ひととしての編 (その7)

須佐神社にて~素戔嗚さまと八岐大蛇(豪族であったひとのこと)のにらみ合いでしょうか・・・
こころの成長~ひととしての編

第六章 どうすればよいのか~その2

前章からの続きです。われわれが掲げる「志」とは摂理のことです。だから当然にひとがつくったこの社会とは相容れるわけがありません。摂理とはひとが社会をつくる以前よりあった自然界の秩序のことです。だからこそひとがつくった社会の中でわれわれは「志」を維持することが困難となるのです

これまでのおさらいですが、かつてこの世は摂理のままにある良い因果に満ち溢れた世界でした。それがやがてひとの強欲によって摂理の秩序が乱されてひとが中心とする社会がつくられたのです。ただこのひとにとって都合が良いことばかりのこの社会に対して異を唱えるものが少しずつに現れてきているということです

それが「志」に気づいたひとたちです。かつての摂理による秩序ある世界に戻すためにわれわれはさまざまに失ったものを「志」として掲げているのです

このようにしてひとがつくった社会の世を「現世」というのです。それでは「志」が阻まれているこの世界でわれわれはどうすればよいのでしょうか・・・

多くのものを失ったわれわれは簡単に元の世界に戻すことはできません。そしてあなたが生きている間になんとかして変えようとするから「志」の行動が早くなんとかしなければとの思いから傲慢に変わってしますのです

「志」を貫くためにぶつかる壁のほとんどが自身の「志」に対する不安や怖れ、疑念などです。もちろん原因はあなたの信念を受け入れないとする社会との軋轢ですが根本はあなた自身のあり様が問題なのです

ひとりで何もかもを変えようとするからあなたが生きている時間だけでは足りずに社会に潰されてしまうのです。われわれの役割とは寿命尽きるまでその「志」を貫いてひとりでも多くのひとにその想いを引き継ぐことがでればそれでよいのです。すべきことをすればそれでよいのです。その繰り返しでやがては成就することができるのです

そんなの無理だとするあなたの疑念、だれかに潰されるかもしれないというあなたの不安があなたの掲げる「志」を諦めさせようとしているのです

そんな簡単に諦められることができるのでしょうか・・・

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