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やさしい雰囲気をまとうお姿
- こころとは
意志のことであり
意志とは
良い因果のことです
ひとに対して
常に
感謝の気持ちを
発してください
やさしい雰囲気をまとうお姿
- 自身の因果に
目を背けることはなく
ともに在り続けて
ください
ひたすらに
相手のこころを
傷付けた
あなたの因果を
反省してください
それがはじめの
一歩です
やさしい雰囲気をまとうお姿
- こころは
真ん中で
あってください
左右の中心よりも
さらに
球体の中心で
あることが
真ん中です
やさしい雰囲気をまとうお姿
- あなたが
無駄に思うことは
あなたにとって
なんの役ににもたちません
でも
工夫をすれば
楽しくなりますよ
やさしい雰囲気をまとうお姿
- あなたが
行動をすることに
無駄なことは
なにひとつ
ありません
いづれかならず
あなたの
役にたちますよ
三峯神社奥宮からの日の出写真です 三峯神社の境内に現れた龍神さまのようですね
- 次回は7月に掲載をします
わたたしは書き物で
みなさまに気づきが
伝わればとの想いで
綴っています
みなさまがいつも
笑顔であるように
背中を押してゆきますね
—————————
これまで通りお金とは一切無縁のブログです
ただこころを成長させれば
必然とお金には巡り合うことはできます
そして他社さまの無料ブログで
掲出される広告が苦手なので
あえて自分で費用を捻出して
このブログを管理しています
それがわたしの役割の
ひとつでもあると思う次第です
龍神さまの口から龍蛇神さまが飛び出しています
- 神さまはいない~意識の編
あとがき
よくもわるくもひとが意識する想いはさまざまな感情を引き寄せます。その想いが強ければ強いほどに似たような感情は引き寄せられてくるのです。そして行動をすればさらにその意識は他を引き寄せてきます。
今回みなさまの内なる想いである第一章から第八章までのタイトルの言葉について意識をして行動に取り組めばあなたの不安、ストレスなどは減ってゆくことでしょう。すべてはこころのあり様です。
その想いを強く意識をして行動することが大切です。最初はなかなか上手くゆかないかもしれませんが何度も行動をしてみてください。あなたの身体です。ぜひ自らの意志で脳をコントロールできるようになってください。
未知の体験をできないと思えば絶対にできません。このできないと思うことは防衛本能によるものなので当たり前の話です。できないという先入観が身体を制御してしまうのです。ただ逆に自分は何でもできると意識をすれば身体はある程度は順応をして必ずできるようになります。あとは継続した意識付けをこころがけすることです。
「病は気から」は一番わかりやすいたとえですよね。ただ基本的に悲観的なひとや常に自分は悪くないとして他責にするひとなど、思い込みや我の強いひとはわかりやすいものです。考えかたひとつでいかようにもなるということです。
ひとの性格は生きる環境によって養われます。生まれつき戦争をしている国で育った子供と平和な国で育った子供は命に対する考え方などまるで違います。これは極端な例えですが同じ日本で育ったとしても生きた環境の違いで考え方は違います。そのことを理解してまずは相手を知ること、己自身を知ることから始めなければなりません。
何事もの自らに適当な理由付けをしてあきらめることは簡単です。でもあなたが行動をすることは必ずあなたの為になることです。あきらめずに意識をして行動を続けてください。
2021年5月吉日
龍神さまの口から龍蛇神さまが飛び出しています
- 神さまはいない~意識編
第八章 小さな息吹
登拝をしていると植物の小さな芽が必死に生きようとしている姿を目にします。ただその小さな芽はそこを歩くひとによって踏みつぶされても植物は何も言えずそれでもまた成長しようと試みます。ただひとにはその踏みつぶされた感覚を理解できます。ただわれわれはそのことに気づかない、気づこうとしないのです。そんな小さな息吹の雑草を意識したところで価値に値しないという想いがあるからです。
ただその小さな芽はわれわれにいろいろと教えてくれているのです。踏みつけられても生きようとする強い意志があること、またそれを他のひとが助けてあげなければと言った意識を教えてくれていることです。この小さな芽が気づかせてくれた「助ける」ということを教えてくれていることはわれわれにとってとても大切なことなのです。
自然の教えとはひとにさまざまな気づきを与えてくれるものです。それはとてもわかりやすく順序立てた流れであり、それはいわゆる原因と結果です。もちろんひとの勝手な都合などは一切ありません。
小さな芽が生きようとするその時の気持ちをひとに教えてくれているものです。踏みつけてはいけないと言う事ではなく、この小さな息吹の想いに気付いてほしいと教えてくれているだけです。これはひとだけにしかわからないことであり感情があるから気づくことができるのです。
ただあるものはそのことに気づいていながら敢えて踏みにじるひともいます。わかっていながら踏みつけるのです。このようにしてひとの意識とはさまざまにあります。踏みつけることで生命に対して憎しみを放つものたちです。それは日常に起きる事件・事故がそれを物語っています。
