そこに在ることの編 (その10)

意志~そこに在ることの編

あとがき

この社会で起きる事件・事故と呼ばれる出来事はひとの強欲によってひとのこころを傷つけてきた因果によって起きています。いまも過去もそれはなにも変わりません。だからそれは偶然ではなく必然であるということです

でも、ひとはみなそれがわからずに起きる出来事に対して「なぜ」と嘆くのです。ただそこに因果が在るだけです。そしてひとにしか因果はありません。そのことを伝えるために数多くの教えがあるのです

ひとには感情とこころが在ります。感情とはひとが持って生まれた本能です。こころはこの身体を依り代としている「意志」のことです。こころは感情が強欲とならないようにいつも止めようとしてくれています。こころとは道徳のような存在です

悪いことをしようとすれば「それはやってはだめですよ」と止めてくれるのがこころです
それでも抑えきれない欲の一部は強欲なりひとのこころを傷つけて因果が生まれるのです

感情の足りないことをこころが支え、こころが成長するために感情の意識と常に向き合い互いに支え合っているのです

ただひとは必ずしも感情やこころを意識できているわけではありません。ほとんどは感情のままに生きているのです。こころに気が付かないから代わりに法律があるのです。本来はこころが抑止力となるはずなのですが、こころに気が付かないから、法律で抑制をするのです

ひとは争いを無くすために法をつくりました。それでも本来はこころに気が付けば法など必要はないのです

・ひとを依り代とするこころは感情がつくり出した因果とともに在ることで成長をするのです

・ひとがもつ感情とこころは陰と陽のことです。互いを補って、互いを支えているのです

・ひとはこころに気が付かないからその代りに法律で感情を抑制しているのです

そこに在ることの編 (その9)

意志~そこに在ることの編

第八章  ひととして(こころと感情)

こころのままにある意志と本能のままにある感情(身体)
ひとにはこころの意識と感情(身体)の意識があります

ひとのほとんどは感情(身体)のままに生きています
でもこころは本能にある感情を正しい方向へと導きます

そしてこころはひとのこころを傷つける強欲を常に正そうとします。感情はそれを嫌悪してこの互いの葛藤が常に繰り返しているのです

われわれはひとにあるこのふたつの意識のあり様を理解しなければはじまりはありません。そのはじまりとは変化をすることです

ひとの感情は本能であるがゆえ自己防衛本能が働き変化を求めようとはしません。でもこころはその意志を感情に伝えるために変化を常に求めているのです

われわれはなぜ生きているのでしょうか。街ですれ違うひとのほとんどは誰も気づいていませんし考えたことなどもないでしょう。ただ目の前で起きる出来事に日々対処をしているだけです。ここのあり様によって起きる出来事の問題はさまざまですが、その出来事に一喜一憂をしているのです

ひとの道とはただ「こうすれば、こうなる」ということを教えてくれているだけです。当たり前のことが当たり前としてただ起きているということです。でもひとはその当たり前の出来事がなぜ起きているのか理解できないだけです。そして理解ができないから悩んでいるのです。

あなたの目の前で起きる出来事の理由をなぜ理解できないのでしょうか
ひとの道とはただ「こうすれば、そうなる」ということです

それは原因があっての結果であるということです
その原因はあなた自身がつくっているということに気がついてください

そこに在ることの編 (その8)

意志~そこに在ることの編

第七章  この世界だからできること・・・

あなたは自身のことが好きですか・・・
あなたに宿るこころも自身の感情(身体)も好きですか・・・
そしてその問いに答えているのはこころですか感情の意識ですか・・・
このようにして客観的に自身を感じてみることが大切です

ひとはこころの意識と感情(身体)の意識の二面性を持っています。
こころと感情は陽と陰のような関係です。陽はこころであり陰とは感情を現わしています。もちろん陽が感情であり、陰がこころであるひともいます。このふたつはコインの表裏でありそれがひとであるのです

その陽と陰の意味することはひとそれぞれにありこころのあり様でその感じかたは違うものです。コインの「表と裏」であるのにそれを「善と悪」として対局に意識するひともあれば「善ともっと良い善」として意識するひともいます

