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ふつうは憧れて
そのような人物に
なりたいと思いますが
よほどのことを
しなければ
叶いません
成功者と言われる方たちは
過去世においての
努力が実り
現世で体感を
しているのです
羨望の内容はさまざまです
地位・名誉・お金持ち・スポーツ
・芸能・芸術に
秀でた者たちです
それは一見現世で
楽をしているように
見えることもありますが
実はそうではありません
過去の何世にもわたり
因果を乗り越えて
きているのです
例えば
いまの現世において
ひとから
羨望される人物は
実は過去何世にもわたり
相応の因果の克服を
してきています
この現世では
こころの成長に
秀でた人物であるのです
-
いずれにせよ
われわれの
こころの
成長における
到達地点は
因果を
理解して
受け入れることです
-
こころの
成長のために
特別な修練が
必要な者は
前世からの因果において
神さまが
どうするかを
判断をしています
言い換えれば
こころが未熟であるとも
考えられます
だから神さまが
修行をするように
導いているのだと・・・
- 修行をすることが
良し悪し
ではありません
修行・修練を
しなければならない
因果によって
神さまに
導かれているか
どうかの
違いなだけです
- 例えば
あたなの過去の
辛い出来事を
思い出して
みてください
どんなに
辛かったできごとも
長くつらい思いをしたことも
今という時間において
過去のことは
一瞬の記憶です
今思い出している
数秒の出来事なのです
これはだれでも
みな同じなのです
・・・・・・
風がふいて
すべて流される
ことと
同じなのです
この風とは
時間の長さにして
人生の
一生分の長さと
同じなのです
- 修行僧や修験者は
なぜあえて
辛いことをするという
問いについて
この考えは
他者からみた考えであり
自身は辛いとは思っていません
例え一時に辛いと
感じても
それが因果だと
理解をしており
意思をもって
行動をしており
たとえ一時の辛さ
苦しみはあっても
ひと風が吹けば
たちまち心が
救われるのです
修行僧や修験者は
因果の
先にあるものを
体感するために
自らの意思をもって
臨み
その意思とは
過去世の因果によって
現世において
こころの
鍛錬をしています
- 龍神さまは
ひとつ一つの
因果を
乗り越えて
こころが
成長することを
期待して
いちばんの
楽しみにしています
※因果についてはテーマ内を参照
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