- この世は
ひと それぞれの
因果で
成り立っているのです
それぞれの
因果はあり様で
組み合わされて
いるのです
気付き (その451)
- 一様など
決まりきった
あり様などありません
みなさまが
それぞれの見かたの
あり様でよいのです
気付き (その450)
- みなさまと一緒に
みなさまたちに
感謝の気持ちを
伝えます
たくさんの
つながりが
大切です
過去と未来の編 (その10)
あるべき姿~過去と未来の編
あとがき
「まえがき」でもお伝えをしましたが、今回のテーマである「過去と未来」、これは因果を理解することで、あなたの「過去と未来」がわかるとようになるということです
そして因果を悪因悪果から善因善果へと変えることが、こころの成長のことであるということです
ひとのために生きるということが大切です。ひとは、いましかできないことをひとのためにと、なにかをしてあげなければならないのです
「魂」は何世代にもわたって、ひとの身体に宿り、こころを成長させようとしています。だから、ひとのあり様を知り尽くしています。それは「欲」が心地よくて、なかなか、前に進むことができないのです
「魂」がひとの身体を転生するのはこころを成長させるためです。それは、ひとを守る神さまたちが、決して諦めることはしないからです
そして、つねにこころ(魂)がもっとも成長する環境でひとの身体に宿ることで成長させようとしているのです
ほかの生きものには「魂」はないのに、どうしてひとにだけ「魂」はあるのでしょうか・・・
ひと以外の生きものには、生きるために必要以上の「欲」がないからです。ただ「生きる」という「意志」しかないということです
だからひとだけに「因果」はあるのです。生きるために必要以上の欲が強欲なり「因果」はつくられます
そして因果を経験することで、ひとは勝手に想像して悩み、また新しい因果をつくりだします
因果の理解はつねに、自責の念であることが、はじまりです。あなたの目の前で起きる事象は自分が原因で起きたということを十分に理解してください・・・
※わたしが、よく記載する因果とはこころを成長させるための「悪因悪果」のこととしてご理解ください
過去と未来の編 (その9)
あるべき姿~過去と未来の編
第八章 過去と未来
因果とは「過去の行い」が「現在の結果」となっていることであり、その因果を学ぶことで「そうすれば、こうなる」という、「「その先」のことがわかるようになるのです
それは、「現在」そうすれば、「その先」はこうなる、ということであり、それは「理由があっての必然」として、未来への予知であるということです
原因があっての結果とは、現在から過去に遡った「あり様」であり、理由があっての必然とは、現在から未来に起こる「あり様」のことを意味するものです
原因があっての結果とは「因果」であり、
理由があっての必然とは「予知」であるということです
そのことばの違いは、時間的な違いであるということです
そして、この世で、その時間は「こころの成長」を現わし、こころの成長とは、まさに悪因悪果から善因善果へと変わる「行い」を中心とする世界観のことを云います
ただ、ひとにとって、もっとも大きな課題である因果について、「憎悪」という因果を知らなければなりません
それはこの世は・・・ひとの歴史とは、「憎悪」による因果の繰り返しであるからです。憎悪とは、「する側」と「される側」という、ひとにしかない感情です
「憎悪」とはひとの感情によって生まれる「因果」です
憎悪という感情に偏らずに、こころ(魂)のあり様は真ん中でなければなりません。真ん中とは、そのどちらでもないということであり、憎悪を無くしてくださいということではありません。理解をしてくださいということです
こころ(魂)はひとの身体に宿り、つねに感情と葛藤をしているのです。ひととしての生きるあり様、そのものが、こころの成長であるということなのです
過去と未来の編 (その8)
あるべき姿~過去と未来の編
第七章 因果の性格
性格は環境によって何十年もかけて養われます。ひとの性格は簡単に変えることはできませんが夢中になれること、集中できることが見つかることで、ひとの性格も変わってゆくのです。そして、その性格があなたらしさである個性へとつながってゆくということです
