己が自身の編 (その10)

神さまはいない~己が自身の編

あとがき

先のことは誰にもわかりません。でもわからないからこそ先に進むしかないのです。そうすれば必ずつぎの何かが見つかります。わからないことがわかるようになるためには前に進むしかないのです。そしてそこに駆け足で進むひともいればゆっくりと歩くひともいます

それぞれのひとたちはさまざまな人生を体験します。自分でその道を選んだひともいればなんとなくいまここにいるひともいます

たとえその道を自分で選んだとしてもいま在る場所が終わりではありません。数々の壁を乗り越えてきたでしょうがまだその先があります。たとえ肉体的にその道が閉ざされても精神的に閉ざされることは絶対にありません。答えを求めるためにその道を選んでいるのです。これまではわからなかっただけで見かた、感じかたを変えてみれば考えかたが変わります

そしてこれまでなんとなく生きてきたひともただきっかけがなかっただけです。前述のとおりで人生を走っているひともいればゆっくりと歩いているひともいるのです。進んでひとを助けるかたもいれば、どうすればよいのかわからないひともいます。または何かの夢中になれることの結果でひとを助けているかたもいるのです

何人のひとを助けたという数のことでもありません。ひとを助けるとはひとを笑顔にするということです。あなたが受けてきた笑顔をこんどはあなたがほかのひとを笑顔にしてあげればよいだけです

ひと助けとは無理をしてするものではありません。なんのためにするのか、なぜするのかを気づかなければなりません。特別なひとだけがするのではありません。ひと助けが大変と思ったり、辛いと思ってするのではありません

わたしはただこれまであなたを活かしてくれたかたがたに恩を返してあげてくださいと伝えているのです。もしそのひとがもうこの世にいないのであれば代わりに別のひとにその気持ちを返してあげればよいのです。恩返しもまたひと助けのひとつです

受けた恩と同じことでもよいですしあなたらしさで恩を返すのでも構いません。ひと助けをしているひとはこの世界にたくさんいます。でもそれよりもっとたくさんいるといいですよね

あなたを導くひとはあなたよりもすこしだけ先に進んでいるひとの役割なのです。
それがつながりです

己が自身の編 (その9)

神さまはいない~己が自身の編

第八章 託されたもの

鏡に映るあなたの目の前にいるひとはこの先のあなたの姿であり、あなたの後ろにいるのはあなたのためにこの身体を何千年もの間をつないできた「志」たちです

過去からのつながりを大切にしてあなたはさらに成長しなければなりません。われわれのこの身体は過去のすべてを背負ってきているのです。そしてみなさまの「志」をさらにつないでゆくのがわれわれの役割なのです

われわれが生きることにおいてしてはならないこととはひとの信頼を裏切ること、そして精神的にも肉体的にもひとだけでなくもっと多くの生命(いきもの)を意味もなく傷つけることがなによりの罪なのです

この世はいつから自分を裏切ることがこんなにも簡単にできるようになってしまったのでしょうか。そしていつからひとを信頼することがどうしてこんなにも難しくなってしまったのでしょうか

寂しい姿や悲しい声を聞くために役割に尽くしているのではありません。ひとのために、ひとの笑顔のために、たくさんの生命の元気な声聞くために「志」の意識を貫いているのです

「志」は見返りを求めるものではありません。もっと嬉しそうな笑顔をみたいから、生命の元気な声をもっと聞きたいから「志」に尽くしているのです。われわれの時間には限りがあるのです。それでも時間が足りないのなら無理をせずとも次の世代に引き継げばよいのです

そうしてこれまでつながってきているのです。これまでそうしたくてもできないひとがたくさんいるのです。そのひとたちの悔しい思いを感じたことがあるでしょうか。自分の最も大切な「志」をひとに託さなければならいとしたその悔しい思いがどんなにつらいものでしょうか

