献身の編 (その11)

意志~献身の編

あとがき

非ゼロ和(ひゼロわ:non zero sum)とは
複数のひとが相互に影響しあう状況の中で、あるひとりの利益が、必ずしも他の誰かの損失にならないこと、またはその状況を言います。これは経済学の言葉ですが古くよりグループ同士でひとが争うことなく統治するための考えかたでもあるのです
全員が幸せになるということ・・・

ひとを統べるものは殺し合いだけではありません。技術を与える代わりに協力を求めることで統治することもできます。なにが大切であるのかということです

考えかたは・・・見るものを感じるのではありません~だから欲に溺れるのです
感じるものを見てください~大切なことに気が付くことができます
それが自然のあり様です

ひとの社会では言葉に騙され、見るものに惑わされてしまいます
でも自然界ではその言葉に助けられ、感じるままにあるのです

自然界ではなにが正しいのかではありません。自然を感じるままにあることが正しいのです

時(時間)もまた自然の一部です。日が昇り、日が沈む、地球の自転(一回転)を一日とすし、さらに星の位置から太陽を中心に一周することで一年としているなど、ひとは自然の繰り返される現象そのものを「時」として定めてきました

やがてひとは社会を形成する中で時間を物理的に考えるようになり自然とはかけ離れた意識をするようになったのです。

でもこころには時間はありません。常世では時間という概念はありません

だからこころには過去、現在、未来はありません。あることは前回は・・・、この次は・・・、それは知っている、でもこれは知らないといった経験です

また以前にも伝えた通りでこころには男性も女性もありません
こころとは自然そのものです。そしてこころとは意志です。こころから見たこの世、こころが感じている常世を想像してください

献身の編 (その10)

意志~献身の編

第九章  こころの成長とは~その2

ひとは因果とともに在り続けることでこころは成長します
ひとそれぞれにある因果は、何度もあなたの目の前に起きることで悩み、苦しむのです

ひとの身体の寿命が尽きるまで、因果に気が付くまで何度も繰り返されるのです

転生すること・・・輪廻とはこの世界で因果と云う過ちに気が付かずに、同じことを繰り返すことが輪廻なのです

因果は強欲によってひとのここを傷つけることで生まれます
その強欲とは自身の欲を満たすことだけしか考えず、理性が遠く及ばない感情なのです

ひとが同じ過ちを何度も繰り返しているのは因果を繰り返しているということです

感情が強欲となりひとのこころを傷つける行為によって生まれた因果を繰り返すこと
これを総称してひとの「過ち」としているのです

その「過ち」である因果に気が付き
さらにはひとのために願うとした献身的な考えを持つに至ることがこころの成長です

この世界はこころを成長させるためにある世界であり、それが役割であるのです

だからこの世界ではこの身体が何度も生まれ変わるように
こころもまた転生をして何度も生まれ変わるのです

同じことが繰り返されるという輪廻する世界であり、その役割をしているのが、この世界であるのです

この世界はこころを成長させるために、ただひたすらに輪廻する世界なのです

献身の編 (その9)

意志~献身の編

第八章  こころの成長とは~その1

生きる理由とは「こころの成長」がすべてです
こころの成長とはひとの身体に宿り、あなたの過ちである因果に気付き、献身する考えや行動に至ることです

ひとはなぜ同じことを繰り返すのでしょうか
ひとが同じことを繰り返すのは、それが因果であるからです
因果とはわかりやすくは苦悩のことです
この世界は未熟なこころたちが何度も輪廻をするから同じことが繰り返されるのです

もう一度おさらいしましょう・・・
ひとは身体があり本能を中心とした感情によって思考をして行動をしています
そしてひとの身体に宿るこころは理性であり強欲を制御して常に感情と対峙しています
強欲によってひとのこころを傷つけた行為が因果となります。そしてこころはひとの身体に宿ることで強欲と葛藤をしながら成長をするのです

