己が自身 (その233)

やさしい雰囲気をまとうお姿
ひとは自然だけに対しては

常に緊張や恐怖を感じているのです

社会の中で体感をする

プレッシャーや緊張とは

明らかに違うものです

ひとが無意識のうちに

畏れを抱く自然とは

それを意識する、しないでは

まったくその感覚はまったく違います

常に意識をすることで

畏れではなく

自然の一部となり

感謝して敬うことが大切です

己が自身 (その232)

やさしい雰囲気をまとうお姿
ひとには

防御本能が働くため

無意識のうちに

身を守る行動や考えをします

それは本能といってもよいでしょう

一体何に怯えるているのでしょうか

以前にひとは自然界より

期待をされていると

表現をしていますが

実はその本能のままに

怯える存在があるのも

自然のチカラです

天災にはひとのチカラで

抗うことはできません

ひとだけが自然との

共存する意識から

だいぶ離れてしまいました

己が自身 (その231)

やさしい雰囲気をまとうお姿
精神的な重圧や緊張

不安、ストレスなどを

感じる感覚は

みな同じです

違うのは

その起きうる状況だけです

みなさまもいずれかの経験は

したことがあると思います

ただこれは自身で

その感覚を作り出しているだけです

すべては自らの想いで

その感覚を作り出しているのです

これらは未知なる状態に

対する防御反応です

己が自身 (その229)

やさしい雰囲気をまとうお姿
この世界こそが

地獄です

現実に起きていること

それが事実です

憎しみは至る所にあり

ひとの感情と同化して

隙あらばこころが

取り込まれてしましまいます

一通りの人生を生きてきた

ひとならばすでにおわかりでしょう

たとえそれがわからなくとも

なんとなくでも

わかっているはずです

そのことに

意識をする

きっかけがないだけです


己が自身 (その227)

やさしい雰囲気をまとうお姿
自然の息吹に

気づいていながら

敢えて踏みにじるひともいます

わかっていながら

踏みつけるのです

このようにして

ひとの意識とはさまざまにあります

踏みつけることで

生に対して憎しみを放つものたちです

それは日常に起きる

事件・事故が

それを物語っているのです

己が自身 (その226)

やさしい雰囲気をまとうお姿
小さな芽の息吹は

ひとにさまざまなことを

教えてくれています

踏みつけてはいけないと

言う事ではなく

この小さな息吹の想いに

気付いてほしいと

教えてくれているだけです

これはひとだけにしか

わからないことであり

ひとは感情があるから

気づくことができるのです