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わたしはよく
自己満足という言葉を
使いますが
我の強いひとほど
この傾向にあります
自己顕示欲や
承認欲求のあるかたも
一様に我が強いです
前述のように言葉で
書いてみるとよくわかります
ただ我の強いひとたちは
これをおかしいとは
思わないのです
自分と考え方が違うひとは
必ず社会にはいます
ただ多様性あるひとがいる
社会ほどこころは
成長するのです
ひとに裏切られて当然
裏切られるひとが
良くないから裏切られた
とする考え方もあります
または
このひとの世界では
そんなことは当たり前で
いちいちそんなこと
気にしないとする
ひともいます
こころないひと
たちのことです
- 裏切られたとする
嘆きは
自身の感情に
同情してほしいがための
自己満足です
良い言い回しでは
純粋とも
いえるでしょうが・・・
- ひとを信頼して
裏切られたことの
痛みとはなんでしょうか
よく
「信頼していたひとに
裏切られて悲しい
もうだれも信頼を
することはできない」
などという
感情の表現がありますが
それはただの悲しいという
感情であり
ほかのひとを
信頼できないなどとは
そのほかのひとが
いい迷惑であることに
気付いているでしょうか
- 信頼をする
できないは
相手の行動ではなく
自らの感情によるものです
相手に裏切られたから
そもそも信頼に
値しないなど
理由はさまざまです
でもそれは違います
あなたが
相手を信頼しないから
相手も
あなたを信頼
しなくなるのです
- ビジネス用語に
「選択と集中」という
言葉がありますが
企業にあって
「会社を成長させる」ために
コアビジネスを選択して
そこに経営資源を「集中」して
投下するというのは
個であっても
「こころを成長させる」ために
「志」を見つけて
そこへ常に「意識する」ということに
相通じるものがあります
状況は違っても
ひとの内面的な思考です
「会社はひとなり」と
あるように
企業であっても
個であっても
考え方に大差ありません
- ひたすらに
考えれば考えるほどに
必ずその糸口が見つかります
そしてその糸口を
きっかけにして
また進んでゆくのです
「こころの成長」とは
その繰り繰り返しです
これを意識する、しないでは
全くその結果が変わります
- その答えは
必ずそれまで
行動をしてきたことに
隠されています
「こころの成長」とは
その積み重ねであり
その経験は決して
無駄ではありません
いろいろな選択肢がある中で
突き進んできていますが
立ち止まった時は
一旦後戻りをして
何か見逃した気づきは
なかったかを
探してみるのです
同じ過ちは何度か繰り返すでしょう
でも大切なことは
途中で思考を止めては
絶対にいけません
- こころの成長とは
さきへ先へと
進むことです
ただ行動には
必ずある時に
その先は
どうしたらよいのだろうかと
考える時期が訪れます
思考が尽きたとき
大抵は
上手くゆかなくなったときに
立ち止まってしまうのです
だから常に
思考を止めては
いけません
- 常にこころで
意識をさせると
それを感じとる
脳や身体が反応して
意識する想いが
引き寄せられます
みなさまご存じのように
こうして
ひとが想像したことは
これまで
ほとんど叶えて
きているのです
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