己が自身 (その195)

やさしい雰囲気をまとうお姿
こころの成長とは

さきへ先へと

進むことです

ただ行動には

必ずある時に

その先は

どうしたらよいのだろうかと

考える時期が訪れます

思考が尽きたとき

大抵は

上手くゆかなくなったときに

立ち止まってしまうのです

だから常に

思考を止めては

いけません

己が自身 (その192)

やさしい雰囲気をまとうお姿
いまわれわれが

生きている中で

「こころの成長」を

意識しているひとが

どれだけいるのでしょうか

ほとんどのひとは

考えたこともないでしょうし

僅かながらに

いたとしてもそれは

無意識に実践をしているだけです

それほどまでに

ひとは意識をしながら

行動をするということが

難しいのです

己が自身 (その191)

やさしい雰囲気をまとうお姿
謙虚さとは意志の強さです

よく日本人は

意志を現わさないと

言われますが

それは「意思」の話です

「志」による意志の強さに

相手が気が付かないだけです

相手が認める、認めない

納得する、しない

ではありません

あなたが納得していれば

それでよいのです

己が自身 (その190)

やさしい雰囲気をまとうお姿
常に

謙虚であればあるほどに

あなたの目の前で

起きることは

平穏です

あなたの

希望を どうしても

叶えたいのであれば

「志」の

行動をしてください

必ずあなたの

願いは叶います

でも その時に

あなたは

そのことに

気付かないだけです


番外編(その6)

三峯神社奥宮からの日の出写真です 三峯神社の境内に現れた龍神さまのようですね
次回はまた5月に掲載をします。

あとがきにも記載をしていますが

「神さまはいない」をテーマに

二か月の一回のペースで記載してゆきます


また明日よりは前回からの「己が自身」の

続きを掲載してゆきます


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これまで通りお金とは一切無縁のブログです

ただこころを成長させれば

必然とお金には巡り合うことはできます

そして他社さまの無料ブログで

掲出される広告が苦手なので

あえて自分で費用を捻出して

このブログを管理しています

それがわたしの役割の

ひとつでもあると思う次第です

[志]のままに(その10)

因果について~「志」のままに

あとがき

わたしは2019年にインスタとブログをはじめました。その年の一年間は毎日インスタに龍雲を中心とした写真をアップして同時にブログもまた更新をしてきました。そして昨年はその短編ブログのまとめとして「因果について」をテーマにブログとは別にこの一年間で二か月に1回のペースで長文の書を綴ってきました。

さて今年はどのようなテーマで行こうかと昨年より考えていましたが次回の2021年5月からはいま短編ブログを掲載している「己が自身」を軸に掲載をしてゆきます。もともとこの「己が自身」は神さまを信じていない方にもわかりやすくひとの道理やこころの成長について伝えるために書いているものです。だから神さまと言う言葉は出てきません。

やはり自分も楽しく、みなさまもまた楽しくなることがよいですよね。それをつないでいるのがブログでありインスタであるとしたく思います。ブログももう少し整理しなければならなければと思っています。

またこれまでの参拝の経緯は2018年は神社・仏閣を巡り、2019年は神社から、その奥宮へ移り、その奥宮へ行くためには必然的に山登りをするようになり、登拝をすることで自然からも様々なことを学びました。2020年は山頂にある奥宮からは次に先人たちの意志を知りたくて祭祀をした遺跡を巡るようになりその想いを知るようになりました。

今年もまた導かれた新たなる場所やこれまでの場所など様々に参拝をするでしょうが今年はただご挨拶をするだけでなく相手に喜んで頂けるような行動をしようと思っています。

本当はこれまでの参拝の軌跡をもっと紹介したいのですがみなさまにはおすすめできるものではないために控えています。ほんの一例ですが壱岐島の海に浮かぶ小島神社に参拝をするために滞在できる時間に制限があったためにやむを得ず干潮の時間である夜中の2:00過ぎに合わせて参拝をしました。

もしかしたら神さまから怒られていることなのかもしれません。さまざまな妖もたくさんにいるでしょう。ただわたしの場合はそんなことを考えることよりも行動が先になってしまうのです。あの時は夜中であると同時に雷雲が音を出しながらこちらに近づいてきていて小雨が降って「行くな」と本当に怒られているのかなとも思いました。もちろん雷や雨は歓迎をされているわたしの好きな現象なのですが何といっても真夜中の2時過ぎでの現象についてそんな気も回りませんでした。

もちろんしっかりとご挨拶をしてきましたがこのようなことがほかにも多々ありとてもみなさまにお教えをして気持ちを助長させることが良しとは思えないからです。みなさまにはみなさまの環境による「~らしさ」があるのです。それにもしわたしと同じような性格であればこのような例をお知らせしなくともきっと自らに同じようなことをしているのでしょう。(笑)あくまでもあなたらしさに従ってください。

2021年3月吉日

[志]のままに(その9)

因果について~「志」のままに

第八章 感情

ひとを羨ましがる気持ちは、自分もそうなりたいという願望です。でも本当にそうなりたいのでしょうか。あなたのこころの底にある言葉を聞いてみてください。逆にそのように感じることであなた自身のこころのあり様がわかるものです。

「こころの成長」とは感情を制限するものではありません。欲の世界に浸っている以上そのような感情があって当たり前です。感情を無くしてくださいではありません。こころ流されずにあなたの意志を強く持ってくださいとしているのです。こころの底にある言葉を信頼してくださいとしているのです。

この現世は欲にまみれた地獄の世界です。あなたのこころを惑わそうとする他の強欲の意識が至るところにあります。あなたのこころが試されていることに気づいてください。

ひとを信じるのではありません。それは他人のせいにしているだけです。自らのこころの底にある声を信じてください。たとえこころの声であっても表面上の言葉は揺らいでいます。もっと深くにあるこころの声を感じてみてください。

感情とは大切な意識ですがこれは脳の判断であり「こころ」とは別ものです。それは「理の書」でも記載している通りです。そしてひとの喜怒哀楽は行動意欲を促すものであり、ひとである以上はその感情を制限するものではありません。

あなたのこころの声を信用せずしてこころの成長など決してありません。

何度でも伝えますがあなたのこころはあなただけの意志です。その意志とはこころのあり様であり、そのこころのあり様とはあなたらしさのことでもあります。そしてあなたらしさとは意志であり「志」につながるものです。

われわれが生きる理由とは「こころの成長」でしかありません。あなたの身の周りで起きることすべてが「こころの成長」のため起きていることと意識をしてください。

相手を信じることではなくはひとを信じようとする自らの気持ちを信じてくださいということです。こころのあり様とはそうゆうものです。自らのこころを信じること、それを貫くことがこころの成長につながるのです。