番外編(その7)

三峯神社奥宮からの日の出写真です 三峯神社の境内に現れた龍神さまのようですね
次回は7月に掲載をします

わたたしは書き物で

みなさまに気づきが

伝わればとの想いで

綴っています

みなさまがいつも

笑顔であるように

背中を押してゆきますね


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これまで通りお金とは一切無縁のブログです

ただこころを成長させれば

必然とお金には巡り合うことはできます

そして他社さまの無料ブログで

掲出される広告が苦手なので

あえて自分で費用を捻出して

このブログを管理しています

それがわたしの役割の

ひとつでもあると思う次第です

番外編(その6)

三峯神社奥宮からの日の出写真です 三峯神社の境内に現れた龍神さまのようですね
次回はまた5月に掲載をします。

あとがきにも記載をしていますが

「神さまはいない」をテーマに

二か月の一回のペースで記載してゆきます


また明日よりは前回からの「己が自身」の

続きを掲載してゆきます


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番外編(その5)

次回はまた3月に掲載をします。

それで今回の命題である

「因果について」(全6回)を
一旦区切りとして終えます。

その後は次の5月から

いま短編ブログのテーマである

「神さまはいない」を命題にして

また一年間(全6回)綴ります。

この命題は言葉のとおりで「神さま」

と言う言葉は使用していません。

神さまの存在を否定される方

ほとんど意識していない方が読んでも

わかりやすいものとしています。

ひとの道理はなにも変わりませんが

神さまと言う言葉を使うことで

文章が抽象的になり

わかりずらくなってしまったのでは

本末転倒です。

できるだけ多くの方にひとの道理が

伝わればとの想いです

いまの神さまはいないとした

「己が自身」の短編ブログも

もちろん

神さまと言う言葉は使用していません

明日よりは12月31日まで掲載をしていた

「己が自身」の続きを掲載します

いつかの文章が、この一節だけは、など

共感することでも構いません。

みなさまのお役に立てればとの想いはかわりません

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番外編(その4)

「はじまりの書」
後半にゆけばゆくほどに
難解になります
すっかりゾーンに入って
しまっている感じですね

次回は「その先の扉」です
ただその言葉よりももっと身近に
伝えられるものです
みなさまが肌で感じていることを
もう少しわかりやすい組み立てで
お伝えができればと思います

いましばらくお待ちください

番外編(その3)

「自在の書」は

いかがでしたでしょうか

明日の7月20日より

また通常のブログに戻します

ただこれよりは

神さまなどを一切

理解をされない方へのために

日々の思いを記載します

したがって

神さまや因果・こころ

などの話や言葉を使用していません

わたしも少し目線を変えて

みなさまに案内が

できればとの思いです

次の「はじまりの書」を

掲載するまでお待ちください

明日よりはただ、ただ

ひとがこの社会の中で

生きる啓発として

どうぞみなさまの

お役に立てれば幸いです

番外編(その2)

明日の6月16日より

「理(ことわり)の書」に続く

「自在の書」を

記してゆきます

「はじまりの書」の前に

もう少し因果について

お知らせできれば

との思いです

こちらは約一か月間続く

内容となっています

主はこころの葛藤です

そのために

それほど長編ばかりでなく

短編でも記載されている

ものがあります

どうぞみなさまの

お役に立てればとの思いです