性格とは、「ものの見かた、感じかた、考えかた」のことを云います。ひとによって性格も一様ではありません。そして性格の違いを一言でいうと価値観の違いということです
性格の優先順位とは・・・大きく分けて、自責か他責か・・・、自分のことばかりか、ひとのためにと考えることか・・・その比率の違いです
そして性格とは感情とのバランスによって大きく左右されます。ひとの性格は幼少のころに親から学び、そして学校でひととの関りを学ぶことで、その性格を社会に適合させようとします。どこまでが大丈夫で、どこからがひとに迷惑がかかるのかを学ぶのです
そして、10代、20代は、ほとんどが自己中心的になります。別に悪いことではありません。そして自分中心であるばかりに、ひとの痛みを知るようになり、ひとのために・・・と考えるようになるのです。もちろん、その限りではありません・・・
そして、性格とは、「魂」そのものを現わしているのです
それゆえに、性格(魂)は生まれる前からある程度は決まっています。そして、こころ(魂)のあり様次第でこころ(魂)がもっとも成長する環境を選んでひとに宿ります
ひとの身体は男性であったり、女性であったりと違いがありますが「魂」には男女の区別はなく、感情と同じようにみな一様であるのです
性格(魂)とは、「ものの見かた、感じかた、考えかた」のことです。その「あり様次第」でそれぞれに違います
目の前で起きることは事実として受け止めますが、自分に都合の悪いことは受け入れることはしません。運が悪かったと片づけて、その原因を理解しようとはしないのです
その性格を変えない限り、なんどもあなたにとって都合の悪いことが起きるのです
「因果」をただ、教えてくれているだけなのに・・・気がつかないのです
過去と未来の編 (その7)
あるべき姿~過去と未来の編
第六章 因果のこだわり~その2
【否定】
なるようにしかならない・・・と思い込んでいませんか。「運」などありません。すべてが、あなたの考えや行動の結果です
自分に言い訳ばかりをする生きかたは、もうやめましょう
【役割】
ひとにはかならず「魂」のあり様次第で「役割」があります。もちろん、ひとのためとした「ひと助け」の役割をするだけではなく、同時にあなた自身のこころを成長させるという役割があるのです
【過去と未来】
生きていれば、途中でかならず「因果」に気づきます。この世界は因果の世界です。それは「原因があっての結果」という過去の行いを理解することができるのです。
そして「そうすれば、こうなる」という未来は、「理由があっての必然」です。因果を理解すると未来を知ることができるということです
この世に「偶然」はありません。すべてがつながっているということです
あなたの未来は因果を知らなければ、因果によって決まった未来を生きるだけです
でも因果を知ることができれば、この先、あなたの目の前で起きる出来事を変えてゆくことができるのです
もちろん生き方は自由です。でも因果を知ることであなたの可能性はどんどん広がってゆくということです
因果を知れば未来を変えることができます。そんな世界を望むことも自由なのです
あなたの人生・・・どのようにでも変えることはできるということです
過去と未来の編 (その6)
あるべき姿~過去と未来の編
第五章 因果のこだわり~その1
【別にいまのままでよいのでは?】
普通であることがなぜいけないのでしょうか。そして普通でないとは何でしょうか。あなたの特別とは何なのでしょうか・・・
【意のままに】
相手を自分の思い通りにして、自らは選ばれたひととして、優越感で満足をするのです。相手には、わからないことを、知ることができたとする特別感を与えて、「不安」と「安心」を使い分けて、あなたをコントロールしようとしているのです
【因果を知ってどうなるの?】
あなたの目の前で起きる出来事はあなた(魂)の因果を教えてくれますが、それは過去にあなた(魂)が原因をつくったことです
でも因果を知れば未来を変えることができます。いま因果を知り、こころ改めることで、未来でその結果が現れるのです
【証明】
でもたとえ因果を知ったとしても、その先の未来が変わったとすることを証明できますか?
