気づくべきことの編 (その9)

こころの成長~気づくべきことの編

第八章 こころの隙間

大切なことをひとつ受け入れると時が少しだけ長くに感じます。ひとつまた一つとその言葉や行動を受け入れるとひとつ、ふたつと段々に時が長くに感じるのです

以前は気にも留めずにあったことが気づくようになって、いまでは時すごく長くに感じるようになるのです。それは時間の長さではなく「気づくことができてなにかうれしいな」というこころのあり様のことです

圧倒的な強欲のチカラによって窮屈に抑え込まれたときにあるときに「ふっ」とこころが虚しさや空(から)の気持ちとなって「わたしはなにやってんだろう」、「なんでこうなったのかな」とした焦燥感を感じることでしょう

われわれはみながこころに空いた無数の隙間を何とかして埋めようとその「何か」を探しているのです

こころは欲や憎しみや悲しみなどの感情によって無数に穴があけられていますが大抵はその隙間をまたほかの何かで埋めようとするのです

でもそうではなく道理で埋めるようしてください。その道理とは自然から学ぶことができます

ひとつひとつを道理で埋めてゆくことがこころの成長なのです。それぞれに空いてしまった原因はひとそれぞれに違うものです。だからこそ自分で見つけて自分でその隙間を塞いでゆくことがこころの成長であるのです

感情でこころを満たすことができるのはほんの一瞬ですが、道理でこころの穴を満たすことは永遠です

こころとは意志でありその言葉(言霊)とは「志」のことを云うのです

それがあなたらしさの道理であるということです

あなたの無数に空いたこころの隙間はあなたらしさである「志」で埋めればそれでよいのです


気づくべきことの編 (その8)

こころの成長~気づくべきことの編

第七章 大切なこと

ひとりだから淋しいわけではありません。また多数だから楽しいわけでもありません。それはただの見た目の印象なだけです。大勢が楽しいのはたくさんのこころに触れることができるから楽しいのです

ひとりが好きだからこその学ぶべきことや多数が楽しいからこそ学ぶべきことなどさまざまにあるのです。大切なことはあなたのこころのあり様次第であるだけです。あなたはひとりが好きですか。それとも集団での行動が得意でしょうか

ひとは目の前の自分の欲ばかりに目がくらみ本質が見えなくなることがよくあります
これは区役所で遭遇した出来事です

母親が身体障がい者であり、その等級が1等級から3等級に下がるために昨年までに受けていた行政からの恩恵が受けられなくなります。なんとか1等級のままにしたいという目の前の欲の思いから抜けきれない光景をを目の当たりにしました・・・

「3等級なんてそんなはずはない、母は1等級ですよ」

「でも病院の先生は3等級だと報告がきていますよ」・・・そんなやりとりが続いているのです

ですが勘違いをしてはいけません。そもそも1等級から3等級になることは母親の健康状態が良くなったという証です。それを喜ばずしてただ欲のためになぜ行政からの恩恵ばかりを当てにしなければならないのでしょうか、本末転倒の話です

でもひとは一度その甘えた環境に慣れてしまうと大切なことが見えなくなってしまうものなのです

この話はそばでその成り行きを聞いていたから本質を理解できたのですがはたして当事者であればそのことに気付いたでしょうか。それくらいに当事者は我に縛られてしまうということです。当人の生活が困窮していればなおさらのことでしょう

でも大切なことは母親の体調が良くなったということです

そうなったのだから素直に喜べばそれで良いのです 
  
あなたはなにが希望なのですか

欲でしょうか・・・それとも・・・

気づくべきことの編 (その7)

こころの成長~気づくべきことの編

第六章 しあわせ

この世はひとの感情で埋め尽くされています

辛い・悲しい・憎い・うれしい・楽しいなど、それは感情のままにあるといったひとのあり様です

良いことも悪いことも順番に起きるのです。悪いこととは「因果」のことです

そして良いことが起きるのは悪いことの因果に気づいてもらうために起きているのです

すべてはこころを成長させるため・・・ただそれだけです。良い因果とはただ感情のままにあればなかなか気づきません。とくに欲に絡んだことであればなおさら気がつかないのです。ただ良い因果とは自然に気がつくほどにもっと簡単に見つけられることができます