ひとは因果とともに在り続けるのです

だれにでも因果はあります。ひとは因果に気が付かないから何度も同じ過ちを繰り返すのです。それはこれまでの事件・事故、そして歴史が物語っています

この世では身体の寿命とともにこころの役割も終えます。ただ因果に気がつかずこころの成長をしなければ同じことがなんども繰り返されるのです

この世界はこころを成長させるために因果という過ちを繰り返しているのです。それがこの世の役割なのです

こころの成長とはあなたの過ちである因果に気が付き献身的な考えに至ることが目的なのです。でもその目的を果たすこころはほんの一握りです。気が付かないこころは輪廻するだけなのです

それがこの世界の現状です
あなたの役割は何でしょうか

献身の編 (その8)

意志~献身の編

第七章  それであなたは何をしているのでしょうか~その2

終わりのない世界

本当に大事な願いごとは過去・現在・未来に生きるひとたちの幸せを願うものです
自分の願いごとなど自身が努力をして叶えてください

自分の幸せがあって他人の幸せを願うものではありません
他人の幸せを願うことが自身の幸せであるということです

あなたはたくさんのひとから幸せでありますようにと願いを込められているのです
あなたはたくさんのひとからその願いによって守られているのです

だからあなたも同じようにひとのために願いを込めてください
そうしたあなたのひと知れないやさしさは必ず天まで届きます

あなたがいつも願うひとのためとは本当の真のこころの願いですか
優越感やただの傲慢で自己満足な感情が優先されていませんか
願いごとは言霊です。真のこころにある言葉を伝えてください

あなたがこころで感じること
やってよかったと思うのにやらなければもっと辛いということだけです。
それであなたはいま何をやっているのでしょうか

自分のことばかりを優先に考えるひとは
何度も続く自身の因果に打ちのめされます
その度に反省をしてこころ安らかにしなければなりません
因果に終わりはありません
因果とともに在り続けてください

そしてひとのために願うということについて自身に問うてください
因果に負けない精神力があなたを強くしてあきらめないあなたの願い(意志)は強く天まで届きます

そうして常にひとの幸せを願うあなたは
その相手のひとたちから守られるようになります
そしてさらにもっとたくさんのひとの幸せを願うようになるのです
願いとともに在り続けてください

自分が優先のひとは因果に囚われます
ひとが優先のひとは因果から解放されます

あなたが願うたくさんのひとの幸せにするということは結果ではありません
自分のことよりも相手のことを願う気持ちが大切です

あなたはひとのために何をすることができますか

献身の編 (その7)

意志~献身の編

第六章  それであなたは何をしているのでしょうか~その1

あなたは・・・
なぜ神社仏閣で手を合わせているのでしょうか
なぜ祝詞やお経を唱えているのでしょうか
なぜお祈りをするのでしょうか

そして・・・
なぜ自分のことばかりを願うのでしょうか
一体だれに伝えているのでしょうか
神さまは願いを叶えてくれたのでしょうか

理由・・・
あなたはなぜいま生きているのでしょうか
われわれが生きる理由とはなんでしょうか

かわらないもの・・・
大木は1000年経っても変りません
ひとは何故かわってしまったのでしょうか
でもあなたが変わらないものは何ですか

その意味とは・・・
過去の想いも現在、未来への願いも、「これまでも」「これからも」
生きとし生けるものすべてが幸せでありますように
それがいま生きているわれわれの願いです

そうしてあなたは・・・
たくさんのひとから幸せであるようにと願いを込められているのです
たくさんのひとから期待されているのです

だから・・・
あなたもまたたくさんのひとの幸せを願うのです
たくさんのひとに期待をするのです

幸せとはなんでしょうか・・・
なんでも望がかなうことではありません
もちろん自己犠牲による相手の幸せでもありません
相手の幸せを願うことが自らの幸せであるということです

ひとのために・・・
願いはひとのためにするものす
献身でなければなりません
あなたはひとのためにと願う意思が試されているのです

大切な一歩・・・
笑っている時は何も考えなくてよいのです
だからできるだけ笑顔でいてください
問題から逃げているのではありません
むしろ立ち向かうために勇気をもらうのです

その先に・・・
「願う」ということはなにか不安なことがあるのでしょうか
生きるということは長さではなく、その深さです
でもそれはひととして
生きるとは「こころの成長」のことをいうのです

気付きとは・・・
ひとはそれぞれに役割があります
あなたがひとを幸せにするためにできることをしてください

それであなたは何をしているのでしょうか

献身の編 (その6)

