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- あるべき姿~次にどうするのかの編
第五章 誘い(いざない)~その2
前章で記載をした負の連鎖というもが理解できたでしょうか。これは誰にでもよくあることなのです。ただその仕組みを理解している、していないではその対応が大分違います。当然に負の誘いがあれば正の導きというものが必ずあります
常に正しい意識でいられることは、逆にこの負の誘いを理解していることでしょう。ひとはだれでもその負の感情について一瞬は頭によぎるものです
でもすぐにその道理を理解することができれば、いま自身が何をすべきかの答えが目の前にすぐに見つかるのです
あなたの目の前で起きることはあなたにとって必要だから、その出来事が起きるのです。いつもお伝えしていますが上記についてもまさに次にどうするのかの判断を試されているだけなのです
正しいとする意識に気づいているひとは惑わされることなく「志」のままに進めばよいのですが、たとえ「志」がまだ見つからないひとであっても、瞬時にひとはひと、自分は自分と割り切ることも大切です。「割り切る」とは負の感情に引き込まれないでくださいということです
あなたのこころの奥底にある声が聞こえず、意思が弱いとすぐに負の誘いに引き込まれてしまうので注意をしてください。始めはその正しいという意識に気づいていても、これぐらいは良いかと、流されることもしばしばです
ただ正しいとする意識にさえ気づいていれば必ずひとはひとと割り切ることができるようになります
ここでさらに深くに意識を辿るならば、もともと正しいとする意識などは当たり前ことであると認識をしてください。負の誘いがあるから比較対象として正の意識ということを表現しているだけです
ひとの社会においてはすべてが負の感情があるから正を答えとしているだけです。「正しい」を「正しい」と認識をするためにこの世があるだけです
- あるべき姿~次にどうするのかの編
第四章 誘い(いざない)~その1
相手の発言や行動であなたのこころが惑わされてはなりません。それは自身との比較において妬みの感情へとつながります。あのひとは同期なのに自分よりも給料をもらっている、同じ給料なのに多く休んでいる、いつもあのひとのほうが優遇されている・・・など相手と比較をすることで生まれる妬みなどはそれぞれのこころのあり様でいくらでもあるのです
その度に相手を妬んでいたのではキリがありません。そんなことを考えている時間があるということは、それだけあなたもヒマであるということです。妬みはそのうちにエスカレートして粗探しに変り、やがては何とかして貶めてやろうと感情が高ぶるのです
あなたは、そのひとのために生きているのでしょうか・・・
そんなことを考えている時のあなたの表情はひどく歪んだ姿に変わって映し出されているのです。いずれにしても「何であのひとのほうが・・・」という感情はだれにでも起きるものです
その時にどうやってその感情を抑えるのでしょうか。急に降って、湧いた感情ではありません。そもそもがあなたにそうしたひがみや妬みがあるからこそ相手が気になって仕方ないのです。相手の問題ではありません。あなたの問題であるだけです
あなたのそうした人間性は類が友を呼び愚痴ばかりを話す相手とは気が合って、いつもだれかの悪口ばかりを言っているのです。その愚痴はとても快感で気持ちが良いことなのです。そしてあなたを同じ感情に引き込もうと手招きをしているのです
そうした感情は、この世でとても満ち溢れているのです。ひがみや妬みだけでなく怒り、苦しみ、憎悪などの負の感情と呼ばれるものは隙あれば、あなたを取り込もうとしてこころの闇を探しているのです
そして取り込まれたこころは邪悪なこころにして具現化された醜い姿に変り果て、ひとの負の感情を喰らっては、魂を満たそうとするのです。あなたの周りにそのようなひとはかならずいるはずです
ある意味で、あなたに教えてくれているひとなのです・・・
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第三章 次にどうするのか
「次にどうするのか」ということはいまあなたがすべきことをひたすらに進んでこそ見つかるものです。中途半端であればあるほどに誤った方向へと進んでゆきます
でも誤った道であればそれは必ずや修正されるなんらかの働きがあります。それを導きといっても構いませんが、それは結果としてわかることで、自分では気が付かないものです