こころをいろいろな場所に連れて行ってあげてください。特にあなたが正しいとする場所に行くのはこころが感情(身体)に伝えたいことがあるからであり、感情(身体)にこころを知ってもらうために導いてくれているということです

ひととしてこの身体(感情)があるからこそこころをいろいろな場所へ連れて行ってあげることができるのです。身体に宿るこころはそれ自体ではどこへも行けません。だから感情(身体)にこころの意志を伝えて連れて行ってもらおうとするのです

そして正しい場所というのはあなたにとっての正しい場所のことです。こころのあり様次第でひとそれぞれにさまざまなのです。感じるままに在ってください

・自分を愛することができるひとはなによりも幸せなひとです

・ひとに宿るこころは自らではどこにもゆけません
あなたが行きたいと思う場所はこころが導いてくれているのです

・意志である「志」はこの身体があるからこそ行動をして成し遂げることができるのです

そこに在ることの編 (その7)

意志~そこに在ることの編

第六章  理由

ひとは人生を歩んでいること自体が修行です。他のひとと交わることで感情に惑わされ、欲に身を委ね、強欲に誘われるままにあるのです

もしあなたがいま辛いと思う人生であるのなら、それはなるべくしてそうなっているのです。その原因となっていること、あなたがひとのこころを傷つけてきたことが因果となり、その身に降りかかり原因がわからないままに、あなたのこころをへし折る出来事が続くのです

そしてやがては抜け出すことができないまま悩みとしてこころは感情に翻弄されてしまうのです。因果に悩み、答えがわからないままに闇に落ちてゆきます

あなたの身に降りかかる出来事の起きる理由、気が付くひともいれば、気づかされるひともいます。そしてまったく気が付かないままにこの人生を終えるかたもいるのです。あなたはなぜ生きているのでしょうか。いま一度、自身が何をすべきなのかを考えてみてください

もし起きる因果の出来事を止めたいのであればその理由を知らなければなりません。その理由とはあなたがひとのこころを傷つけてきた自身の行為に対してひたすらに反省をし、そのことに気が付かせてくれたことに感謝の気持ちを伝えることをしなければならないということです

その感謝の気持ちを伝える相手とは誰であろうあなた自身のこころに対してひたすらに反省をして気付かせてくれたことに感謝の気持ちを伝えるのです

・ひとは無意識の内にひとのこころを傷つけてしまうことがありますが無意識であることとは単純にやさしさやいたわりの気持ちがない証拠です

・思うようにならないことが人生です。また思わないことが起きるのも人生です。すべては線でつながっています

・たとえ俗世から離れても煩悩はつきまといます。俗世を経験すればするほどに避ければ避けるほどに煩悩は大きくなります。煩悩を受け入れてください

・因果を良い因果に変えるためには自身にとって正直であり、素直であり、他のひとに対していたわりがありやさしさがあることです

そこに在ることの編 (その6)

意志~そこに在ることの編

第五章  期待

われわれは常にこころを成長させなくてはなりません。あなた自身の変化なくしてこころの成長は絶対にありません。あなたが変わらなければその先へ進むことはできないのです。そしてあなたはこころの期待に応えられる努力をしてきたのでしょうか

感情に流されながらも、あなたはこころに期待されているのです。期待に応えるとは、どれだけまっすぐに、どれだけ純粋に、どれだけ素直であればあるほどに、こころが伝えることを受け入れて理解しなければなりません

こころに気が付くとはこころが在ることを知ることではありません。こころに感謝の気持ちを伝えることです

こころはどんなにあなたに裏切られてもあなたがこころに気が付くまであきらめずにただひたすらに守り続け、あなたが気付いてくれるまで必死にサインを送り続けているのです

こころはあなたを守るという大切な役割を担って、あなたのこころに宿っているのです。だからこそひとのこころを傷つけては絶対にしてはならないのです

それだけに覚悟を決めてあなたを守るために一生懸命なのです。だからこそ自らのこころを傷つける行為である自殺はなによりも罪が重いのです

でもその反面、こころに気が付くことができればそれはどんなにもこころは嬉しいことでしょうか。ひとの一生をかけてただひたすらにあなたを守り抜きそのことをわかってもらえることができたならきっとそんなあなたにはもっともっとたくさんの良い出来事を起こしてくれることでしょう。それが良い因果のことでもあるのです

