良い因果の編 (その3)

素直であること~良い因果の編

第二章  こどもの因果 その2

(つづき)

こどもに起きる出来事は、育てる親の行いがすべてです。「こころの中で、親のわたしは悪くない、こどもが勝手にやったこと」などの他責にした数々・・・親が未熟さゆえのことによるものです

何度もお伝えをしていますが「なんであんなに良いひとがこんなことになるなんて」という事実はいくらでもあるのです。他人のことは知っているようでも、こころの闇まではわからないのです。それほどまでにこころの闇とは深いものであるということです

親はたとえ因果に気がついていなくとも善い考えや、善い行いをしていれば、上記の仮定のような話が起きることはありません。こどもを育てる親の問題であるだけです

因果が起きることは、自身の因果を教えてくれているということ。これは以前より伝えている通りですが事前に想像した仮の話であれば、そのことが起きないように配慮することができるはずです。そして受け入れることさえできれば、おなじ過ちはしなくなるのです

因果とは欲によって感情から生まれるものですが、親がこどもを守るために感情で善い因果をつくりだしてください。それでは善い因果をつくるとは具体的にどうすればよいのでしょうか

善い因果の根本は「やさしさ」です。親がこどもに対してやさしさで包み込むことは自身のこころの闇による因果をはるかに上回る子供に対する「やさしさ」で接することが大切であるということです

親がこどものために・・・とした、やさしさの行いを連鎖させることで、そのこどもはやがて成長をした時でもその親のやさしさを忘れずに善い因果のままに生きることができるようになるのです

親がこどもに・・・おとなができるだけおおくのこどもたちに善い行いを積み重ねてゆくことが大切であるということです

良い因果の編 (その2)

素直であること~良い因果の編

第一章  こどもの因果 その1

因果とは、ひとのこころを傷つけることによって引き起こされる事象です。そして、ひとのこころを傷つける行為は自身にかならず跳ね返ってくるということです

因果を受け入れるということは、その自らの因果について反省をすることです

「あなたはひとに対してこころを傷つけてしまったのだから反省しなさい」ということです。そのことを学ぶことが「ひとが生きる理由」です

これは「目には目を歯には歯を」とした行動とは真逆の行為です。この「目には目を~」は、あくまでも感情のままによる「やられたらやり返せ」というもので、いわば因果の連鎖を助長させる言葉であり行為です

「あなたはひとのこころを傷つけて悪いことをしたのだから反省しなさい」ということ・・・

そして、因果応報として、あなたに因果を気づかせるため、あなたが起こしたことと同じ行為の出来事が起きるということです。それが因果というものです

ただ素直であり純粋であるこどもは、育てるおとなに守られていますが、こどもが病・災いがあるのは、育てる側のおとなが未熟だからこそ守り切れないこともあるのです

「こどもは、育てる親の鏡」であるということです

今年の5月に掲載をした因果とともに~第四章の冒頭にあるようにあなたの大きな課題をたとえとした「もしあなたの大切なひとがだれかに殺められたらあなたはどうしますか」という命題と同じで、「もし大切なこどもがだれかに殺められたら」あなたはどうしますか・・・

これもまた親による耐え難い感情によって湧き上がる慟哭が容易に想像できます。ただ親が受ける事象は、そもそも親の因果であるだけです。ただ、それは決して他人にはわかりません。当人である親にしかわからないことなのです・・・

だから理解をしてください・・・「こどもは、育てる親の鏡」であるということを・・・

(つづく)

良い因果の編 (その1)

素直であること~良い因果の編

まえがき

今回の書き物の主題にある「素直であること」、この素直であるとはみなさまはどのように感じていることでしょうか。素直とはどのようなことを指すのでしょうか・・・

素直とは意志をもって自然のままに在ることを受け入れるということです。それは因果を理解して受け入れるということです。もともと因果とは、あなた自身の我の強さから生まれたものです。それを受け入れることは当たり前の話なのです

そして素直であることは因果に気づくことの最低条件であるのです。素直でないひとは因果に気づくことはできませんし、ましてや因果を受け入れることなど到底できません。これらは簡単なようで実はなかなか難しいことなのです

わたしも因果に気付くまで50年以上かかりました。なにせ因果を知るきっかけさえ、なかなか気が付くことはできませんでした

もちろん因果応報という言葉は知っていましたが、あくまでもそれは知識としての言葉であるだけでした

ある時、身にふりかかる出来事について、とても嫌な思いをしながらも「これって何か自分も同じようなことをしている気がする」と感じたことがきっかけです。そのような感じを何度か経験する中で気づくようになったのです

因果に気付いてからは身にふりかかる出来事を冷静にこれまでの自身の行為に照らし合わせ、思い当たることがあるはずとして受け入れるようになりました

こころが身体とは別物だと感じたのはもちろん臨死体験をした時ですが、その時はもちろん深くは考えませんでした。でもその時の経験はいまになって実感をしています。そしてこころが転生をするということも、前世でのこころのあり様もつながることが多く感じているのです

たとえば無意識のうちに戦争映画やアクション映画を観ていて、ふと何でこんな映画を観ているのだろうかと感じることがよくあるのです。そのほかにもある情景を見て、無意識になんでこころがこんなにも痛むのだろうとすることもあります
そうゆう体験をするたびに「前世ではきっとこうだったんだろうな」と振り返るのです。そのように知れば知るほどに、いま生きている理由とは何なのかを知りたくなったということです

それではこれより本編をご覧ください

まえがき

目次

第一章 こどもの因果 その1

第二章 こどもの因果 その2

第三章 良い因果とともに その1

第四章 良い因果とともに その2

第五章 因果の数だけ

第六章 こころのあり様

第七章 因果の気づき

第八章 ひとの役割

第九章 ひととして生きている間に

あとがき①

あとがき②

以上