慟哭の編 (その9)

神さまはいない~慟哭の編

第八章 希望と絶望

「志」という意識は相手に希望を与え、何もしない明日は絶望を引き寄せます。
「志」の意識とは未来のひとのための生きる希望であり、絶望とはなにも行動をしないという毎日の結果です。

毎日をなにか簡単なことでもよいので相手が喜ぶことをしてください。どんな些細なことでも構いません。たとえばごみ袋が満杯になったら次にごみを捨てるひとが捨てやすいようにあなたが古いごみを捨てて新しい袋を用意してあげてください。

だれもやらないことをあなたがしてください。それがたとえ相手に気づかれないことでも構いません。ひとのためにと意識をしてなにか行動をしてください。

相手の希望とはあなた自身が成長したいとする希望でもあるのです。

いままでの絶望よりももっと深い絶望があるように、いまある希望よりもっと意識が拡がる希望があります。「志」の意識とは少しだけ先のことを知っているので迷うことはなく、やましいこともないので悩みや恐れを抱くことなどありません。

ここまでは今日から明日へのお話でしたがこれよりは今日までに至る希望と絶望のお話をします。

この希望と絶望のような相反するふたつの言葉は必ず一方が存在をしてもう一方の言葉が生まれるのです。もともとは存在しなかった希望は絶望によって生まれた言葉なのです。そして更に過去を遡れば絶望という言葉さえ存在していなかったのです。それを強欲により己が自身を見失ったときの感情が絶望へと変えたことがはじまりなのです。

強欲に端を発するひととの比較によって感情から生まれる言葉なのです。

いまでは互いに存在する希望と絶望の言葉の感情、この左と右にある言葉の真ん中に在ることを意識すれば互いが打ち消し合ってふたつの言葉は存在せずに惑わされることはなくなるのです。このようにほかにも相反する言葉、たとえば「幸せ」と「不幸」も同様です。

真ん中で在れば互いに打ち消されたその先に「志」の意識が見つかるのです。

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