でももっと先を見て時間がなくできない自分よりもできるひとに「志」を託さなければならないのです。そして「志」なかばでできなかったひとの悔しさをも背負ってできるひとにその想いを託すのです

なんのためにあなたはいまそこにいるのでしょうか。なんのためにあなたは生まれてきたのでしょうか。一度でもあなたの存在価値がなにかを考えたことがあるのでしょうか。欲に満ちた世界に浸るのではなくいまこの現実を見てください、感じてください、考えてください

以前にも伝えましたがひとがどうとか、こうしなければいけないとか、そんなことが問題ではありません。結局、あなたはどうしたいのですか、ただそれだけです

己が自身の編 (その8)

神さまはいない~己が自身の編

第七章 最善の答え

ひとに教えを諭すことは気づきを与えることであり、ひとを育てることにあります。それは何が必要であり、何が大切なことであるのかを伝えることです。数ある宗教の教えもまた同じです。その時代に生きたひとの答えです

それはひとそれぞれがそれぞれに答えを導くためのものであり、そうしたひとを育てるための教えであるのです。教えとはひとをさらに成長させるための言葉であるのです

答えとはひとそれぞれにあるものです。その方向性を示すことでひとそれぞれの答えを導くきっかけとなればそれでよいのです

ひとは考え続けることでそのひとなりの答えをみつけて同じようにしてひとそれぞれが成長していくのです。そのひとの成長こそがそのひとの答えなのです。今日のあなたの正解よりも明日の答え、一年後のあなたの答えが大切なのです

更にはさまざまな思考があるからこそさまざまな答えを導きだすことができるのです。その答えは決してひとつではなくさまざまな答えがそのひとなり「~らしさ」の答えとして養われてゆきます

そのひとの正解であってもあなたにとっては間違いであるのです。その答えとはあくまでもそのひとなりの答えであってあなたの正解ではありません。あなたらしさの答えを見つけてください

そしてみなさまらしいそれぞれひとつ一つの答えの集まりがこの世界において最善の正解となるのです。そのためにわれわれはさまざまな環境で成長したさまざまな答えをもったひとがたくさんいるのです。ひとつの最善の答えを導きだすためにわれわれひとり一人の答えが必要なのです

われわれひとの世界の答えとは、その辿り着く場所は同じですが、ただそこに至るひとの成長、いわゆる答えを探し出す道のりが違うだけです

その道のりこそが大切であるのです

己が自身の編 (その7)

神さまはいない~己が自身の編

第六章 ひとの道

たとえばあなたが、ほかのひとからいじめのような嫌がらせを受けていればあなたは被害者です。同時に相手に対する憎しみが今度はあなたがまた別のひとに加害者として嫌がらせをするようになり被害者をつくるのです
もしこころの闇がないのであればそもそもそのような嫌がらせを受けるような状況には絶対になりません。起きる事象は相手があなたに教えてくれていることとして気づかなければならないのです

憎しみの連鎖とはそのようなことを云うのです
ひとの道とは必ずしも良いことばかりではありません。あなたの成長のための教えとして気づかなければならないのです

そして相手のひとは意地悪をしていることに気がつき改めなければどんどん深い闇に落ちて行くのです。相手は相手の事情で教えに気がつかなければならないのです

相手の行為はあなたに対しての教えであることに気がついてください。大抵はその憎しみなどの感情が邪魔をして決して素直になることはできません。でもあなたに起きる事象はすべてにおいてあなたが改めるべきことが起きているのです。言ってみればあなたは試されているようなものです

そのことに自らで気づくならまだよいのですが、大抵はそのことに気付かずに何度も同じことを繰り返すのです。すべてを相手のせいにして自分は悪くないとする考えかたがあなたを苦しめるのです。この考えを改めなければどんなに避けても必ず起きることです

何度も言いますがあなたにひととして足りないことを気づかせるために事象が起きているのです。あなたの成長のためにすべての事象が起きているのです。それを理解してあなたの考えを改めなければ何度も同じことを繰り返します