でも欲にまみれていては自然に触れても良い因果に気づくことはできないのです

この世にある良い因果のはじまりはひとのこころにある小さな意志のことを云います
その想いはひとであればかならずあるものです

ただひとのこころはそのほとんどが感情のままに在ります。それでも欲にまみれた感情をひとつひとつを紐解いて整理してゆけば、こころの奥底にある良い因果にかならず気づくことができるのです

良い因果とは因果の裏返しです。因果を理解することができれば自ずと良い因果とは何かがわかるようになるのです

ひとは平等にあり良いことがあればそうでないことが順番に起こるものです

ただ良い因果に気がつかずに感情のままに・・・因果のままにあればよくない出来事のほうがなんども起こりこころは失われてゆくのです

だから良い因果を知るために「ひとにやさしくしてください」と伝えているのです。「ひとを笑顔にしてください」と云うのです

そうすることで相手だけでなくあなた自身も幸せになることができるのです

気づくべきことの編 (その6)

こころの成長~気づくべきことの編

第五章 やさしさとは

やさしさとは相手が感じる言葉です

そしてやさしさとは相手を思いやる気持ちの行動です

やさしさとは特別なものではなくだれもが持っているものです。もちろん物質的なやさしさもありますが、おもいやりによる精神的なやさしさは言葉でも行動でもだれもができることなのです

そして「やさしさ」は、ひと以外の生命(いのち)を助けることもできるのです。以前にも伝えているように動物や植物は生きることが役割としています

ひと以外の生命(いのち)あるものの生きる理由とはただ「未来に命をつなげてゆく」ということだけです。そして本来ひともまた変わりなくそれは良い因果のことでもあるということなのです

やさしさとは意志の強さのことでもあります。身体の強さとはこの世の身体がある世界だけのこと、精神世界であるあの世では身体の強さなど何の意味もありません

そしてこの世でのやさしさとは具体的なひとつの例えとして「やさしさとは相手のことを思いやる気持ちの結果であり行動をして手伝うことなど物理的に相手のために何かをすることで相手が笑顔になる」ということです

それでは身体もない言葉も発せられない精神世界でのやさしとはなんでしょか・・・
前述の通りあの世でのやさしさとは「意志」のことを云いますあなたのためにその役割を担うのがあなたのことを「いつも守ってくれている神さま(こころ)」のことを云うのです

以前にも伝えている通りにあなたより少しだけ先を歩いている方たちのことです

この世であなたを守る神さま(こころ)はこれまでに何度もあなたのことを守ってくれています。そして支えてくれているのです。そのことに気づいて感謝の気持ちを伝えてください

そのためにあなたには行動することができる身体があり、言葉があるのです・・・

気づくべきことの編 (その5)

こころの成長~気づくべきことの編

第四章 ものの考えかた~その2

前章からの続きです

【考えかた】
ひとは動物たちとの共存・共栄は当たり前のことであるのにいつの間にかひとは独自の社会をつくり傲慢となってしまいました

ひとが自然から学ぶことの大切さに気がつかなくなってしまったのです

【感じかた】
「在るがまま」とは因果に囚われるものではなくそのままの言葉でありただ「在るがまま」のそれだけです。それは植物の存在と同じです

植物はまさに生きるためだけとしてそこに「在るがまま」なのです。そして在るがままとは良い因果のことであり自然のこころに一番近い存在であるのです。自然はただ意志があるままの存在なのです

