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- 神さまはいない~慟哭の編
第二章 こころの痛み
唇を噛み締めて、声を震わせる・・・あなたがとても悔しかった思い出は何でしょうか。
誰にでもひとつやふたつは必ずあるはずです。スポーツの勝負で負けた時、コンテストで優勝できなかったこと。各種の試験で合格できなかったことなど様々にあるでしょう。
これらは目的を成し遂げられなかったことによる激しい感情です。目標達成のために費やした時間が長ければながいほどに、深ければふかいほどにその悔しさが増すものです。「これだけやったのになぜ」と・・・
ただそれと同時に自分は精一杯やったから仕方ないと、こころのどこかで傷を癒す思いもあるのです。そう思えばあきらめることができるから・・・でも本当にそれでよいのでしょうか。本当に精一杯やったのでしょうか。それはまだまだ努力が足りないものこそが放つ言葉です。
なぜあなたは目標に届かなかったのでしょうか
緊張して本来のチカラを発揮できなかったからでしょうか
精一杯にチカラを出し切ったにも関わらず叶わなかったのでしょうか
ではなぜ勝つことができなかったのでしょうか
そしてなぜ自分よりも優れた相手がいたのでしょうか
その答えは単純に相手が自身よりも努力をしたからにほかなりません。
こんなはずじゃなかった・・・
あのときこうしておけばよかった・・・
あなたの行動の結果に「もし・・・」はありません。それが事実であり、相手があなたより優れていただけです。さすればこの先あなたに問いかける「もし・・・」もありません。ただ相手のひとはあなた以上に長い時間をかけて、あなたよりも深くに努力をしたのです。
気持ちだけではどうすることもできません。チカラとは努力によって養われるものです。努力をして一番になれるのならいまよりもっと努力をすればよいだけです。
でも本当に大切なことは相手に勝ったか負けたかでもありません。あなたが学ぶべきは「ひとと比較をしてはいけません」ということです。もし比較をしたいのであれば昨日の自分よりも今日の自分が成長しているかどうかを比べてください。
以前にも伝えましたが相手と比較をすることは自分の限界をつくってしまうことです。成すべきことはただひたすらに一歩前を歩く自分に負けないでください。
そして今日とは違う明日の自分に期待をしてください。
- 神さまはいない~慟哭の編
第一章 悲しみ
ひとは嘆きの数だけ、絶望の深さを経験をして成長します。だがわれわれはその数も深さもまだまだその経験が足りていません。ひとは楽なほう、楽なほうへと進もうとするからです。たとえ悲しみを目の前にしても自分に言い訳をして逃げようとします。そして時間の経過で悲しみを忘れようとするのです。
悲しみは忘れようとするのではなく、ともに在り続けるものです。忘れなさいではありません。受け入れなさいとしています。いつも悲しみと共に在ってください。
慟哭とは大切なものが傷つけられたとき、または失われたときに生じる感情です。原因があっての結果、理由があっての必然は絶対です。これを理解して、受け入れていれば悲しみは一時で終わります。
それは悲しみよりももっと大切なことがあるからです。そのことに気付くことができれば一時で終わるようになるのです。何も気づかなければいつまでも悲しみに苛まれることでしょう。
悲しみを憎しみに変えてはいけません。悲しみはあなたのこころを成長させる大切な経験としてともに在ってください。
生きる意識に気づくひとは男性よりも女性のほうが多いです。その理由は精神的に男性よりも女性のほうが強いからです。もちろん命(子)を宿すことができるため当然なのです。
女々しいという言葉も男性を蔑んだ時に使われる言葉です。このようにして悩みからの回復も圧倒的に女性のほうが早いのです。その強さはある意味で動物の本能です。
成長するとは年を重ねることではありません。どれだけ嘆きの数や絶望の深さによる悲しみを踏み台にしてきたかで決まるのです。
いま生きているこの時は戦争の時代でもなく原爆を落とされた時の経験者でもありません。その先人たちの礎によって、平和な世界で生きているのです。だからこそその悲しみを忘れずに精神的な強さをもってこころを成長させてゆかなければならないのです。
- 神さまはいない~慟哭の編
まえがき
ひとの笑顔は幸せに満ち溢れ、すべてを包み込む瞬間を享受できますが、慟哭は声を震わせるほどの悲しみに打ちひしがれることがあるのも現実です。
笑顔と慟哭は同じことです。どれだけの無理をしたらこんなにもの笑顔でひとにやさしくなれるのでしょうか。すべてを受け入れて数々の苦しみに耐え抜いた強い意識だからこそ、その理由を決して相手には悟られることなくひとにこの上ない感動を誘うのです。たったひとつの笑顔でもひとを救うことができるのです。
たったひとつの笑顔でひとを幸せにできるように・・・ひとを幸せにする手段・方法は前述のようにさまざまにあります。またその幸せを受け取る側もその感じかたはさまざまにあるのです。笑顔ひとつとっても喜怒哀楽に表現されるような感情の伝えかた、感じかたがあるのです。あなたにしかできない、あなたらしさのひとを助ける方法とは何でしょうか・・・
笑顔で全てを包み込む瞬間を共有するだけでなく幸せに満ち溢れ永続した空間を創ることが大切です。そして一度それを感じたひとはまた同じ感覚に浸りたく相乗効果のごとく同じくしてほかのひとにも笑顔を拡げてゆくのです。
そして慟哭もまた数々の悲しみを経験するほどに未熟なこころはその器を満たそうとしてゆくのです。不平等も平等にある苦難の数々は決して避けて通ることはできません。あなたにとってそれがいつ起きるかその違いだけなのです。
言葉や行動は感じるものです。言葉がなければその先の行動もできません。言葉があるから行動ができるのです。その言葉とは信念であり「志」なのです。
言葉はひとに感動を与えますが、行動は相手に行動を促します
言葉はひとに行動を促しますが、行動は相手に感動を与えます
言葉とは行動そのものであり、行動によって言葉が伝わります
慟哭もまたあなたへの教えであり、学びなのです。なによりも行動を起こすということがあなたのこころが成長するための第一歩です。
それではこれより本編をご覧ください
目次
まえがき
第一章 悲しみ
第二章 こころの痛み
第三章 葛藤
第四章 不安
第五章 平等と不平等
第六章 自然の流れ
第七章 慟哭
第八章 希望と絶望
あとがき
以上
この世から考えたら
あの世とは
想像をしただけの仮の世界です
あの世から考えたら
この世とは
想像をしただけの仮の世界です
立ち位置を
変えても同じです
同じということは
ひとつである
ということです
この世は感情が中心の世界
(身体が有っての物質世界)です
あの世はこころが中心の世界
(実体のない精神世界)です
この世でしか
感情とこころが
両立することは
できないのです
前回の続き~
ひとは
感情とこころの両方を
持ち合わせています
だからこそ
ひとは
この世もあの世も体験を
することができるのです
これは
ひとでしか
体験をすることができません
感情とこころの違い
感情は身体があっての意識であり
こころは意志そのものです
いわゆる
物質世界と精神世界の違いです
それは
この世(物質世界)と
あの世(精神世界)の
違いのことでもあります
相手に
自分と
同じことを
求めてしまうのは
あなたのただの
傲慢です
それを言い訳して
繕っては
いけません
ただ
相手を
認めたくないだけです
どうしたら
わかってくれるのでしょうか?と
相手に問うことは
あなた自身が
わかっていない
ということです
あなたにとっての
願いは叶いません
でも
叶わないくらいが
丁度よいのです
結果よりも
道のりが
大切であるということです
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