何をすべきかさえわからないのであれば、いまあなたの目の前で起きていること、それは悩みや不安を抱えている問題についてまずは解決をしてください。解決とはあなたなりの答えを見つけてくださいということです。それがいまあなたのするべきことです
問題を抱えながらでも答えが見つかっていれば何のことはありません。答えが見つからないから悩むのです。でもどうやって解決をしたらよいのかわからないのであれば、答えがわかるまでひたすらに考えてください
他人任せではなくこころの奥底にあるあなたの考えのままに従ってくださいということです。それがあなたのすべきことであり進むべき、あなたの行動であるのです
こうしてそのことが普段から意識できるようになると「次にどうするのか」ということも意識をして自らの考えで行動を示すことができるようになります
とにかく前に進んでくださいということです。一歩前に進むことで必ず「次にどうするのか」が見つかるのです。悩みが深ければ深いほどに躊躇をするのは当然です。でもその先が、その次が暗闇なのではなく、とても楽しいことであることを想像してみてください
精神的に解決できない問題などは絶対にありません。もしあるとすればそれは自分でできないと思い込んでいるだけです。またはほかのひとが問題としないことをあなたが勝手に問題としているだけです
常にあなたのこころの奥底にあるあなたの声を、あなたの言葉を信じて、行動をして進んでください。その次はまた、必ず楽しいことが待っています。その繰り返しがあなたのこころの成長となっていることなのです
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第二章 祠と神社
神社や祠に住む神さまはひとが感謝の気持ちを伝えてくれるひとがいなくなれば、神さまの役目も終わり離れてゆきます。その神さまはまた新たな役割を果たすためにひとを助けてゆくのです
感謝の気持ちを伝えるひとが多ければ多いほどその神社や仏閣はその気持ちで満たされて繁栄してゆきます。でもたとえ感謝の気持ちを伝えるひとが、ひとりであっても気持ちを伝えてくれるひとがいればそこに神さまはおります
大切なことはこころのあり様です。たまたま訪れた祠に神さまはいなくてもあなたが感謝をする気持ちは周りで生きているすべてのこころたちに伝わっているのです。古い、汚いで判断をするのではなくこれまでその地を守り続けてくれた神さまに感謝の気持ちを伝えることはとても価値のあることなのです。それがつながりというものです
こころがひとの身体に宿り、こころを成長させてゆくことは祠や神社に神さまが宿ることと同じです。依り代となる器が違うだけでこころのあり様次第でさまざまな器に宿り役割に尽くしているのです
ひとの身体に宿るこころは、地域を守る神さまたちの祠や神社を依り代としてこれまで崇められてきています。長きにわたりその習慣は続いてきているのです
神さまに感謝の気持ちを伝えることは・・・あなたを産んでくれた母親に感謝をすること・・・育ててくれたひとに感謝をすること・・・あなたを支えてくれたひとたちに感謝をすることなどであり、すべてが「つながり」である、あなたに関わるひとたちに感謝の気持ちを忘れずにすることであるのです
ひとが生きる理由とは「こころの成長」です。それは良いことも悪いこともすべてあなたに関わる神さまたちの代わりに、ひとたちが教えてくれたことであり、そのすべてのひとたちに感謝の気持ちを伝えるということなのです
あなたの目の前で起きる事象のすべてはあなたに必要だからこそ起きていることです。たとえ良くないことが起きても謙虚にこころに何かを伝えている神さまからのサインであると受け止めて学ぶことが大切であるのです
- あるべき姿~次にどうするのかの編
第一章 慈悲と憎悪
あなたの憎悪と慈悲の感情は常に葛藤しています。あなたの目の前で起きる事象に応じて常に揺れ動いているのです。憎悪の感情とはこころが摂理(自然の法則)からはなれた強欲によって生まれた感情です。ます。一方で慈悲とはあなたの身体に宿るこころの奥底にある摂理(自然の法則)のままにある意志のことです
その葛藤において憎悪が慈悲のこころを取り込むのか、慈悲が憎悪のこころを消し去るのか常にどちらかが優位であろうとしています。そしてひとはその憎悪や慈悲の感情を具現化させて鬼や悪魔、また神さまや仏さまとして表現をしているのです。いわゆる善と悪で例えているのです