変わったことの証明や変わらなかったことの証明は、あなたが因果を理解しているのか、否か、それは、あなた自身が身をもって体験することです
【理由】
せっかく授かったいのち(生命)です。自由に考え、生きればよいのです。これは当たり前の話です。ただ生きる理由である「こころの成長」さえ意識してればよいのです
それは自分のために生きるのではなく、ひとのために生きるということです。ひとのために生きるということは、ひと助けをするということです
過去と未来の編 (その5)
あるべき姿~過去と未来の編
第四章 因果の事実
この章の「まえがき」にも記載をした通りで。この世(ひとの社会)は地獄であり因果の世界です。われわれが生きる理由とは、「こころの成長」です。そのこころを成長させるために、この世(ひとの社会)があるのです
因果とはこの世だけでなく、前世でもさんざんあなたの「魂」が強欲のままに、因果の原因をつくりだしてきたしてきた行為の結果です。こころあたりが必ずあるはずです
でも、それがあなたの本性であるからこそ、受け入れることができないのかもしれませんが、結果として、それがあなたにとって、もっとも大きな因果であるということです
なんども伝えますが、あなたの最も大きな因果に対して、我慢をして受け入れてくださいとしているのではありません。理解をして、どうして一番大きな因果であるのかを反省をしてくださいということです。そしてこころが、そのことに気づくことができた自身に感謝をしてくださいということです
因果とは決して他人の問題ではありません。あなたのこころの問題であるのです。あなたのこころが未熟であるがために招いた結果であることを常に意識をしてください
そして本当にあなたのこころの成長ができているか、どうかを確認するために、何度か近しいことが起きることもあります。でも一歩戻ったとしても二歩先に進めばよいのです
因果とはあなたのこころにおける「罪」と「罰」でもあるのです。正当化された殺める行為などは絶対にありません。それを是とするものは、自分勝手に自己満足をしているだけです。大義のための戦争などもあり得ないことなのです。ただの強欲であるだけです
その罪(原因)と罰(結果)こそが因果であるのですが、あなたのことを守る神さまが、そのことを教えてくれていることさえ気が付かず、その結果として、ひとの強欲が蔓延り、この世は地獄となるのです
このようにして、こころは転生を繰り返しながら、こころを成長させているのです。この世はそれほどまでに強欲に支配されているということです
過去と未来の編 (その4)
あるべき姿~過去と未来の編
第三章 因果のおさらい~その3
この世(ひとの社会)が地獄であると感じていることも、あなたの因果であるということ・・・そう感じているあなたのこころのあり様が問題であるのです。あなたの悩み、あなたが受け入れることができないこと、それがあなたの因果です
たとえば、あなたが許せないとする相手に対する憎しみもまた、その地獄をつくっている一部であるということです
あなたの憎悪の気持ちは、他のだれもが知らないことであり、もしかしたらあなた自身も気づいていないことなのかもしれません・・・それが「こころの闇」というものです
あなたの憎しみの感情を我慢してくださいではありません。耐えてくださいということでもありません。あなたの憎悪の感情こそが因果であるということ・・・そのことを学び、教えてくれたことに感謝をしてください
因果を理解することができるならば、あなたの最も大きな因果である「こころの闇」は消えてゆくことでしょう
でも憎悪の感情があるからこそひとなのです。だからひとの社会は地獄であるとしているのです
対して自然界には地獄などなく摂理(自然の法則)のままにあるだけです。ひとの社会は「原因があっての結果」とした因果の世界ですが、自然は「理由があっての必然」とした摂理(自然の法則)の世界であるのです。
この世界(ひとの社会)は地獄の世界であり、因果の世界であることを受け入れることが必要です。それは仕方がない、どうしようもないから受け入れるのではありません
因果を理解することで、受け入れられるようになることが大切なのです
そんなに簡単なことではありませんが、諦めたら、それで終わりです・・・
大きな「こと」が起きる前にこころを成長させてください