ多いほど、因果に気づけたことに対して、感謝の気持ちも多いわけで、それがすべて良い因果であると言葉を変えて解釈をすればよいのです

「因果とともに」の編 (その8)

素直であること~「因果とともに」の編

第七章  因果の理解

生まれ育った環境において、ひとがそれぞれにこころのあり様次第で、かならず何かを通して因果を受けます。そして、こころがもっとも成長する環境で生まれてくるとしたことは因果のつながりであるということなのです

これまで因果についてたくさんに話をしてきましたが、それだけ重要であるということなのです

これまでにも「因果を知ること」、「因果を悔い改めること」、「因果を乗り越えること」、「因果とともにあること」などさまざまな言い回しで伝えてきましたが、いまは「因果に感謝をすること」とした表現をしています

そして更には「因果は良い因果に変えることができる」ということも伝えています。その時々のこころのあり様で実際に経験をしながらいまに至っているのです

因果に気がつくことが、なによりも大切なことであるのです。それはよい因果もまた同じです。ひとに起きる出来事はなにも因果だけではありません。良い因果もあなたの目の前で起きているのにあなたが気付かないだけです

因果も良い因果もあなたのこころが成長するために起きている出来事です。そう言った意味では因果も良い因果も同じであり、ただ気がつくかそうでないかの違いでしかないということです

では気がつくためにはどうすればよいのでしょうか。それは素直で謙虚であることがすべてです。我の強いひとには決してできないことです。起きる出来事に対して、すべてが自分に原因があり、そのことを教えてくれていることと意識してください

たとえ、すぐに気がつかなくても。きっと何かを伝えてくれていると考え続けることです。因果はひとのせいにするために、その相手によって気づかされるのです。似たもの同士として相手は相手の因果であなたの目の前に現れているだけということです

なにが正しいということではありません。なにが大切かということをつねに意識してください

「因果とともに」の編 (その7)

素直であること~「因果とともに」の編

第六章  因果の答え~その3

起きている出来事はよくないことであっても、何かを自分に教えてくれているのだとして拒絶するのではなく受け入れてください。良いこともそうでないこともあなたに教えてくれているのです。だから素直で謙虚であることが何よりも大切なのです

いつもネガティブに「またか」、「なんでだよ」、「そんなのわかっているよ」とした意識は捨ててください。「なるほど、そんな考え方もあるのか」などと受け入れて自分に気づかせてくれていること、何かを教えてくれていることと受け入れてください

そのように考えると因果もまた楽しくなるものです。これが因果をコントロールする(意識を変える)ということです

決して憎悪には憎悪で返すなどネガティブに偏った考え方をするのではなく、こころのあり様を真ん中に保つというのは因果(よい因果も)を常に意識して受け入れてくださいということです

こころの闇にある因果を教えてくれたことに感謝の気持ちで接することが大切なのです。それが因果とともにあるということです

これまであなたの「魂」は因果に利用されてきたということです。あなたにとっての課題である因果の憎悪とは相手に仕返しをすることではなく、こころの闇にある憎悪こそがあなたの大きな因果であると教えてくれたこと、気づかせてくれたことに感謝をすることです

なぜなら第四章の冒頭にある、あなたの憎悪という命題は、まだ実際にあなたの目の前ではまだ起きていません

だから、実際に起きる前にあなたはその因果に気づくことができたということで、すでに感謝の気持ちを伝えているということなのです

たとえ仮の話であってもあなたの最も大きな課題である因果を想像して、あなたなりの答えを導きだしたことに感謝の気持ちで応えれば、あなたにはその因果が起きることはなくなってゆきます。もちろん悔い改めることの気づきは一回では終わらないかもしれません

またそれが正しいのか、間違いであるのかでもありません。ただ少なくともこれまで気がつくことができなかったことを、あなたが気づいたということは、あなたにとって正しいということなのです

「因果とともに」の編 (その6)

素直であること~「因果とともに」の編

第五章  因果の答え~その2

因果とはあなたのこころの闇のことです。起きた事象をすべて因果によるものと考えてください。常に因果を意識することがとても大切なのです。そして起きた事象に対して「いま自分に因果を教えてくれたこと、気づかせてくれたことと意識するのです

それまであった憎悪の感情は因果によるものであると気づくことで、自らの罪を反省してこころ改めることで因果を良い因果に変えてゆくことができるのです

因果とともにあることは、つねに因果の原因は自分にあると意識することで、悔い改めるということです。因果の原因であるひとのことを傷つけるようなことはもうしないと意識することが大切なのです

そのことを悔い改めることを、強く意識をすればその因果はやがて良い因果となってあなたの目の前に現れてくれるようになるのです

こころのあり様がいつも謙虚であり素直でないとひとから助けられたり、教えられたりしていることには、なかなか気づくことはできません

これは因果になかなか気がつかないことと同じです。起きている出来事は自分のために助けてくれている、教えてくれていることと理解をして気づかせてくれた相手に感謝をすることが大切なのです

