- 感情は見るもの
すべてから学び
こころは感じること
すべてから意志を放ちます
感情とこころの
役割について
知るべきことです
月: 2023年6月
気付き (その528)
- あなたが感じる感情は
相手の気持ちではなく
それを見た
あなた自身の感情です
こころを惑わすのは
他人ではなく
自らのこころです
因果の領域の編 (その7)
素直であること~因果の領域の編
第六章 この世の役割
感情よりもこころである意識が優先にこの身体を利用することができるようにならなければなりません。こころはなぜひとの身体に宿すようになったのでしょうか・・・
感情とは純粋に本能であったのですが欲望が強欲となって身体を支配するようになり強欲の意識はひとのこころを傷つけることで因果をつくりだしてきています。因果とはこの身体とともに感情によってつくられます。そして、この身体があるこの世でしかい因果は存在しないのです
万物は意志そのものです。わたしはその中でよく自然をたとえとして伝えてきました。自然そのものが意志で在るということです。そして実はこころもまた意志そのものであるということです
ただひとが放つ感情は意識です。こころはひとに宿ることでその意志を意識に変えて感情と対峙しているのです。ひとはこころを成長させるための器です。道具と呼ぶには荒っぽいので控えますが、意志であるこころが意識に目覚めることでそれぞれの「志」が叶うようになるのです
ひとつの宇宙があって、地球があってひとが存在しているだけです。それを「この世」とした一つの世界であるだけです。そしてこのようなひとつの宇宙が無数にあるということです
宇宙にも「~らしさ」の世界が限りなくあるのです
それが次元の違いなのか、さまざまな役割の違いであるのか、つくられている構成が違うなどそれこそが~らしさで存在しているのです。例えば「あの世」とされる世界も次元が違う世界としてかならずどこかにありのです
少し話が飛躍しましたが、すべてが必然であるということです。偶然などありません。こころの役割、ひとの役割、この世の役割がすべて必然であり、つながっているのです。こころが成長するために必要だからこそ在るということです
こころを中心とした森羅万象において、この世はこころを成長させるための一瞬でしかないのです。そしてこの世の役割は因果に気づくために、因果を反省して良い因果をつくりだすために「因果とともに」あるということです
因果の領域の編 (その6)
素直であること~因果の領域の編
第五章 身体の寿命
あなたの人生において常に「正しい」が見つかるわけではありません。そしてほとんどのひとが「正しい」ことなどわからないのです。まただれもがわかる「正しい」もありません。あなただけの「正しい」を探さなければならないということです
いつも伝えていること、それはあなたの「正しい」は他人にとっては間違いであるということです
あなたの「正しい」は生涯をかけて探し続けるものです。ではその問いとはどのようなことなのでしょうか。それは「あなたは何のために生きているのか」ということです
でもそれでは抽象的過ぎますよね。わたしはそれをこころの成長であると伝えています。さらに具体的にはこころの成長とは「志」を掲げることとしています。そして「志」とはひと助けであり、ひと助けとはひとそれぞれに「らしさ」の方法が必要で在るということです
「~らしさ」であることはすなわち「あなたはどのような方法でひと助けをしますか」ということです。でもその前には因果に気がつくことが大切であるとしているのです。逆に言えば因果に気がつけば必然とひと助けをするようになるということです
これら一連の流れがこころの成長です。こうしてひとそれぞれに生涯をかけてあなたの「正しい」を探さなければならないということです。稀に無意識の内にひと助けの行動をしているひとがいますがそのひとになぜ?との理由を聞けば「そんなの当たり前では?」という答えが返ってくるでしょう
なぜ生涯をかけてとしているのでしょうか。ひとは一通りの欲と挫折の行動を繰り返しながらさまざまな経験をしますが事故や寿命などで身体の自由が効かなくなりできることが限られてくることではじめてこころのあり様の大事さが身をもってわかるのです
身体が不自由になってはじめて「こころの大切さ」に気がつくのです。事故や年老いて寿命によって行動が制限され欲が思い通りにならなくなることでさまざまな考えかたが変わりこころを意識するのです。こころが身体に宿るのはそのことに身をもって体験させるために身体を器としているのです
敢えてこころの大切さに気づかせるために、この世でひとにしかできないその行動と感情を利用してこころを成長させるためにこころはひとの身体に宿っているのです
因果の領域の編 (その5)
素直であること~因果の領域の編
第四章 小さな良い因果
因果の起きる出来事は当事者とその一番近いひとからその影響を受けます。因果の影響を受けるひとはその起きる出来事はその影響を受ける自身の因果でもあることに気づいてほしいがために起きるのです
当事者である場合はまさに起きたことそのものがあなたの因果です
影響を受ける一番近いひとの場合は起きたその出来事に対してその時にあなたが感じる感情こそがあなたの因果であることを教えてくれているということです
また事件・事故などで頻繁に耳にする出来事も、あなた自身が当事者または影響を受ける一番近いひとで在ったらあなたはどのような感情に見舞われるのか・・・その因果を教えてくれているということです
どんなに頑張っても、どんなに願いを伝えても叶わないことはたくさんあります。たとえば願いが叶わないことは、あなたの因果であり、願いが叶わないことであなたはどうしますか?ということです。その時に受ける感情があなたの因果であるということです
