本当の自分とはの編 (その10)

あるべき姿~本当の自分とはの編

あとがき

比較対象をした考えかたはわかりやすいたとえ話です。代表的な例としてある「善」と「悪」、ただ本来は二極対象ではなく「善」の中に「悪」があるということです。それはあくまでも「善」を成長させるために「悪」があるということだけです

そして同じように理解するにあたりこころの中にこの世もあの世もあるということが挙げられます

こころの中にあるこの世はあなた次第の人生の世界です、そしてあの世もまたあなたが想像をしているだけの世界です。こころの中にある世界はそれぞれのこころのあり様でつくられている世界です

あなたはこの世を地獄と感じるのか、そうでないのか、たとえこの世であってもこころないひとにとっては空虚の世界のように感じているなど・・・みなさまが感じるこの世界はさまざまにあるでしょう

脳の進化やひとの社会の発達などどうでもよいということです。もちろん便利になることは良いことかもしれませんが本質はまた違います。そして本来はこの世を地獄と感じようが天国と感じるもこころのあり様次第であるだけです。ただ感じることのすべてはこころの成長のためにあるということです

そのことに気づいている、そうでないとは天と地ほどの考え方に開きがあります。またわたしの言うこころないひととはこころに気付いていないひとのことを云います。そしてひとをあざむき、憎しみ、傷つけ、殺めるようなひとはこころがないのではなく、強欲の意識に支配されて「こころ」を見失っているだけです。こころとは誰にでもでもかならずあるものです

もちろんわれわれが使う言葉によるこころないとは思いやりがないという表現で使うことが多いです。それはもともとこころとはやさしさを表現するものであるからです

われわれが生きる理由とはこころの成長であり、そのためにすべてが在るのです。そしてその教えは自然から多くの学びであるということです

これまでもその自然からの教えはさまざまに記載をしてきましたが、たとえば空を見るのが好きなひと、雲が好きなひとは、いつも顔を上げていないさいと天が教えてくれていことなど、ささいなことでも自然からの教えはあるのです

こころ穏やかに、謙虚であればあるほどに自然からの教えに気づくことができるのです

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください