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- こころの成長~自然についての編
第三章 動植物からの教え~その1
基本的にはひとの「こころ」はひと以外の器には宿りません。もともと「こころ」と言う概念はひとだけにあるものです。ひと以外の生命はこころとは本能そのものを云うのです
現在においてわれわれは自然から学ぶことばりです。それはその動植物から学ぶべきことがあるからこその必然なのです。動植物にあるこころ(本能)を学んでくださいということです
それなのにひとは動植物をひとの都合だけで扱うのです。例えば動物であればなぜこんなところで排泄をするのか、なぜ壁を傷つけるのか、植物であればきれいな花を良しとして雑草は排除する、それでもまた生えてくる・・・などさまざまにありますが動植物にとってはそれがごく普通に当たり前のことなのです
ひとは可愛いからと言って都合よく動物を飼っておいていざ自分の言うことを聞かなければ動物に感情をぶつけるなどありえないことです。植物であっても花だけが重宝され草には目もくれません
ひとは動植物のこころである本能を学ばなければならないのです。動植物がさまざまに生きているように、ひとも国ごとで考え方や生活習慣などさまざまに違うのと同じです
動植物のこころである本能を学ぶとはひとと違って動植物には悪しき「因果」はありません。そのために本能のままに生きる純粋さ、さまざまな生き物がそれぞれに~らしさで役割に尽くしていることなど多種多様に学ぶべき教えがあるということです
だから輪廻(やり直し)をするのはひとのこころだけです。前述したように自然以外の生命はすべてその役割に尽くしているので輪廻はありません。役割に気がついていないひとのこころだけに輪廻があるのです
命ある生命のすべてに役割があります。その役割とは生命にあるそれぞれの本能です
ただひとには本能以外にこころがあり、こころのままに尽くすことが役割であるのです。ただひとだけがその強欲・傲慢さゆえにこころ(自然)から離れて役割に気がつかなくなってしまったのです
こころである自然の役割に気がついてください
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