もちろん頑張って願いが叶うひともいるのです。でもそのひとはそれが良い因果へのはじまりなのか、または因果として伝えたいことであるのかのいずれかであるということです。小さなうれしいできごとであればそれは良い因果です。でも反省以上に分不相応な良い因果であれば逆に警告であると肝に命じてください
このように結果を求めることよりも、その時のあなたのこころのあり様が問題(因果)であるとしているのです
以前に運が良い、悪いは偶然ではなく必然ですと伝えています。その違いは何でしょうか。一般的に伝わる運が良いとは必ずしもそのひとにとって良いことではありません。本当に良いことが起きるとはそのひとの普段の善い行いが良い結果となるだけです
本当の良い因果とは小さな良い因果の積み重ねです。いわゆる良い因果の連鎖です。たとえば何か大きな失敗をする前に大事なことに気がつくことができたとか・・・、気がついて良かった・・・、気がつくことで助かった・・・など、ほんの些細なことでも続くことが大切なのです
因果の領域の編 (その4)
素直であること~因果の領域の編
第三章 強欲
願いは叶えられないくらいがちょうどよいのです。大切なことは願いを叶えることよりもその行動です
因果は越えられないくらいがちょうどよいのです。大切なことは因果を越えるという考えかたではなく、因果を反省して同じことを繰り返さないということです
因果とは自身の強欲によって引き起こされたものであり、同じことを繰り返さないために「反省」をするということです。因みに「我慢」と言う言葉は「耐える」という意味で良い意味で使われますが本来、「我慢」とは我欲に慢心をすること、いわゆる自己にうぬぼれていることがその意味です。因果は我慢するのではなく、因果は反省をすることです。強欲を我慢するのではなく相手のこころを傷つけた行いに対して「ごめんなさい」という言葉を伝えることが大切なのです
因果を越えるとは・・・いわゆる無くすことや、消すことはできません。因果とともにあり続けること、それは自身の因果を反省し続けなければならないということです
因果に気がついたらひたすらに反省をするということです。因果の原因はあなたの強欲です。あなたの強欲な感情による行動・言動で相手のこころを深く傷つけてしまうことが原因でありそれが結果となっているのです
因果に気づくためには自身の強欲に気がつくことです。その強欲によってひとのこころを傷つけてきてことを思い出し、ひたすらに反省をするということです
あなたの強欲とは何でしょうか?ひとのこころを傷つける強欲とは?身体を傷つけることはもちろんですがこころを傷つけるとは精神的な作用のことを言います
あなたの大切なひとを奪う、無くす、危害を加えるなどによりこころを傷つける、または直接的にひとを「騙す」、「嘘をつく」などによりこころを傷つける行為などさまざまです
そうして生まれるひとの妬み、恨み、つらみの感情が生まれ、その感情は更なる欲を取り込んで強欲となり因果をつくってゆくのです
因果のないひとはいません。因果の大小や数の違いはあっても因果があるからこころはこの世でひとの身体に宿り存在をしているのです
因果の領域の編 (その3)
素直であること~因果の領域の編
第二章 感情とこころ
前章で、ひとがもつ感情とは身体の五感を通して脳が判断するものとしています。そしてこの世でこころはひとの身体を依り代として宿っています。そのためこの世では身体が存在するから感情が生まれますが、身体が存在しないあの世では感情は在りませんとしています
そしてこころは意識そのものです。あの世では強欲によって支配されたこころは因果にも気がついていないため、あたかも前世での感情が在るかの如く、あの世では錯覚をしているのです。いわゆるあの世で悩み続けているこころのことであるということです
前述の通りこの世で身体は喜怒哀楽によってさまざまな感情の表現をしています。そしてそれらの感情から数々の欲が芽生え、さらにその中から強欲が生まれ因果をつくるのです
そして感情の感じかたや表現のしかたも育つ環境によってひとさまざまにあるのです。こうして感情から生まれた強欲は良い因果のこころとは互いに葛藤をするようになります。やがてひとの社会が生まれ、多様な感情によって生まれた考えかたは法によって統制(法治国家)され、ひと(感情)の強欲は法によって制御されるようになるのです
そしてひとは脳の発達によって進化を遂げてきたのですが同時に良い因果であったこころは強欲によって、どんどんかけ離れてきてしまったのです。こころとは元来、良い因果のことであり、良い因果とは摂理のことであり、自然のままに在るということです
その強欲によって支配されたこころは因果をつくりだし増える一方となるも、わずかながらに残る良い因果のこころは本来の良い因果であるこころを取り戻すために敢えて因果とともに在り続け、こころは因果に気づき反省をして因果を良い因果に変えようと抗っているのです
ひとがこころの成長についてどれほどの役割を担っているのか、まだまだ気づかないことがたくさんありますが、物質的な身体に在る感情と精神的な意識体であるこころは互いに必要としているのです
おさらいです。ひとの感情が欲をつくり、さらには強欲となって因果をつくります。そしてこころは因果に気付き、ひたすらに因果を反省してその因果を良い因果に変えるということです・・・
因果の領域の編 (その2)
素直であること~因果の領域の編
第一章 ひとの役割
前世からの因果に気付くためには、まず前世でのこころの性格(感情)を知ることにあります。前世のこころとは、いまこの世で感じることができる無意識の行動でわかるものです。そして今世での性格はあなたが生まれ育った環境で形成されています
いまあなたはひとからどんな性格と言われますか?
