仮想現実の編 (その6)

神さまはいない~仮想現実編

第五章 未来の記憶

仮想現実とは「こうであったら良い」や「きっとこうだろう」などとしたこの先の未来のことを意識したものです。反対に現時点から過去を想像することは記録などで計り知ることができます。ただ過去のひとがさらに過去を記したものはその時に書いたひとが過去を想像した仮想現実により書き残したものです。

この現実とはあくまでも共有されたものであり、本来はひとそれぞれが自らに仮想現実という空間を創り出し現実と共有しながらその中で生きているということです。

未来の記憶とはひとが想像をした未来の仮想現実をイメージしたものです。この先に起こるであろうその想像はこれまでもそうであったようにそれほどの違いはないでしょう。

未来の記憶とは大別をすればひとは更なる進化を遂げているのか戦争または環境破壊で自然による淘汰のいずれでしかありません。ひとが共有をする未来の想像などはいまの現実を理解すればそんなに難しくはありません。その中でわれわれひとがどのような行動をするのかが大切であるだけです。

未来の記憶とはひとそれぞれによって行動された結果を指し、われわれがいまどんな現実を創り出すのかが問題であるだけなのです。

すべての生命が想像する未来とはこの地球における適者生存でしかありません。そのなかでもひとは文明と共に進化をして、そして他の生命は自然と共に生存をしてゆきます。

ひとは想像をすることで文明を発達させてきました。物質的想像も精神的想像も同じです。

例えば想像をさらに進化させればこの先にテレパシー(精神感応)を利用した伝達方法となることなども容易に想像ができます。

もう一度記載をしますが、この現実とはあくまでもひとが共有するものであり、本来はひとそれぞれが自らに仮想現実という空間を創り出し現実と共有しながらその中で生きているということです。そしてこの精神的想像の本質がひとの「こころ」と呼ばれるものです。

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