ひとで在るべきことの編 (その4)

日輪神社

素直であること~ひとで在るべきことの編

第三章  因果の壁

以前にも伝えた通り、大きな因果であればあるほどに因果を理解して、受け入れることが大切なのです

因果を否定せずに、因果と、ともに在り続け、自身の因果に気づかせてくれたことに感謝をして、その因果を受け入れることができれば今度は、その因果を良い因果に変えることができるようになるのです

もちろん因果にも大小の違いはあります。因果で気づかされることは、小さな因果よりはじまり、小さい因果であれば意識すれば正すことはできますが、大きくなればなるほどにその因果は欲に阻まれて、因果を受け入れることができなくなるのです

俗世から離れた生活をしているかたであれば別ですが、この俗世である因果の世界において、因果を受け入れることができずに、因果によって取り込まれてしまい、さらには新たな因果を生み出してしまうなどの結果となってしまうのです

あなたは前世で、受け入れることができなかった自身の最も大きな因果について、たとえ、いま良い因果に変えることができないまでも、その因果を受け入れて、ともにあり続けることができるようになることが宿命であるのです

前編にもあった「もしあなたの大切なひとがだれかに殺められたら、あなたはどうしますか・・・」でもあるように、その場合、あなたは相手に対してどのような感情でいられるでしょうか

憎しみ、怒り、憎悪・・・は当たり前です。耐えられないことだからこそ、因果応報としてあなたは試されているということです

ただあなたの抑えきれない感情を、たとえ時間をかけても受け入れることができれば、実際にあなたの目の前で起こることはありません

でも受け入れることができなければ、それが、あなたが因果であることに気がつくまで、なんども悩み続けるということです

それは、今世で起きなくても、来世で必ず起きるということです
ひとはそのことすら、気がつくことはないのです

ひとで在るべきことの編 (その3)

日輪神社

素直であること~ひとで在るべきことの編

第二章  恩返し

あなたは決してひとり生きて来られたわけではありません。いつもそばであなたを支えてきてくれたひとたちが必ずいます

そのひとたちにこれまでの恩返しをしてください。その恩返しとは、まずは感謝の気持ちを伝えることです。声に出せないのならこころで伝えてください

そしてあなたがいま生きていることができるのは過去からつながってきている身体があってこそです。その身体にも恩返しをしてください。その恩返しとは、これまでつながるひとたちへの感謝の気持ちだけでも十分です

この身体に対しての感謝の気持ちと、支えてくれたひとたちへの感謝の気持ちがあることを忘れずにいてください

あの世などという世界はなく、この世で生きていることがすべてと・・・、考えるひとがいてもよいのです。この世で、こころは、この身体を依り代としているだけです。いわば器としているだけなのです

ひとつ別の考え方をしてみてください・・・あの世とされる世界は、この世のことを言っているということ。この世でもがき苦しむ「こころ」は、地獄であるこの世界で、苦悩しているということです

本来は地獄などもないのですが、因果を理解できないがために勝手にこころが苦しみと感じているこの世界を地獄としているだけです。では天国は?となりますが、いまあなたがこの世を地獄と感じているか天国と感じているのか、こころのあり様次第であるということです

こころのあり様次第でたとえこの世であっても天国と感じることができるひと(こころ)はすべてを受け入れて、すべてに感謝をする意識があればそれだけでこの世は天国であるということです。逆にいつも恨みやつらみばかりを考えているひとにとっては、この世は地獄であるということです

あの世という表現で、この世とは別に世界があるとすればわかりやすいだけの話です。でも本当はあの世(現世)もこの世(常世)も同じであり身体があるかないかの違いなだけです

ただ、この身体を失ったときに、はじめて身体の大切さに気が付くのです。だからこそこの身体に感謝をしてくださいとしているのです。この身体をもっと大切に仲良くしてください

ひとで在るべきことの編 (その2)

日輪神社

素直であること~ひとで在るべきことの編

第一章  因果の対象

ひとの感情は常に揺れ動くものです。昨日の出来事にあった感情・・・、これから起きる出来事に対する感情など・・・感情は日々変わるものです

偏った考え方をすると因果にこころは奪われてしまいます。感情が一点に集中して、ほかから同じ因果の意識を引き寄せて、あなたの因果の感情はさらに強くなるのです

だからひとは常に誰かを必要とし、そばに、だれかがいるのです。だれかがそばであなたを支えているからひとであるのです

親、兄弟、愛するひと、友達・・・。そしてこれからも、さまざまな出会いがこころを成長させて、さまざまに気づきを与えてくれるのです

「気づき」とは、やさしさであり、ぬくもりであり、ひと助けのことです。そして相手に感謝をして、感謝をされることです

決してひとりだけでは気が付くことはできません。かならず相手がいるからこその感情であるのです

気づきとは因果がわかると、良い因果にも変えられるということです

相手とはひとだけではありません。感情が左右される万物のすべてが対象なのです。それは自然などから、特に多くのこころを成長させるための気づきを与えてくれるのです

でも植物の生命をないがしろにするような行為・・・、その気持ちですら因果の原因となります。

この世は物質世界であり、あの世は精神世界です。因果の原因をつくりだすことは、相手があっての因果であるのです。それはこの世でしか因果は起きないということです

この世で反省して、こころを成長させること・・・それがこの世の役割なのです

ひとで在るべきことの編 (その1)

日輪神社

素直であること~ひとで在るべきことの編

まえがき

この世は現世(うつしよ)であり、常世(とこよ)でもあるということ。こころのあり様次第でどのようにも意識することができます。あの世とされる常世はこころによる意識の在り方でいかようにも存在させることができるのです

この世とはまったく別の世界であること、この世の中にあの世はあること、さらにはそもそもあの世などなくて、この世がすべてであるということ・・・

でも、そんなことは考えたことはないし、大体そんなことを知ったところで、だからなんなんだと・・・

ひとによって、それぞれの想いがあって、それがそのひとにとって「正しい」のです。こころのあり様で千差万別に、そのひとにとっての「正しい」があるのです。それをひとつの考えにする必要もなく、そのひとにとっての「正しい」がただあればよいのです

昨日考えたことが、今日は違うなど、誰でも当たり前のことです。だから万物をひとつにする必要はないのです

道理とは、最終的にはひとつとなりますが、それはひとの役割ではありません。そしてそのひとつであることが、いま知ることが必要なのかどうなのかということです。さらには、それを知ったところで、だからどうなんだとなるのです

すべてはこころのあり様次第なのです。ひとである、われわれはひとつにする必要もないのです。ただ我の強いひとほど何でもひとつにしたがるものです

ひとつにしないと自分が不安となるのです。そして更にはひとを不安にさせてまで、ひとつにしようとして自身の不安を取り除こうとするのです

そもそもは、あの世(常世)とは、だれが意識をしたものでしょうか。ひとが勝手に死後の世界を想像しているに過ぎません

いま多くの書物が「死」について書かれていますが、あくまでもそのひとにっての死生観であるということです

当然にわたしの綴る言葉もわたしの考えであるだけです。そんなひともいるんだな・・・それでよいのです

まえがき

目次

第一章  因果の対象

第二章 恩返し

第三章 因果の壁

第四章 こころの支え

第五章 互いの立場

第六章 こどものころ~純粋

第七章 こどものころ~教え

第八章 おとなへの教え

あとがき

以上