あなたが正さなければならないとする意識と行動は強ければ強いほどにそれ以上の強い意識で必ず叩きのめされるのです。あなたの強い意識の使い方を間違えてはなりません。その強い意識はあなたの過ちを正すべき強い意識に変えてください。そして常に相手のことを気遣った行動を示してください

ひとの道とはわれわれを試すためにすべてのひとを対象に正すべきことが何度も必ず起きるのです

己が自身の編 (その6)

神さまはいない~己が自身の編

第五章 誇り

「あなたのプライドは何ですか」と、聞かれたらほとんどのひとは自分のことを考えその答えに悩むことと思います。誇りとは本来は自分のためにあるものではなくひとを助けるためにある言葉です。誇りという言葉の行動がひと助けであるのです

自分だけのプライドなど何の価値もありません。他人からすればそれはただの自己満足です。またプライドに自己犠牲は必要ありません。それは自己犠牲もまた自己満足にすぎないからです

そして誇りとは信念であり「志」のことを言うのです。だれにでもあるこの「志」はみながそのことに気付いていないだけです。気づかなくなってしまった原因は欲であるのです。ひとのために尽くすということを忘れ、自分の欲のためにだけの行動をするようになったがためです

長い年月をかけてひとのために尽くすという本来は当たりまえのことなのに自己欲が中心の世界へと変わってしまったのです。欲が中心であるこの世界だからこそ、冒頭の問いに対してすぐには答えられないのです

またその欲が原因による感情にあるのが憎しみと怒りです。もともと憎しみとは憎悪と呼ばれるくらいに相手に対する感情です。そして怒りとは自身の考えや行動に関わる自らの感情が原因によるものです。憎しみは長い時間を経ての積み重ねですが怒りは衝動的な行動です

動物の誇りとはただ純粋に生きるためだけの行動が誇りそのものでもあります。動物にある感情は生き抜くための本能そのものなのです。ただひとはさまざまな感情を持ち合わせているために葛藤をして失われた誇りを取り戻そうとしているのです

でもひとには生きることにはさして必要のない感情が数多くにあります。ひとには言葉があるからそれらを言葉として数多くの表現をしてきているのです

本当は前述にある必要のない感情などなくすべてがひとにしかない大切な感情なのです。ただそれをコントロールできない意識が未熟なだけなのです。だからこそ当たり前のことを特別のような表現の仕方で伝えなければならないのです

己が自身の編 (その5)

神さまはいない~己が自身の編

第四章 才能

ひとは極限に追い込まれるほどの体験をすることで精神的に成長をします。「志」の意識とはこのようにして培われてゆきます

「志」との出会いはいつでもどこにでもあります。あなたが日常で体験することすべてが出会いです。そこにあなたが意識するかしないかの問題です。「志」とは自身で気づくものであり、才能とは努力の結果であり相手が判断することです。「志」を意識した行動は努力をした結果である才能と同じです。行動と努力は同じことなのです

「志」とはあなたが夢中になれることであり、その結果がひと助けにつながっていることです。夢中になれるということはなんごとのも惑わされずにあなたの意識を高めてくれるのです。ひと助けとは言葉ではなく行動です。幸せにするという抽象的な言葉でなく、笑顔にするという具体的な行動の結果(才能)のことです。そして笑顔にするということが幸せであるということなのです

われわれが為すべきことに不利な要因はだれにでもあります。でもそれと同時にほかのどのひとにもないあなただけの特別な才能も必ずあります。あなたに才能がないと諦めることは簡単ですが、われわれの全員に備わる才能(チカラ)はただあるだけでなく行動をして発揮されるものです。それはみなさまがもつ「~らしさ」でありその「~らしさ」の才能を磨いてください