良い因果もまた起きた事象に対して、なぜ自分のために起きたという理由を良く考えて、理解をしなければならないということです。そしてあなたに気づきを与えてくれるのは、何もひとだけでなく直観も同じです。無意識に感じることなど、ふと言葉で浮かんだりすることもあるのです

そしてまたそのことに「気付かせてくれてありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えるのです。それが良い因果とのつながりです

またあなたにとってつらい因果であっても「気付かせてくれてありがとう」と感謝の気持ちを伝えることでつらい因果を良い因果に変えてしまうことができるのです

ひとのために生きているということ・・・良い因果に変えることが、ひとのためにとした一番に大切な行いです

「因果とともに」の編 (その5)

素直であること~「因果とともに」の編

第四章  因果の答え~その1

ここでも命題はあなたの大きな課題を例とした「もしあなたの大切なひとがだれかに殺められたらあなたはどうするのか」と云う、たとえにお話を進めます

「大切なひとが殺められる」という、その時に感じる、あなたの憎悪は計り知れないほどの感情です。それはなぜ・・・

あなたの目の前で起きる事象はあなたの因果であると伝えていますが、こころのあり様はその因果とともにあるということです

あなたの内なるこころの問題です。あなたのこころのあり様次第でどうにでもなるのです。所詮は感情をコントロールすることなのですが、それでもひとは悩み続けてしまうのです

だから「ひと」なのでしょう。なんでもきれいごとの言葉で片付けることなどできないのです

なかなか感情を制御することは上手くはゆかないものです。だからこそ、やりがいがあるのです。「志」以外の感情は常にゆらゆらと揺れ動くものです。それを踏まえて「ひと」は、自分自身を理解しなければならないのです

相手のことが許せなく、憎いとする感情はあなたが生み出しているものです。たとえ憎いとする感情は相手の原因によるものであっても、その感情を生み出しているのはあなたです

また、あなたのこころのあり様次第では憎悪の感情よりも悲しみだけに囚われた表現をするひともいるのです

このように憎悪よりも悲しみが優先されるひともたくさんいます。因果を受ける立場がたとえ第三者であっても、何かしらの因果があなたに関わっていることを理解しなければなりません

あなたが過去に何らかの原因によってつくった因果だからこそ、いま結果となって現れているのに、そのことは都合よく過去のことは忘れて、なぜ自分だけに良くないことが起きるのだろうとひとのせいにするのです。原因を他人のせいばかりにして自分は悪くないとして、ひとりで悩み続けるのです

それであなたはどうしたいのでしょうか。ひとりで原因をつくってはひとりで悩んでいるのです。結局は因果を理解しないとそうなってしまうのです

決してあなたが悩むことではありません。それに悩むことと考えることはまるで違います。答えが見つからないのが悩みであり、考えていれば必ず答えが見つかります。悩みはつらく苦しいものですが、考えることは、その先へとつながる期待なのです

「因果とともに」の編 (その4)

素直であること~「因果とともに」の編

第三章  良い因果のつながり~その2

つながりとは「線」であって「点」のことではありませんがその点が続くことで、毎日がひとのためにという意志が「線」としてつながるからこそ良い因果の結果となって現れるということです

あなたの目の前で起きる事象とは結果として因果なのか、良い因果なのかはこれまでのつながりによって起きていることを理解しなければなりません

たとえいまが因果の途中である「点」であっても意識を変えて良い因果に変えることができるのです

もしかしたらそのつながりにあるひとつ一つである「点」が結果であるとも考えることができます。だから因果の意味である原因があっての結果とは終わりを意味することでなくまだまだその途中であるということを知るのです

因果はこの世で終わることはありません。だからつながりとは過去世も含めていまもなお続いているということです

ひとつ一つの点の経験がつながりであるのです。逆に言えば起きる事象はつながりの途中であるひとつの点である結果にすぎないということです

そしてこころはひとの身体にある潜在意識の情報を引き出すことができればとこころはそれに呼応します。互いが互いの能力を引き出し合うことで、できないことができるようになるのです

あなたのこころだけではできないことが因果とともに在ることで、できるようになるのです。だからこそこころはひとの身体を依り代としているのです

ひとの身体にはこれまで生き抜いてきた情報が潜在意識として蓄積されており、こころにはこれまで繰り返してきた因果の情報があります

因果の原因をつくってきたのはこころであり、こころはその時に宿っていた身体にある感情を操り因果の原因をつくってきたということです

そして過去の原因である結果の因果を知ることで未来の良い因果の原因をいまつくることができるようになるのです

こうして未来にわたっての点である良い因果の繰り返しをしてわれわれが求める因果のない世界へと変えられることができるのです

抱き続けるから成長は止まり、逆にどんどんと闇の世界に引き込まれてゆくのです

「因果とともに」の編 (その3)

素直であること~「因果とともに」の編

第二章  良い因果のつながり~その1

わたしが伝える「こころ」とは自然のままにあり、良い因果を保つ意識のことです。また因果には当然良い因果もありますが、ここではただ「因果」と記載をしている時は、良くない因果のことを示していることとご理解ください

