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やさしい雰囲気をまとうお姿
- 登拝をしていると
小さな芽が
必死に生きようとしている姿を
目にします
ただその小さな芽は
そこを歩くひとによって
踏みつぶされても何も言えません
その小さな息吹は
なにも感じないでしょうが
ひとにはその感覚が理解できます
ただわれわれは気づかない
気づこうとしないだけです
それはそんな雑草を
意識したところで
価値に値しないという
想いがあるからです
残念ですよね
やさしい雰囲気をまとうお姿
- この世界が
たとえどんな世界になろうとも
「こころ」は
自立しない限り
ひとの社会に飲み込まれ
流された状態のままで
あるのかまたは
「志」の意識を保ち続ける
ことができるのか
転生を繰り返すごとに
あなたが生きる世界も
変わっていることでしょう
やさしい雰囲気をまとうお姿
- 過去の歴史は
同じ事の
繰り返しです
あなたがいま、
「志」を掲げて
意識をした考えや
行動をするのならば
たとえいまが
どんな世界であろうとも
それを踏み台に
すればよいだけの話です
やさしい雰囲気をまとうお姿
- 自然と共有できずに
このまま100年先を
迎えるのであれば
その時にはひとさえも
必要としなくなっている
世界であるのか
または
文明が一度リセットされた世界に
なっていることでしょう
これも必然です
やさしい雰囲気をまとうお姿
- ひとは
自然に抗うことはできません
傲慢なひとのこころは
自然災害にあって
はじめてひとの
愚かさに気が付くのです
一旦リセットをしなければ
わからないのです
これまでそうして
同じことを
繰り返してきているのです
やさしい雰囲気をまとうお姿
- ひとの世を変えるのは
社会ではありません
われわれそれぞれの
こころのあり様が
社会を創るのです
なぜそのことに
気づかないのでしょうか
ひとりひとりが
「志」に尽くして
生きることが大切です
個性ある「志」に
短所は必ずあります
でもそれは他の誰かが
補えば
それでよいだけです
長所をひたすらに
伸ばしてください
やさしい雰囲気をまとうお姿
- 行動もできない
年齢の子どもは別として
根本的に
どのような社会であっても
いまあなたがいる環境を
創っているのは
あなたのこころのあり様で
創られているのです
「こころのあり様」とは
あなたの
感じ方次第
考え方次第
行動の仕方次第
ということです
やさしい雰囲気をまとうお姿
- ひとはよく
いまの生活環境について
社会のせいや
ひとのせいにしますが
あなたがいるいまの環境は
あなた自身が創り出していることを
理解しなければなりません
何かのせいや誰かのせいに
するなどは論外です
それは
いつの時代であっても同じです
誰かに、何かに依存をした
考え方の方が楽だから
流されて生きたたほうが
楽だからそうなるのです
やさしい雰囲気をまとうお姿
- この資本主義において
経済学者やアナリストが
マクロ経済における社会の理想を
論じてもそれは富裕層や
中産階級の構成比が
多少代わるだけで
すべての富まざるものが
なくなるわけではありません
ただそれでも
いまよりもより良い世界を
創るために理想を掲げるのです
それでも
ひとはこの社会に
ついて嘆くのです
それはいつの世でも
同じです
。
やさしい雰囲気をまとうお姿
- われわれは
みなそれぞれが
掲げる「志」のために
生きて
ゆかなければ
なりません
。
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