意志~献身の編

第五章  生きる理由について

あなたはいま自身が生きる理由について答えることができるでしょうか

自分自身を知ると知らないでは、生きる理由を知ると知らないでは
因果を知ると知らないでは・・・・根本的に生きる考え方がまるで違うということです

稀にその生きる理由について相手になかなかうまく伝えることができない
相手がわかってくれないということがありますが
それはまだ自分自身が生きる理由について
わかっていないから相手にも伝えることができない、または伝わらないのです

まずはあたな自身がもう一度深くに考えてみてください
都合の良い言葉では相手には伝わりません
相手に気付かせることとは行動が伴って伝わるものです

相手はそんなあなたを見て
あなたから自然に発せられる言葉から
自身の生きる理由に気が付くきっかけとなるのです

こころのままに・・・いわゆるひとのために自身よりも、他を優先して判断をするひとのことです

でもそれは自己犠牲とは、まったく違うことなので誤解をしないでください

親がこどものために想う気持ちは自己犠牲なのでしょうか・・・
そう考えればわかりやすいでしょう

生きる理由とは・・・
あなたのこころの成長であるということです

それはひとのために・・・ということです

献身の編 (その5)

意志~献身の編

第四章  価値観(お金)

お金とはひとが生き長らえる分以上に必要なものではありません。それがひとにとってのお金の価値であるのです。本来お金とは欲望の対象ではありません

感情のままに生きるからこそ自身の中でお金が一番となるのです
でも理性であるこころのままに生きるのであればお金ではなく「ひとのために」となり、お金よりも「志」が一番となるのです

そうしてお金の役割(価値)に気が付くと、優先順位が下がり同時にお金とは必然として後から追いてくるようになるのです・・・お金とはそうゆうものなのです

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あなたにとっていま一番欲しいものは何でしょうか
ほとんどのひとはお金と答えるでしょう

お金ってそんなに必要なのでしょうか
もちろんこの社会で生活をするためは必要です

でも必要以上にたくさんのお金を欲する理由とはなんでしょうか
ひとよりも高価なものを身に付けて優越感に浸りたいからなのでしょうか

欲しいものの一番がお金であるひとは・・・
そして因果の原因の多くがお金であるということです

ひとはお金の価値に気がつくまで何十年もかかります
でもその価値に気がつくと必要以上のお金が手に入るようになります

そしてつぎにまた、あなたはその必要以上に得たそのお金をどのように使うのかが試されるです

もちろん最低限の欲はあっても構いませんが、ひとのこころを傷つける強欲だけは絶対にいけません

お金の価値を気付かせるために、お金がないことを経験させることだけではなく、逆に必要以上のお金がたくさんある環境でお金の価値を気付かせる場合もあります

お金があることによって更なる強欲の世界に引き込まれてゆくことで、何が大切であるのかを気づかせようとしているのです

献身の編 (その4)

意志~献身の編

第三章 そしてまた

われわれが生きる理由とはなにか、いまは自分なりに「こころの成長」であり「こころの成長」とは因果に気付き、因果とともに在り続けることですが・・・もっとその先に何かあると感じています

それはこれまでも自分なりにひとつ答えのような気づきがあり、それで終わりということではなく、さらにまた自問するのです。それを何度か繰り返してやっとこれが最後だと思ってもまた何日後かにはさらにその先を自問するのです

これまでそんなことが何回あったことでしょうか。そしていまではこの先もまだずっと続いていくのだろうと感じています。そしてきっと生きている間にその答えは見つからないこともわかっています

ひとの人生なんてそんなものなのでしょう。みなさまもそうした紆余曲折をしながらもいまの自分には何か物足りず、きっとその何かを追い求めていることには気が付いているはずです。その気付きこそがあなたのこころをさらに成長させるのです

その何かを知ることがこころの成長であり、あなたの生きる理由なのです・・・

たとえばおとなであれば大抵のひとは誰かを守るために生きていることでしょう。でも守るとは具体的にどのようなことなのでしょうか

通常は金銭的なことで守るということを想像するでしょう。確かに生活をする上でお金は必要ですが、お金よりももっと大切なことを守らなければならないということです

ひとを守るとは相手のひともまた自身と同じように生きる理由に気付かせることがひとを守るということなのです。そうして冒頭にある因果の先にあるのは生きる理由の上流にある源泉、それは「ひとのために何ができるか」ということです