ひとはみなが平等です。ただそれと同時に不平等も平等であるのです。別の書でこの世界こそが地獄であると記載をしています。現実に起きていること、それが事実です。この憎しみは至る所にありひとの感情と同化して隙あらばこころは取り込まれてしましまいます。
一通りの人生を生きてきたひとならばすでにおわかりでしょう。たとえそれがわからなくともなんとなくでもわかっているはずです。そのことに意識をするきっかけがないだけです。
ひとだけが気づき、ひとだけが行動ができて、ひとだけが多くの生命を助けることができるのです。ひとには可能性があります。だからひとは自然界の頂点に存在しているのです。だからこそすべての生命より信じられて期待されているのです。
龍神さまの口から龍蛇神さまが飛び出しています
- 神さまはいない~意識の編
第七章 緊張
精神的な重圧や緊張、不安、ストレスなどを感じる感覚はみな同じです。違うのはその起きうる状況だけです。みなさまもいずれかの経験はしたことがあるでしょう。ただこれは自分でその感覚を作り出しているだけです。すべては自らの想いでその感覚を作り出しているのです。これらは未知なる状態に対するひとつの防衛反応です。
ひとは普通に防衛本能が働くため無意識のうちに身を守る行動や考えをします。それは本能といってもよいでしょう。一体何に怯えているのでしょうか。以前にひとは自然界で頂点に立つものであると表現をしていますが実はその本能のままに怯える対象であるのが自然そのものです。天災にはひとのチカラで抗うことはできません。ただひと以外は自然と共存をしているのに、ひとだけは独自の社会を築いてきたがために自然とは共存をせずに自然からだいぶ離れてきてしまいました。
だからひとは自然に対して常に緊張や恐怖を感じているのです。社会の中で体感をするプレッシャーや緊張とは明らかに違うものです。ひとが無意識のうちに畏れを抱く自然とはそれを意識する、しないではまったくその感覚はまったく違います。常に意識をすることで畏れではなく自然の一部となって敬い感謝をすることが大切なのです。
ひとは自然に対して無意識に防衛反応を示すため意識をしなければ大体は真っ先に保守的な思考となってしまうのです。これは身を守るための本能であり仕方がないのですが常に変革の行動を意識すれば保守的に陥ることはなくなるようになります。
ひとは安心をするために行動をパターン化します。それを変えてみることを試してみてください。変えるとは、時間を変える、電車であれば車両を変えるなど意識をして変えてみるのです。または同じ通勤途中でも一日の行動について今日は何をしようかと意識してみるなど常にその行動や意識を変えてみることが大切です。
その習慣を身に付けてみてください。そのようにすることで緊張や不安、ストレスなどは減ってゆきます。ひとは保守的であり無意識が楽だからこそ気づいたときには不安やストレスを抱えるようになるのです。
常に変革の行動を意識することは脳の活性化にもつながりこれまでと同じ不安やストレスではなく新しくさまざまな感覚を身に付けることができるようになるのです。
龍神さまの口から龍蛇神さまが飛び出しています
- 神さまはいない~意識の編
第六章 理想
ひとの社会において経済学者やアナリストがマクロ経済における社会の理想を論じてもそれは富裕層や中産階級の構成比が多少代わるだけで、貧困層がなくなるわけではありません。資本主義であればばなおさら当たり前です。
ただそれでもいまより良い世界を創るために理想を掲げますがこれまでもそうであるように何も変わりません。
そしてひとはいまの生活環境について社会のせいやひとのせいにしますがあなたがいまいる環境はあなた自身が創り出していることを理解してください。資本主義のせいだ、社会主義だったらよいのに・・・など何かのせいや誰かのせいにするなどは論外です。誰かに、何かに依存をした考えかたの方が楽だから、流されたほうが楽だからそうなるのです。
行動もできない年齢の子どもは別として、根本的にどのような社会であってもいまあなたがいる環境を創っているのはあなたのこころのあり様で創られているのです。「こころのあり様」とはあなたの感じ方次第、考え方次第、行動の仕方次第ということです。
ひとの世を変えるのは社会ではありません。われわれそれぞれのこころのあり様が社会を創るのです。ひとりひとりが「志」に尽くして生きることが大切です。「志」の短所は他のひとにある「志」が補えばそれでよいだけです。
ひとはこのことに気づくために争いや環境破壊、災害が起きたときに気づくのです。そして世界そのものを一旦リセットされなければわからないのです。これまでそうして同じことを繰り返してきているのです。
そしてこのまま100年先の世界ではひとさえも必要としなくなっている世界であるのかもしれませんし、または文明が一度リセットされた世界になっているのかもしれません。
でもたとえどんな世界になろうとも「こころ」はその社会に飲み込まれたままであるのか、または「志」の意識を保ちながら転生を繰り返しているかいづれにしても同じことを繰り返されているだけの世界です。
あなたがいま、「志」を掲げて意識をした考えや行動をするのならばこの繰り返される因果の世界から抜け出せるかどうかにかかっているのです。
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