一生涯の編 (その1)

神さまはいない~一生涯の編

まえがき

わたしが幼いころから見ていた母親の日々の神棚へのお水上げの記憶、その光景を見ていて、こども心に「これだけ毎日お水を上げていたらきっと神さまはうれしいだろうな・・・」と想っていました。

そして大人になりその想いは「その行動を続けていれば悪ことは起きない」と信じるようにもなりました。そして同時に良いことを起こしたいのであれば自分がもっと努力をしなければならないと感ずるようにもなりました。

以前はかたくなにひとつの神社しか参拝をしていなかったのに数年前より毎年お正月に参拝をする神社の本宮に行ってからはなぜかほかの神社のことが気になり始めてそれからはさまざまな神社に行くようになりました。

同じことをひたすらに継続することも努力です。ですがそれと同時に一歩まえへ踏み出すことも努力です。

それからはというもの以前にもお伝えをしたように早朝からの神社参拝からはじまり、次に奥宮への登拝、そして夜焼け前の登拝や参拝途中でのごみ拾い、また地図をみて稜線の踏破と辿り着いた祠の掃除など、この3年間におけるその行動の源泉は「すこしでも近くでご挨拶をしたい」ただそれだけでした。ただ行きたいと感じただけです。

それは「感謝の気持ちを少しでも近くで伝えたいだけ」ということです。
感謝の気持ちを伝えるのに遠くも近くも関係ないことはわかっています。ただそれを言葉で表現をすると上記のようになります。

これまで行こうと思った登拝などの場所へは必ず行くことができました。登拝(山道)のルート間違えそうになりながらもその間違いにどこかで気づき戻り直して辿り着くことができました。

行動を起こすまでの不安や緊張はだれにでもあります。できるかできないかではなくそうしたいのか、したくないのかその意志があるかないかです。これは誰にでも備わっているものですが気づくかどうかはきっかけ次第なのです。

みなさまにはみなさまの環境があって意志があります。その環境の中でそのきっかけを活かすかどうかです。それはあなた自身のこころの声を信じるかどうかだけなのです。

それでは本編をご覧ください


目次

第一章 尽くすこと
第二章 理由
第三章 役割
第四章 ひとのために
第五章 「志」という意識
第六章 正解
第七章 約束
第八章 有限
あとがき

以上

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