あなたがいま無意識にする行動からして、前世でのあなたがどんなこころのあり様であったかのイメージが湧くでしょうか?
基本的には前世も今もそれほどに性格は変わるものではありません
性格とは感情の言葉で現わすことができます。そして因果とは強欲から生まれ、強欲は感情の一部です
感情とはこの身体が在って存在するものであり、こころに感情が在るわけではありません。だからこそ因果とはこの世にだけ存在するものなのです。だからあの世では因果が生まれることはありません。ただ因果に気が付かないものは、当然にあの世でも悩み続けてしまうのです
本来、あの世はこころだけの世界であるため感情は在りません。ただあの世に在る感情とはこの世で身体の在ったときの状態である感情をそのまま引きづっているだけです。あたかも身体がまだあるかのようにして、感情のままに意識しているのです
因果はこころが身体に宿る世界でしか存在しません。そして因果の在る世界でしか・・・因果とともに在り続けることができなければ因果に気がつくことはできないのです。そして因果に気がつくことで因果を反省することができるのです
因果を反省することができれば因果を良い因果に変えることができます。この一連の流れがひとであるための役割なのです。こころはそのことに気がつかなければ何度も、なんども同じことが繰り返されるのです。それは転生をしてもということです
あの世について、もっと詳しく知りたいのであればあの世で確認をしてください・・・
なぜこのような言い方をするのかというとこの世で大切なことはあの世を知ることではありません。この世での役割を知ることが必要なのです
この世での、ひととしての役割を全うすることができれば、あの世のことなどどうでもよくなります。それくらいにこの世での役割に尽くすことが大切あるということです
因果を反省し、良い因果に変えること。そのためには「志」を掲げ、ひと助けをすること。もちろん「ひと助け」の方法はひとそれぞれです。それがひとであるこの世界でのひとの役割であるということなのです
因果の領域の編 (その1)
素直であること~因果の領域の編
まえがき
因果にはその範囲などあるのでしょうか。なにが因果であり、何がそうでないのでしょうか。因果とはひとの強欲の感情で相手のこころを傷つける行為のことを云います。そしてそのこころに傷を受けたひとはさらにほかのひとにも自身が受けた行為をするのです
そしてこの因果の行為は「する側」のひと、「される側」のひとがそれぞれにいるのです。このようにして互いに似た者同士たちが因果の連鎖を起こしているのです
それが引き寄せの法則であり、類は友を呼ぶといった、因果と同じようにして、できた言葉であり原因があっての結果であるということです
うそをついて、ひとを騙すといった行為、身体を傷つける行為など、こころを傷つける行為とはさまざまにあります
それはたとえ今世での行為ではなくても過去世において、ひとのこころを傷つけてきた行為がいまになって現れることもあります。こころがひとの身体に宿る理由は、因果を学び、こころを成長させるためでもあるのです
こころを成長させることとは因果に気付き、反省をするためです。因果の原因をつくったのはひとです。だからこころは因果に気がつくまで、たとえ身体は変わってもこころは身体に宿り因果を体感させて気付かせようとしているのです
こころは因果に気がつくまで宿る身体を変えては何度も同じことを繰り返すのです。だからこの世の歴史もまた同じように何度も同じことを繰り返してきているのです
それがこの世の役割でもあるのです。ひとが引き起こす数々の悲惨な事件・事故を知ればこの世は地獄であると表現をすることができるし、一方では自然の法則(摂理)を知れば、そこは天国のような世界であると例えることもできるのです
ひとだからこそ、善も悪も、そのどちらの感情も持ち合わせています。その感情をコントロールするのがこころであり、それがこころの役割であるのです
今回の因果の領域の編は第六章までです・・・それでは本編をご覧ください
まえがき
目次
第一章 ひとの役割
第二章 感情とこころ
第三章 強欲
第四章 小さな良い因果
第五章 身体の寿命
第六章 この世の役割
あとがき
以上