はじまりの書 (その3)

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第二章 常世の役割

常世は現世の延長であり、こころを成長させるという目的は現世と変わりません。それでは常世でのこころの成長とは何でしょうか。

現世では因果に気づき、因果を消してこころを成長させますが、常世では感情を消してこころを成長させることです。現世で因果を消すことについては以前にも伝えてきましたが、では具体的に常世での感情を消すとはどのようなことでしょうか。

現世での「脳とこころ」の葛藤と同じように、常世ではこころが現世から引きずる感情とそうでないとする間違いを正そうとするこころとの葛藤です。常世では身体がないので感情は必要ありません。

それでも現世で経験をしてきたこころは大抵の場合、現世での未練を残したまま常世にまでさまざまな感情を引きずってくるのです。それを消してゆくのが常世での役割です。もちろん現世で因果に気づいているものであればさほどむずかしくは有りません。

現世で断捨離をすると運気が良くなるといいますが、それと同じで常世でも必要ないものは断ち切ることでこころは成長するのです。未練を残すとこころが成長しないのです。

常世では「感情を消すことができても、因果は消すことができません」 
 
常世では身体がないので感情は必要としません。だから感情は消すことができるのです。常世での感情とはそもそも身体がないのでイメージでしかないのです。常世にあるのはこころだけです。そして当然に因果を創ることも消すこともできません。因果とは感情があってのことです。 常世に因果を持ち込めばその因果に気づくまで苦しみ続けるだけです。

因果を消すことができるのはあくまでも現世だけです。だから転生があるのです。たった一度の現世だけではそのひと自身のすべての因果を消すことはなかなかできません。だから何度も転生をして因果を消してゆくのです。

常世は感情を消す世界(場所)であり現世は感情を創り出す世界(場所)です。現世でひとが持つ感情は相手があってはじめて感情から因果へと変わるのです。でも感情を必要としない常世では相手もいないため因果を消すことはできないのです。それがこころを成長させるための常世・現世のそれぞれの役割です。

常世での感情は現世に未練のあるイメージにすぎません。またイメージだから感情を消すことできるのです。それが常世でのこころの成長なのです。

では具体的に常世での感情を消すとはどのようなことでしょうか。それは因果に気づき、理解をするということです。因果を理解することでその原因となる感情は必要ないことを知り、消すことができるようになるのです。感情を消してゆくとはこころを浄化させてゆくということです。ただし因果を残していれば感情を消すことができません。因果そのものが感情で創られているからです。故に因果に気づくまで苛むのです。常世で因果を消すことはできませんが因果を知り理解をすることはできます。

常世の根本は「無」です。ただ「無」であるがゆえにいかようにもイメージをもってさまざまな世界を創り出すことができるのです。現世に執着をしているこころは現世での感情のイメージをそのまま常世にまで引きずります。それでも常世で因果を知り理解をするものは少しずつ現世からの感情を消してこころを成長させてゆくことができるのです。

また逆に我の強さや欲深さなどで自分の思い通りにできていた現世と違って常世ではそれがどうにもできない世界です。そもそも現世では対象となる相手がいるからこその強欲であり欲深さですが常世ではその相手がいません。だから現世で強欲に執着をしたこころはこの感情の罪を償うべく自ら勝手に相手を創り出したイメージの世界で因果に気づくまで、もがき苦しむことを繰り返すのです。

常世では現世から引きずっている感情が創り出したイメージを映しだしているだけです。そのイメージの世界に未熟であるこころは翻弄されてしまうのです。欲におぼれて周りが見えなくなるのは現世と同じです。

はじまりの書 (その2)

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第一章 現世の役割

ここで少しだけこれまでのおさらいをします。

現世での役割とは因果を知り、因果を消すこと、そして最終的にはひと助けをすることがこころを成長させることだと伝えてきました。現世は因果の世界であるがゆえに因果の何たるかを中心に伝えています。

そして現世では「因果を消すことができても、感情は消すことができません」

自らの因果に気づきこころ改めることで因果は消えてゆきます。ただし因果を創り出す原因であるひとの感情は消すことはできません。感情があるからこそのひとだからです。

自らの因果を消すことができるのはほかの誰でもなくこの現世であなたが創り出した因果は、あなた自身でしか消すことはできないということです。たとえ血縁関係であっても他人の因果を消すことは絶対にできないのです。