いま一度おさらいをしますがもともとひとに宿るこころは良い因果であったのに、強欲の感情が生まれ良くない因果となりこころから離れたあり様となってしまっている状態です。その良い因果というのも本来は当たり前のことであり、その「良い」という言葉もおかしな話ですが悪い因果を現わすために良い因果ということばを使っているだけです
また憎悪で具現化されている妖(あやかし)であっても慈悲のこころを大切にしているものがいれば、慈悲のこころがありながらも憎悪に取り込まれているものがいます。もともとはひとであったために、その名残によって互いに理解をしているからこそなのです。妖(あやかし)とはこの世とあの世の間に存在するあり様です
憎悪による妖であっても、もともとは慈悲のこころを併せ持ったひとの感情です。ただ魂が未熟であるために憎悪に取り込まれているのです。そして憎悪がさらに憎悪を取り込んで大きくなっているだけです。それでもわずからながらにも慈悲のこころは残されているのです。ただそれに気づかないほどに憎悪が勝っているだけです
憎悪があなたを取り込まんとするのは、あなたの苦悩、嘆きや叫び、怒りに安堵するのです。あなたに嘆きや怒りなどの苦しみが無ければあなたにさほど興味もありませんが、もっとも嫌悪感のある慈悲のこころは大嫌いで、近寄りたくもない存在です
そして魂を満たすために、次から次へと憎悪の感情を取り込まんとするのです
- あるべき姿~次にどうするのかの編
まえがき
この世だけであなたの「志」が叶うものではありません。ひとの人生など瞬きひとつの時間でしかありません。そんな短い時間であなたの「志」がまっとうできるのであれば更に高みへと望んでください
「志」とは高ければ高いほどに、その価値があるものです。この世でやりきったなどの達成感などあろうはずがありません。もしあるとすればそれはただの自己満足でしかりません。ましてや「志」が終えることなどはあなたが判断をすべきものでもありません
永遠にその役割を担い続けるものと思ってください。この世だけでなくあの世でも、また更に転生をしても「志」に終わりはありません。あの世に時間という概念がないからこそこの世での永遠という言葉で表現をしているだけです
ただ永遠に続くあなたの「志」にあっても変化は必要です。こころの成長に合わせて、変えても構いません。それが「次にどうするか」なのです。過ちや失敗など当たり前です。次にどうするのかが大切なのです
わたしもこれまで3年続いている年6回(いまでは毎月)の書についてその内容については毎回、課題をもって臨んでいますが、次にどうしようとの考えはいつも意識をしています。もちろんまだまだ試行錯誤していますが自分らしさでその世界を創ることはとても楽しみであるのです
そしてみながそれぞれの「~らしさ」でひとつひとつの世界を創り、それぞれの「志」に尽くすひとたちとともに成し遂げてゆくことがわたしの理想です。あえて俗世と呼ばれるひとの社会の中で生きることは、わたしの学びであるのです。煩悩があるからこそ学びがあるということです
わたしは神さまを目指している訳ではありません。ただみなさまと一緒にこころを成長させたいだけです。わたし自身も学ぶことばかりです。でもいまはそれがとても楽しいのです。若いころに何となく感じていたこころ(魂)はいまになって線となりつながってきているのです
「志」に尽くし、こころの成長につなげてゆければとの思いです
まえがき
目次
第一章 慈悲と憎悪
第二章 祠と神社
第三章 次にどうするのか
第四章 誘い(いざない)~その1
第五章 誘い(いざない)~その2
第六章 大きな課題~その1
第七章 大きな課題~その2
第八章 因果と運
あとがき
以上
- あなたの
目の前に
現れる
あなたの嫌いなひとは
あなた自身の姿です
あなたが
少しでも
変わろうとしているからこそ
あなたの
前に現れるのです
- いまあなたがいる場所に
わたしのチカラは
届きません
チカラを
貸してあげられる場所まで
来てください
それはあなたの役割です
いまのあなたの
こころはどんな姿でしょうか
鏡に写してみてください
- われわれは
いつから
こころに
気が付かなくなって
しまったのでしょうか
「欲」ばかりを
考えるから
そうなるのです
- 素直で
純粋すぎるゆえに
「妖」となるのです
そして
強欲すぎる感情も
また「妖」となるのです
このふたつの
あり様は
真っ直ぐな
気持ちに
変りはありません
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