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- 第二章 常世の役割
常世は現世の延長であり、こころを成長させるという目的は現世と変わりません。それでは常世でのこころの成長とは何でしょうか。
現世では因果に気づき、因果を消してこころを成長させますが、常世では感情を消してこころを成長させることです。現世で因果を消すことについては以前にも伝えてきましたが、では具体的に常世での感情を消すとはどのようなことでしょうか。
現世での「脳とこころ」の葛藤と同じように、常世ではこころが現世から引きずる感情とそうでないとする間違いを正そうとするこころとの葛藤です。常世では身体がないので感情は必要ありません。
それでも現世で経験をしてきたこころは大抵の場合、現世での未練を残したまま常世にまでさまざまな感情を引きずってくるのです。それを消してゆくのが常世での役割です。もちろん現世で因果に気づいているものであればさほどむずかしくは有りません。
現世で断捨離をすると運気が良くなるといいますが、それと同じで常世でも必要ないものは断ち切ることでこころは成長するのです。未練を残すとこころが成長しないのです。
常世では「感情を消すことができても、因果は消すことができません」
常世では身体がないので感情は必要としません。だから感情は消すことができるのです。常世での感情とはそもそも身体がないのでイメージでしかないのです。常世にあるのはこころだけです。そして当然に因果を創ることも消すこともできません。因果とは感情があってのことです。 常世に因果を持ち込めばその因果に気づくまで苦しみ続けるだけです。
因果を消すことができるのはあくまでも現世だけです。だから転生があるのです。たった一度の現世だけではそのひと自身のすべての因果を消すことはなかなかできません。だから何度も転生をして因果を消してゆくのです。
常世は感情を消す世界(場所)であり現世は感情を創り出す世界(場所)です。現世でひとが持つ感情は相手があってはじめて感情から因果へと変わるのです。でも感情を必要としない常世では相手もいないため因果を消すことはできないのです。それがこころを成長させるための常世・現世のそれぞれの役割です。
常世での感情は現世に未練のあるイメージにすぎません。またイメージだから感情を消すことできるのです。それが常世でのこころの成長なのです。
では具体的に常世での感情を消すとはどのようなことでしょうか。それは因果に気づき、理解をするということです。因果を理解することでその原因となる感情は必要ないことを知り、消すことができるようになるのです。感情を消してゆくとはこころを浄化させてゆくということです。ただし因果を残していれば感情を消すことができません。因果そのものが感情で創られているからです。故に因果に気づくまで苛むのです。常世で因果を消すことはできませんが因果を知り理解をすることはできます。
常世の根本は「無」です。ただ「無」であるがゆえにいかようにもイメージをもってさまざまな世界を創り出すことができるのです。現世に執着をしているこころは現世での感情のイメージをそのまま常世にまで引きずります。それでも常世で因果を知り理解をするものは少しずつ現世からの感情を消してこころを成長させてゆくことができるのです。
また逆に我の強さや欲深さなどで自分の思い通りにできていた現世と違って常世ではそれがどうにもできない世界です。そもそも現世では対象となる相手がいるからこその強欲であり欲深さですが常世ではその相手がいません。だから現世で強欲に執着をしたこころはこの感情の罪を償うべく自ら勝手に相手を創り出したイメージの世界で因果に気づくまで、もがき苦しむことを繰り返すのです。
常世では現世から引きずっている感情が創り出したイメージを映しだしているだけです。そのイメージの世界に未熟であるこころは翻弄されてしまうのです。欲におぼれて周りが見えなくなるのは現世と同じです。
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