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- 天津祝詞の冒頭にある
「高天原(たかあまはら)に
神留坐(かむづまり)ます~」の
高天原とは神様が
降りる場所という意味ですが
じつはいま、
自分のいる場所や
または自分のこころこそが
高天原なのです
つまり
神社に参拝した時は
その神社が
高天原であり
お家で祝詞を唱える時は
自分のこころこそが
高天原なのです
- 現在の神社とは
内なるこころが
神さまであることに
気づかない
ひとたちのために
こころの拠り所として
あるものです
- 遥か以前では
内なるこころが
神さまであるとしています
自らのこころが
神さまであるとしたことから
神社に祭られている
外神さまには
感謝の気持ちだけで
参拝方法は自由なのです
- 古来より
形なきものが
神道であり
教えがないのが
神道です
本来
神社参拝というのは
形よりも心の方が
大事なのです
- 神社参拝の
二礼二拍手一拝は
戦後決まったルールです
それまでは
参拝での
お祈り作法などは
自由でした
大切なのは
こころのありようですね
- 古来より
神とは
宇宙の根源であり
万物ありては霊と云い
人にありては心と云います
また
その例えによって
呼び名も様々に変わります
- 霊とは(魂とは)
身体に宿って
心を支配するもの
心の働きを司るもの
わたしは霊(魂)のことを
こころと
伝えています
- こころで
解決した問題は
二度と起きません
また逆に
同じ問題が
起きる時は
こころが成長しないため
間違った解決を
しているということです
- 問題が起きたら
簡単な解決方法は
どうしたら
こころがもっと
成長するかだけを
考えること
こころが成長する
答えとはなんだろうと
考えることです
- 人はこころが
成長するために
生まれてきでいます
心で考えたことは
未来への成長を
導いてくれます
行動することで
常に新しいことを
発見して
身につけられるのです
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