そうした生きる理由を知るとあなたの中で価値観も変わってゆくのです

献身の編 (その3)

意志~献身の編

第二章  こころとは

わたしが何故「魂」のことを「こころ」と表現をしているのかというと・・・「魂」とは読んで字のごとく鬼の云うこと。それは地獄であるこのひとの社会において「魂」と呼ぶのです

まだひとの社会が形成される以前までは強欲などなくひとは自然の中で互いに助け合い生きながら生活をしていたときは純粋に「こころ」と呼ばれるものでした

地獄と称されるこの時代で、このひとの社会において「魂」と言う言葉をそのまま使うのではなく目指すべきは「こころ」であるとしてこの言葉(言霊)を使っているのです

これまで記してきた言葉においてもう一度おさらいをすると・・・
こころとはわかりやすくは「理性」のことであり、言い換えると、「よい因果」、「摂理(自然の法則)」、「意志(志)」のことを示しています

そして精神とはそういった言葉たちからなるひとそれぞれに宿るこころの「性質」のことであると伝えています。さらにその「性質」をわかりやすくは「こころのあり様」という表現をしているものです

ひとがもつ感情(本能)から生まれた強欲は常にこころ(理性)と対峙して葛藤を繰り広げています。そしてこころの成長という本来の目的に気が付かないものの大半は理性が押しのけられて強欲のままにとなってしまうのです

そしてこころの成長を判断することはあなたが決めることではなく相手のひとが決めるものであり、どれだけひとのことを思いやることができるかどうかが大切であるのです

ひとの社会においてひととは因果のことです。そして因果のないひとはいません。言い方を変えれば因果があるからひとであるのです。そこからどれだけこころを成長させることができるか・・・それがわれわれの生きる理由でもあるのです

そして強欲とはひとのこころを傷つけることであり、それが因果となるのです。こころの成長とは強欲に気づき悔い改めることにあるのです

献身の編 (その2)

意志~献身の編

第一章 精神とこころ

こころと精神の違いは何でしょうか。同一として捉えるひともいますし、ひとそれぞれにあります

わたしなりに伝えるとすれば、まずこころとはひとそれぞれに身体に宿る意識のことです

例えば「こころないひと」とは言いますが「精神がないひと」とは言いません
「こころないひと」とは優しさがない、思いやりがないと言うことを例えているのです
こころとはひとのことを敬い、思いやる気持ちのある意識のことを云うのです

またこころとは理性として現わすことがわかりやすい例えです。感情のままに欲に溺れ強欲となりそうなときに止めてくれる意識のことです。こころの中で「それはやってはだめだよ」と理性としての意識を伝えてくれる存在のことをいいます

そして精神とはもっと広義的な意味として、ひとそれぞれに在るこころの「性質」のことを指します。性質とはひとそれぞれに宿るこころのあり様を指しているものです

例えばですが「あのひとは精神的に強い」という言い方で例えることができますが、それは耐えること、つまりは我慢をするということでもあり、我の強さを抑えるといったことを云うのです

精神が強いとは一般的に気力が強いとしても表現され、また肉体的に耐えるということを指したりもしますが、肉体的に耐えるとは結局は気力が強いとして「耐える」という精神の強さのことを表しています

「耐える」ということは、あらゆる「感情」に耐えることで、欲に対することがほとんど精神的に強いと表現されるものです。そうしてこころは感情に対抗する精神力を身に付けるのです。もともとこころに男性も女性もありません。宿る身体が男性なのか女性であるのかというだけです

ほかにもお釈迦さまが修行は無駄であると伝えられていますが、それは極限まで修行を突き詰めたお釈迦さまの言葉であって、なにもしていないわれわれ、ひとに対してその言葉は当てはまりません。感情に惑わされない「精神」を鍛錬することは大切なことです

精神とはこころの性質のことであり、その性質とはわかりやすくはひとそれぞれに宿るこころのあり様を指しているものです