【ものの見かた】
ひとが生きる理由とはこころの成長のためにあなたにとって必要だからその事象が目の前で起きるということです

【ものの見かた、感じかた、考えかた】
見かたを変えることで感じかたが変わり、感じかたが変わることで考えかたが変わります

摂理とは植物や動物などの生きる理由について教えてくれています

この世でのひとの考えかたとは欲による損得の考えかたです

忘れてしまった自然からの学びに気づいてください

ひとが「どうだの」とか「こうだの」などは一切関係ありません

あなた自身が「どうなの」であるかということだけです

気づくべきことの編 (その4)

こころの成長~気づくべきことの編

第三章 ものの考えかた~その1

家で一緒に暮らす猫や犬にとってあなたは食べ物を与えてくれる親のように認識をしています。そしてひとは猫や犬に愛情を注げばその分、猫や犬は愛情を返してくれるという良い因果の世界を教えてくれているのです

あなたの傍に動物がいるのならそれはあなたに教えを学ばせるためとして
あなたのそばにいるのです

それはひとも同じです

【感じかた】
ひと以外の生きものに因果がないのであれば、ひとの都合で食用とする牛や豚などにも「憎しみ」の因果はないのででしょうか

猫や犬は可愛いからとして特別なのでしょうか・・・

そうではありません・・・ひとが生み出した社会によってひとは傲慢となり自然とは別にひとの社会に取り込まれた動物たちを都合よく区別をしているだけです

【考えかた】
そもそもそれは動物の問題ではなくひとの因果の問題であるだけです。運の良い猫がいて、運の悪い食用の牛や豚がいるのではありません。ひとはいにしえより狩猟をして生き永らえてきています

ただ生きものに対して感謝をする気持ちがなくなってしまっているだけです

【見かた】
食用目的で飼育される生きものであっても本能において純粋な感情はあります。その動物たちのこころを傷つけて生まれたひとの因果はやがてクローンがつくられて本体のひとはただ生かされているだけの世界となるいうことです

クローンによってひともまた都合の良い存在となるのです

「する側とされる側」がただ在るだけなのです

ひとの社会は欲によってつくられていますが、ひとはすでにその欲のままに取り込まれてしまっているのです

気づくべきことの編 (その3)

こころの成長~気づくべきことの編

第二章 感じかた・・・

こころとはすべての生命(いのち)に存在します
ひとつの感じかた・・・

【植物】
自然界では植物などの生命体はそれ自体がこころ(良い因果、本能)であるのです。それは摂理(自然の法則)に最も近いこころであるということです

生きてつなぐために在るだけなのです

【動物】
やがて動物が現れ動物は食物連鎖という生態系の秩序を生み出すとこころと本能は離れてゆき本能は脳にある機能の一部に取り込まれてゆくようになったのです

動物の脳とは本能として生態系の秩序を守る役割を担い、少しずつ良い因果であるこころに気がつくようになるのです

【ひと】
本能とは脳にある意識のことです。それは動物から進化したひともまた同じです。ただひとは本能である脳の領域は動物よりも広く大きいのです。そのため本能である脳もまたさまざまな考えをするようになり、やがて脳は本能である欲から強欲を生み出し意識するようになったのです

動物から進化をしたひとのこころとは慈愛に満ち溢れた良い因果そのものでした。ただひとの本能である脳は欲を意識するようになりその意識が強欲となりい因果が生まれたのです

【転生】
転生をするのは摂理を知らない意識(魂)がするものです、だからひとだけが転生をするのです。ほかの生きものは摂理のまま生きることに尽くしているために転生をする必要はないのです。そのことをひとに気づかせるために転生をしているだけです

摂理とは自然の法則のことを言います

こころとは良い因果のことです
そして良い因果とは慈愛に満ちた行動の連鎖です

気づくべきことの編 (その2)

こころの成長~気づくべきことの編

第一章 言霊

言葉とはこころが成長するほどに行動と同じくらいに大切なときがあります。それは言葉でひとを助けることもできるということです

そして言葉とは行動のことでもあるのです。言葉とはあの世では言霊と云い意志のことです。あの世では当然に身体がなくこころしかないので言葉など発することなどできません。だからこころの意志そのものが言霊となるのです

