気付き (その287)

ひとは身体があり本能を中心とした

感情によって

思考をして行動をしています

そして

ひとの身体に宿るこころは理性であり

強欲を抑制して常に感情と対峙しています

強欲によってひとのこころを

傷つけた行為が因果となります

そしてこころはひとの身体に宿ることで

強欲と葛藤をしながら成長をするのです


気づくべきことの編 (その10)

こころの成長~気づくべきことの編

あとがき

それまでまったく意識をしていなかった空にある雲がこれだけ意識がつながるものとは思いもしませんでした。2018年にそれまでの仕事から解放されてやっと行くことができた神社で何気なく撮った雲の写真、翌週に見返してみるとそこには大好きな龍神さまが写り込んでいました。そんな龍神様に感謝の気持ちを伝えにまた神社へと行くようになりました。きっかけなどはそんなものです

インスタに載せている写真は怖そうなお姿もありますが、それはまだまだわたしのチカラが足りないから怒られているだけです

そしていまではたくさんの素敵な写真や言葉たちに囲まれています。それらの大切な言葉を自分のためだけではなくみなさまへも伝えたいと思いから2019年からブログを通じてみなさまにもお知らせをしています

そしてその言葉たちに対して感謝の気持ちを伝えるためにさらにまたさまざまな場所に登拝をしているのです。それは決して名のある場所ではなく、いまではひっそりと静かな場所もあります。感覚としてあまり賑やかにしたくないのかと思いそのような場所はインスタでもお知らせをしていません

そんな場所のひとつで昨年に訪れた所は来年もまた登拝したい場所なのですが何もなさ過ぎて今度はお花の種をまいてあげようと思っています。そこは何もない場所なのです。でも以前にはなにかあった場所であり、いまもなにかある場所なのです

もしかしたらそっとしておいてくれと怒られるのかもしれません。でもわたしは自身がそう感じたのであれば花の種を蒔いてみるなどをしてもいいのかと思っています

お花の種をまこうと感じたことはもちろん正しいことなのか間違いなのかはわかりません。でもわたしは神さまになにかしてあげたいとそう感じることを大切にしてゆきたいと思っているだけです

「ものの見かた、感じかた、考えかた」を意識するとすこしだけその先に気がつくようになるのです


気づくべきことの編 (その9)

こころの成長~気づくべきことの編

第八章 こころの隙間

大切なことをひとつ受け入れると時が少しだけ長くに感じます。ひとつまた一つとその言葉や行動を受け入れるとひとつ、ふたつと段々に時が長くに感じるのです

以前は気にも留めずにあったことが気づくようになって、いまでは時すごく長くに感じるようになるのです。それは時間の長さではなく「気づくことができてなにかうれしいな」というこころのあり様のことです

圧倒的な強欲のチカラによって窮屈に抑え込まれたときにあるときに「ふっ」とこころが虚しさや空(から)の気持ちとなって「わたしはなにやってんだろう」、「なんでこうなったのかな」とした焦燥感を感じることでしょう

われわれはみながこころに空いた無数の隙間を何とかして埋めようとその「何か」を探しているのです

こころは欲や憎しみや悲しみなどの感情によって無数に穴があけられていますが大抵はその隙間をまたほかの何かで埋めようとするのです

でもそうではなく道理で埋めるようしてください。その道理とは自然から学ぶことができます

ひとつひとつを道理で埋めてゆくことがこころの成長なのです。それぞれに空いてしまった原因はひとそれぞれに違うものです。だからこそ自分で見つけて自分でその隙間を塞いでゆくことがこころの成長であるのです

感情でこころを満たすことができるのはほんの一瞬ですが、道理でこころの穴を満たすことは永遠です

こころとは意志でありその言葉(言霊)とは「志」のことを云うのです

それがあなたらしさの道理であるということです

あなたの無数に空いたこころの隙間はあなたらしさである「志」で埋めればそれでよいのです