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- こころの成長~ひととしての編
第七章 使命感(わたしの場合)
みなさまは自らの「志」について意識することはあるでしょうか。ひとはみな何かを背負って生きています。それが責任感なのか使命感なのか、さまざまなあり様があることでしょう。そしてわたしなりにも「志」を掲げています
「すべての生きとし生けるものが
幸せに満ち溢れた世界となりますように
チカラを尽くします」
こうして自身の「志」を意識することで「生きる理由」をいつも感じています
そんなの自己満足ではないですか・・・生きる理由なんて知らなくてもよいのでは・・・
縛られたくない・・・好きなように生きていたい・・・ひとに迷惑をかけなければよいのでは・・・など感じかたはひとそれぞれです・・・
でも本当に「あなたはそれでよいのですか・・・」
わたしには高齢の母親がいて病を患っております。あるとき実家で介護をしているときにひとつの疑問が頭によぎりました。「意識も虚ろに認知さえも乏しい母親はこんな状態になってまで何のために生きているのだろうかと・・・」そのようなことをいろいろに考えている時にふと声が落ちてきました
「ではお前はなんのために生きているのか」と・・・。当然にわたしはその言葉に即答することはできませんでした。そして「そうゆうことなのか・・・」と気づかされました
母親の「こころ」はわたしにその気づきを与えるために・・・そのことについて教えてくれるためにわたしにその姿を魅せてくれているということです。そしてそれが母親にとっての「生きる理由」であることも知るのです
母親には大切なことを教えてくれていることへの感謝の気持ちしかありません。最期までわたしにいろいろなこと教えてくれるために生きているということに気づかされたのです。このようにして自身の目の前で起きること、すべての出来事は「学び」であることに気づくのです
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