ひとは欲があってこそ、感情があるからこそ因果を創り出しています。そして現世だからこそ因果を創り出すことができ、そしてまた消すこともできるのです。因果を創り出しているのは感情です。ただこの感情はひとにしかありません。よほどの方ではない限り現世で自らの感情を消すことなどできません。それは常世での役割です。

現世の仕組みとは因果に気づき、その次に因果を消すことをするのですが、はじめは簡単な因果を消すことから始めて次第に大きな因果へと進みます。こうしてひとつずつ消してゆきこころを成長させてゆくのです。

ひとつの例ですが、この現世で因果に気づかないまま更なる感情の罪を犯したものは例え因果を知らなくてもいけないことをしているという自らの罪は知り得ています。ただ引き返す勇気がなく、またその方が楽なので現世で感情の罪をさまざまに重ねてゆくのです。最初は小さな因果です。それは自らにとって楽で都合が良いものなのです。

例えば嘘をつくといったことなどがそうですが、その小さな嘘の繰り返しがやがてひとのこころを傷つけるような大きな嘘となるのです。

そして因果を残したまま現世を終えると、その因果を常世まで引きずってその因果に気づくまで苦難にさらされるのです。そのもがき苦しむ苦難とは自らが勝手に創り出したイメージの世界であることにさえ気づかないのです。

転生を繰り返すのは現世で自らの因果をひとつひとつ消してゆくためです。現世での苦しみも常世での苦しみもこころが受ける苦難は同じです。現世で因果に気づかないものは常世でも因果に苦しみ、悩み続けるのです。

はじまりの書 (その1)

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まえがき

以前にも記載をしましたが
改めて掲載します

「わたしをお守りくださる、神さまたちに
感謝の気持ちを伝えます」


辛い思い出 いくつあったのだろう
楽しかった思い出 
どれくらいあったのかな

きっとこの身が滅ぶ時に気付くのでしょう

やはり辛い思い出のほうが
多かったのかもしれない
でも生きてきてよかったと
思うのは何故だろう

それは辛かったことが納得できたから 
その理由がわかったから

瞬(まばた)きひとつの人生 
そんなに悪くはなかった

同じ想いをするひとは 
どれくらいいるのだろうか
たくさんいるといいな

つぎに生まれてくるときも 
そうでありたい

ただその時にはあなたのように 
ひとを助ける役割として

あなたがわたしに
たくさんのしてくれたことを

今度はわたしが守るひとと
一緒に乗り越えて行きたいな

そのひとはわたしに
気づいてくれるかな・・・

つながりとはこうゆうことも
伝えているのでしょう

ひとにこころから
幸せだと感じてもらうこと

そして神さまをも喜ばせるとは 
そうゆうことですよね

いま神さまは喜んでくれているかな
もちろんわたしは幸せでしたよ

たくさんのこと 
教えてくれてありがとうございます

みなさまがこの気持ちに
気づいてくれたなら

もっとたくさんのひとが
幸せに満ち溢れたた世界となるのかな

あとすこし・・・
まだ やり残したことがあります

つぎのひとたちにこの想い 
伝えてゆかなければなりません 
あともうすこしかな

これがわたしの常世に向かうための 
はじまりです


【はじまりの書】
まえがき
目次
 1、第一章  現世の役割
 2、第二章  常世の役割
 3、第三章  意志の強さ
 4、第四章  こころのはじまり
 5、第五章  常世と現世の関係
 6、第六章  大切な「身体」の役割
 7、第七章  ものの見かた、
        考えかた、感じかた
 8、第八章  神さまの因果
 9、第九章  常世でのひと助け
10、第十章  神さまを越えて
11、第十一章 常世とはこころ
あとがき
以上

己が自身 (その47)

やさしい雰囲気をまとうお姿
仕事でも

恋愛でも

あなたらしさが

魅力です

相手は商品を

選ぶのではなく

あなたを選ぶのです

所詮は

ひととひとの

やりとりです

これは

物々交換の頃から

変わりません

ものはひとの

付加価値でしか

ないのです

ひたすらに

考えてください