因果とともにあるこころにとって因果とは反面教師のようなものですが、因果とともにあることなど到底理解できないことなのでしょう

でももし因果を理解する意識があるのなら、こころは因果から逃げることや避けることなどはせず、一緒に向き合うことが大切なことなのです

もともとは、互いにひとつであったこころと感情は強欲に気づいたと同時に因果としてこころから離れてしまったのです

でもこころの奥底では因果の意識もまた良い因果であり続けたいことには気づいているのです

こころは因果を受け入れることができれば、良い因果へと変えてゆくことができるようになるのです

因果を消して、こころを成長させるのではなく因果とともにあり続けるということです。このような理解をすることができると因果である強欲も「ひとを助ける」ことを身近に接することで、強欲を小さく変えることができるようになります。因果もまた良い因果に変えてゆくことがとても大切なことであるのです

決してこころの成長はひとりで、できるものではありません。因果とともにあるからこそこころは成長することができるのです

因果も良い因果もすべてがつながりです。あの時にそうしたから、いまこうなったとする過去に原因があったからこそ、今度はいまこうすれば、きっと今後はこうなるという良い因果に変えてゆくことができるのです

過去にあった憎悪や強欲、未来へのやさしさやひと助けのこころもまた、そのつながりによって結果となって現れているだけです

原因もまた同じです。常に憎悪や強欲の感情を抱き続けるから成長は止まり、逆にどんどんと闇の世界に引き込まれてゆくのです

「因果とともに」の編 (その2)

素直であること~「因果とともに」の編

第一章  因果とともに

因果は克服するとか、乗り越えるという問題ではありません。もちろん因果を無くすということでもありません。因果とは仕組みであるということです

そして「魂」は因果とともにあるということです。因果を知ること、理解することはもちろん大事なことですが、大切なことは、「因果に向き合う」ということです

因果とは「魂」のあり様です。因果を消すとか、克服するといった考えかたをするのではなく「魂」と一緒に在り続けるということです

憎悪で「魂」が支配されることなく、「やさしさ」とのバランスにおいて意識は真ん中のあり様であることが大切です

因果とは悪いことだけではありません。あなたの「行い次第」で良い因果を引き寄せることもできるのです。それは、あなたにとって楽しいことであり、夢中になれること・・・それがはじまりです

最初から、ひとのためにどうしたら良いのかなどと、難しく考えてはいけません。あなたが時間を忘れて、雑念を忘れるくらいに大好きな行動でよいのです。良い因果の引き寄せは過去にあなたがたくさんのひと助けをしてきた種まきの結果でもあるのです

無理だとか、できるわけないということではありません。それ以上に、ただ好きだからそうすればよいのです。楽しければそれで良いのです。こどもと一緒の感覚でよいのです

あなたの目の前に起きる出来事にはかならず理由があります。でもそれは、それで反省してください。でもそれ以上に、因果を忘れるくらいに夢中になる行動・・・それがとても大切なのです

無意識の内に頭で考えることよりも行動が先にあることは理屈ではありません。真っ直ぐなこころ(魂)には、だれもがこころ(魂)が揺さぶられ、惹きつけられるのです

なによりも強く、深く、広いこころのあり様は自然のままにありつづけ、因果とともにあなたを突き動かす信念であるのです。それこそがあなたの「志」であるということです

「因果とともに」の編 (その1)

素直であること~「因果とともに」の編

まえがき

因果について書き綴ることはこれで何度目でしょうか。これまで自らの因果を経験に照らし合わせて記載をしてきましたが、因果とはまだまだ広く深いものだと考えさせられます

たとえばですが車の事故に遭った時に「なぜわたしはこんな目にあうのだろうか」、とした考えかたもあれば、「この程度の事故で済んでよかった」とする、感がえ方もあります。ひとによって考えかたはさまざまにあるのです

因果は誰にでもあります。そして「なぜあんなによいひとがあんなことを・・・」とか「ひとは見かけによらない・・・」ということはよくあります。自らが抱える因果はそのひとにしかわからないのです

もちろん因果には良い因果もあります。ただわたしの書で「因果」は大抵、悪いことが起きることの意味で伝えています。もちろんそれは過去世からの「縁」でつながっていることも大部分にあるのです

そして、ほかのひとの因果をあなたが背負うことは決してありません。たとえ血縁関係であったとしても、まったく関係ありません。あくまでもそのひと自身の原因によって、結果でしかないのです

もちろん似た者同士で引き寄せることはありますが、それは自身の意思が弱いだけで、因果の原因をひとのせいにしているだけです

また、よく先祖代々の因縁など、もしかしたら恨み、妬みなどがあるのではないかと考えますか、いま生きているひとに対する因果とはまったく関係ありません

身体は寿命があって滅びるものですが、「魂」は過去世からこれまでつながっているのです

そのつながりが因果であるということです・・・

それでは、本編をご覧ください・・・

まえがき

目次

第一章 因果とともに

第二章 よい因果のつながり~その1

第三章 よい因果のつながり~その2

第四章 因果の答え~その1

第五章 因果の答え~その2

第六章 因果の答え~その3

第七章 因果の理解

第八章 相手の因果

あとがき

以上