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- あるべき姿~本当の自分とはの編
第八章 摂理(自然の法則)
大木が何百年、何千年と生き永らえているのは絶えず新芽を成長させているからです。大木の至る所にある枝の片隅で新芽は生きながらえます。そしてその新芽もやがては大きな枝となり新たな新芽を生み出すのです
自然は成長するだけです。その生き方は大木がわれわれの小さなこころである新芽を成長させていることとまったく同じです。さまざまにこころを成長させているのです。大木は大地から教えという栄養を授かり新芽といい「こころを成長させて」大木となります。それがこころ(自然)の摂理というものです
ただこの自然にはどうしもなくてはならなくい欠かせないものが太陽なのです。太陽があるから自然が成り立つことはすでにみなさまはご存知です。だからこそ古より世界中のひとたちは太陽を神さまと崇めてきているのです
ひとである脳の進化は成長を続けてきておりとくに科学の分野では目覚ましい進歩を遂げていますが、それでも脳にある未使用領域や遺伝子の解明など未知な部分がまだまだおおくあり、とても自然を追い越すことなどはできません
ただ追い抜く必要すらないのかもしれません。それはひとの役割ではないということです。ひとはあくまでも自然の一部であり「こころの成長」という役割があるということだけです
こどものころにみなさまはどうして空や海が青いのか不思議に思ったことはないでしょうか。空が青いのも、海が青いのもなぜ青いのか・・・もちろんすでに解明されていますがたとえ科学がなくとも、たとえその理由がわからなくてひとが生きるのに困ることはありません。ただ「青い」と意識しているだけです。さらにはたとえ色の認識がなくてもそこに海が在るとした認識はあります。ただそれだけでよいのかもしれません
極論ですがひとは脳の進化など必要ないのかもしれません。どうでもよいのかもしれません。それらはたまたまひとの社会における副産物でしかないということです
脳の進化とは欲の追求であるからです。脳の進化とはひとの役割ではありません。ひとの役割はこころの成長のために在るということなのです
そしてひとはこころの鏡であるということです。その鏡(ひと)はこころに対してこの世を地獄のように見せることもあれば、鏡(ひと)はこころを神さまのようにも映しだすこともあるのです
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