こころがあなたのことを守ってくれていることに感謝をすることです
あなたはそんなこころに感謝をしなければならないのです

その真っ直ぐな気持ちに感謝の気持ちを伝えるのです
だからこそあなたも真っ直ぐな「志」を掲げるのです
こころの期待に応える努力をしてください

そこに在ることの編 (その5)

意志~そこに在ることの編

第四章  間違い

感情は見るものすべてから学び、こころは感じることすべてから意志を放ちます。感情は受ける側にありこころはその感じたことを摂理のままに「志」を掲げることです。(行動をすることです)

あなたの身の周りで起きる現実、日本という国から見た現実、世界から見た事実は、そのほとんどがひとの強欲です。そうしてやがては自然の意志によってひとは気づかせられるのです

間違いを正すことはあなたの意志です。その間違いはあなたの必然であり試練です。間違いとは摂理に気が付かないことです。強欲である感情はこころである摂理をかき消してしまうのです

間違いに気が付くのであればこころのあり様のままにあり、間違えたままなら感情はひたすらに強欲のままにあるということです。あなたが街ですれ違うひとのほとんどが後者のひとたちです。間違えていることにさえ気が付いていないのです

願いが叶わないことなど大したことではありません。所詮はあなたのただの強欲です。その強欲を利用して更なる強欲を生み出しているのです。強欲は感情です。それ自体が意思であるということです

・間違いは正すためにあるものです。そして間違いを犯すから正しさがわかるのです
 それがひとというものです

・あなたにとっての価値観はお金が中心でしょうか、それとも・・・・

・運がよいのではありません。あなたにとって必要であるから起きているのです

・あなたの間違いは居心地が良くいつまでも間違えていたいのです
 感情は変化を嫌います

・間違いに気がつくタイミングはひとそれぞれです。それは「いつ」ではなく、こころのあり様次第です

そこに在ることの編 (その4)

意志~そこに在ることの編

第三章  自然からの学び

風が吹き木々が揺れ動いて葉と葉が重なり合って鳴る音がとても心地よくこころのあり様は穏やかにすべてを受け入れようとしています

他にもお花はただ咲かせるために一生懸命に生きている。だからみなから好かれるのですそして、こどもは無邪気で真っ直ぐな生きかたをしているからおとなから愛されているのです

山道に這うような木の根はそこを歩くひとたちを支えてくれています。自然はいつもわれわれを支えてくれているということです。最初は歩きづらいと感じたり、傷だらけの木の根を踏んだらかわいそうかなと思いよけて歩いていました

ただ歩いているうちにその根がある理由について、実はここを歩くひとたちが転ばないようにするために根で支えているという意志にも気が付くようになりました

自然の教えとはひとえに感じかた次第なのです。雨が降ることを恵の雨と感じるひともいれば雨を災であると感じるひともいるのです。自然は意志としてただ在るだけです。その意志をどのように理解をするかが大切であるのです

・自然が起こす「意志」はすべてに理由があっての必然として起きているのです。あなたは自然の意志をどのように感じているでしょうか

・ひとの「意思」によって起きる出来事は原因があっての結果です。あなたの因果を受け入れてください

・この世界において偶然は在りません。すべては理由があっての必然であるということです

・こころに気が付くこと、それは自然の「意志」を理解することです

・風が吹く言葉をあなたは感じていますか
 素直であればあるほどに風の言葉を感じてその意味を知ることができます

自然に起きる出来事のすべてが教えです

そこに在ることの編 (その3)

意志~そこに在ることの編

第二章  道理とは

~ひとつの世界~

たいした努力もせずに望んだ通りとなったその先にあるのは苦難・・・
努力をしても望んだ通りにはならないことの葛藤・・・
何もせずにただ羨むだけの毎日・・・

あなたが望まないことが起こり
あなたが望んだことは起こらない

あなたが相手を羨ましいと思う気持ち・・・
これらはただの感情です

そして感情はこころを惑わします
そうして、この世界では常にひとが思うことで真逆のことが苦難となって起こります


~もうひとつの世界~

苦難と思わずに努力をすれば必ずあなたが望んだ結果となります
ひとのためにとした想いはこころそのものです
行動をすれば前に進むことができます

あなたの望んだことが起こり
あなたが望まないことは起きません

相手を羨ましいと思う感情は無くなり
ひとを導く手本となります

こころのあり様次第です
この世界では常にひとが思うことは当たり前のこととして実現してゆきます

これがひとの道理というものです

そこに在ることの編 (その2)

意志~そこに在ることの編

第一章  ただ在るだけ

これまでは「こころ、良い因果、意志、摂理、因果、感情、強欲など・・・」の言葉についてひとが織りなす具体的な出来事を例にして伝えてきましたが、今回はその先にあるもう少し深くに精神のあり様を中心にお伝えをしてゆきます

「そこに在る」とした言葉は別段特別なことではありません。またその表現の仕方はこれまでも何度かしてきました。例えば「意志はそこに在る」などです。意志や「志」の言葉に実体はありません。あくまでも行動をイメージした言葉があるだけです。でもその言葉を発するだけですでにその行動が為されるという意味がそこに在るということを言うのです

大切なことは「言葉に行動をすることの意味を持たせることです」それが言葉と言霊の違いです。自然にある意志のすべてはその行動です。生きるということ自体が意志であり行動であるということです

つぎに記す言葉はその一例です。言葉尻を逆手にとって屁理屈などと表現をすることもできますし、素直でなければなんのことだかまったくわからない言葉たちでしょう。わたしなりの答えを記載しています。そしてあなたらしさの答えを見つけてみてください

この続きは2021日6月1日よりのブログにて短編集として掲載をしています

●願いは叶えるものではありません。すでにそこに在るものです
想像をした時点ですでに願いは叶っているということです。この世は自由に思い通りにすることができるということです

そこに在ることの編 (その1)

意志~そこに在ることの編

まえがき

ひとはたくさんのひとに迷惑をかけてきて、その分たくさんに怒られて、そしてたくさん助けられてきています。迷惑をかけたことや怒られたことは覚えているのに助けられたことはなかなか気が付かないものです

だからひとは「感謝の気持ちが足りない」といわれるのです

答えが見つからない悩みが続く日々。ある時に夢の中でずっとその答えを教えてくれていたのに気が付かず、それでも何を話しているのかを聞きたくて意識を集中して最後に聞き取れたのは「やることをやれ」と言う言葉

「当たり前のことを当たり前にしなさい」

夢の中で横になって寝ている時に背中が何か下に吸い込まれそうな感じがして後ろを振り返ると崖の淵にいて下からたくさんの餓鬼が這い上がろうとよじ登ってくる姿を目の当たりにする記憶・・・

その光景を写しているのはあなたのこころのあり様です

ひとはつねに感謝の気持ちで、感謝の言葉を発すればこころは自然と落ち着きます

今回より少し伝え方を変えてゆきます。これまでのお題があってその教えの一辺倒であったことが、もう少し簡単に気づいた言葉でひとつの答えを伝えてゆければと思いです

時として言葉は長くなればなるほどに、わかりずらくなるものです。言葉の説明をしながらその説明がさらにまた説明が必要となる・・・言葉で伝えることは大切です。でも感じてもらうことも大事です。言葉は短くとも感じてもらえればそれで構いません

「ひとが変わるきっかけ、こころに気が付くきっかけは、あなたのこころのあり様です」

それでは本編をご覧ください・・・

まえがき

目次

第一章 ただ在ること

第二章 道理とは

第三章 自然からの学び

第四章 間違い

第五章 期待

第六章 理由

第七章 この世界だからできること

第八章 ひととして

あとがき