言葉とはこの世で自然に生きるすべてのものたちに伝えるためにあるものです。それがたとえひとにはわからなくとも自然に生きるものには伝わります。その言葉とは「意志」であり「こころ」のことを云うのです

それはいまも昔も変りません。ただひとだけは段々とそのことを忘れているのです。欲に惑わされて本来の目的を見失っているのです。だからこそはじめにひとが気づかなければならないのです

そのことに気づかないものは、いまだに欲にまみれた考えや行動をしています。「ひとがどうとか、だれがなにをしている」かなど関係ありません。あなたが自然のままにあればそれでよいのです

いまいちど問いかけます。あなたが生きる理由とは何でしょうか

まずはそのことに気がつかなければなりません。自然にあるさまざまな意識には必然とした理由が在るのです

そしてひとにはかならず信念という「志」であるのです

ひとつのたとえです・・・

だれかにつぶされるのなら、その前に
多くの生命(いのち)を救います

もしだれかにつぶされたら、
今度は以前と違う方法で
生命(いのち)を救います

それでもしだれかに殺されたら、
次の世でまた生命(いのち)を
救います

伝えたいことは、ゆるぎない信念とともに生命(いのち)を救うということと同時にそれは「自らのこころを救うこと」であるのです

それがこころの成長を意味することなのです

そして「志」とはあなた自身のこころのことを言うのです

その言葉をあの世では「言霊」と言うのです

「志」の意志そのものがこころであるということです

気づくべきことの編 (その1)

こころの成長~気づくべきことの編

まえがき

わたしはいつもこの身体に感謝をしているのでこの世で身体の寿命が尽きることにそれほどの感情はありません。そしてこころだけとなってもあの世での役割を果たすことの理解をしています

それゆえどんなことでもそれがただ「在る」ことを知りすべてを受け入れます

すべてを受け入れることでこころの成長を理解できるのです。そしてこの世だけでなく次の世界でもまた同じように信念・「志」は貫きます。その想いはどの世界にあっても決して変わるものではありません

だからこそわたしの役割は決して途中で終わるものではありません。たとえ意識する世界が変わっても、そこにこころがある限りに絶対に更にその先へと進みます。そのことがとても楽しみで仕方ありません

つい最近ですが寝ているときにとても重たい気がのしかかりそれを何とかしようとしていることがありました。その重たい気は決して悪いものとは感じませんでしたが、おかげで朝起きた時は右目の毛細血管がだいぶ切れて白目が真っ赤になっていました。その重たい気に対してきっと強くに踏ん張っていたのでしょう・・・みなにはスマホの見過ぎと・・・

またわたしは祓いを生業としてないのでその分野に特化したチカラはありません。ただひとの怖れがあるならばその怖れを取り除くためのアドバイスをする程度です

この世界に生きるわれわれはそのまま欲に取り込まれるのか、抜け出してこころを成長させるのかのどちらかしかありません。いつも伝えているように欲を無くしてくださいではありません。強欲を抑制してくださいということです

そしてもともとひとのこころが携えている良い因果に気づいてくださいということです。われわれは道理を理解してその先へと進まなければなりません。そのことにわたしは大分時間がかかりましたがその分にひとよりも多くの肉体的苦痛に対する精神的な鍛練を体験してきています。もちろんこれはわたしのこころのあり様にある順番だったのでしょう・・・

それは前世での行いを気づくことによってこの世での体験が理解できるというものです

その理由もいま思えばそれらもわたしらしさとして必要なことであったのです

だからこそこの身体にはこれまで無理をさせてきたことにとても感謝をしているのです

だからひと一倍にこの身体があることに感謝しているのです

ありがとうございます・・・



まえがき

目次

第一章 言霊
第二章 感じかた・・・
第三章 ものの考えかた~その1
第四章 ものの考えかた~その2
第五章 やさしさ
第六章 しあわせ
第七章 大切なこと
第八章 こころの隙間

あとがき

以上