どんな環境であっても生まれたときからが始まりでありみなが同じです。でも寿命尽きるまでにさまざまにある才能に気付かないひとがほとんどなのです。気づかないひとのほうが圧倒的に多いからその中でも気づいたときにはそれを周りのひとからは特別という言葉が使われるのです。自分が特別と感じるものではありません。なぜなら才能とは努力によって養われるものだからです

みながそれぞれにもつその才能は行動をして気づいてゆかなければなりません。それが「志」というものであり「志」とは言葉ではなく意識をした行動のことです

あなたにしかできないこと、いまこのときにしかできないこと、「志」という意識をした行動に限りはありません。常に考え続けてください。ひとはそれを努力といい才能と言うのです

己が自身の編 (その4)

神さまはいない~己が自身の編

第三章 その先へ

「志」ある言葉を行動にして知らしめることができるのはひとだけができるのです。それを何故しないのでしょうか。われわれは欲にまみれた言葉ばかりの行動をしているのです。みなさまはどのようにお思いでしょうか

あなた自身の「志」に気づくことがどれほどに楽しくなることかそのことに気づくとものの見かた、感じかた、考えかたが変わります。われわれが生きている理由はすべてにおいてこの「志」を携えて生きることなのです

「志」とはあなたの考えかたの根本となるものです。ほかのひとがどうとかは一切関係ありません。たとえ困ったり、悩んだりしたときはすべてが「志」を基準に考えて行動をしてください。そうすることであなたの悩みのすべてが解決されます

その「志」を満たすために次はどうしよう、どうしたらよいかなとひたすらに考えてその先へと常に考えるようになるのです。「志」とは欲にとらわれない使命感のようなものです。この使命感はやらされてる感ではなく自らが進んで行動をしていること、考えているだけで楽しくなるような意識の連続です

ひとが育つ環境によってそれぞれに「志」はあります。そして一旦その「志」が見つかれば寿命尽きるまでその「志」と一緒に生きてゆくことができます

もちろん「志」を貫くことは簡単ではありません。不安やつらいことの現実を目の当たりにしなければなりません。ただそのように感じることはあなたが傲慢になりつつあることでもあるのです

自分がこれだけやっているのに何故ほかのひとはなにもしないのか、なぜ気づいてくれないのかなど、ほかのひとと比較をするように考えては決していけません。常に「志」を成すためにあなたができることだけの行動をしてください

もしその相手が「志」に気づかないものであればそのひとはあなた以上に苦しみ、悩んでいるのです。まったく別の世界にすんでいるかのような感覚として理解をしてあげてください。そして逆に手を差し伸べてあげてください

過去はどんなことをしても変えられませんが未来は変えられます。明日がどうなっているかなど誰にもわかりません。でも「志」のもとにあなたが明日はこうするんだという意志のもと行動をすれば何もしないことの明日をかならず変えることができるのです

己が自身の編 (その3)

神さまはいない~己が自身の編

第二章 向こう側

あなたの目の前に現れるひとはあなたと同じように自身のことを理解してもらいたいとするひとです。その行動はまさにあなた自身であり、だからあなたは悩むのです。このひとはなぜわたしの「志」わかってくれないのだろうかと・・・相手もあなたと同じように思っているのです

あなたの前に立ちはだかる壁は相手を説き伏せることではありません。もちろん伝えても反応がなく無関心なひとに対する自身の「志」ある行動の無力さを嘆くことでもありません

たとえ伝える相手が反論してきても、または無関心であっても相手を何とかしようとすることではありません。相手には相手の事情(因果)があるのです

自分の意志を伝えることに問題はありませんがさらに相手を理解させようとする言葉の数々はあなたの傲慢でしかありません。ただ自身は良いことをしていると思い込みそれを傲慢とは思わないのです

あなたはただひたすらにあなたの役割である行動をすればよいのです。たとえ反論するひとが現れても「そのような考え方はありますね」として相手を受け入れてください

相手を流そうとすればさらに相手は寄ってきます・・・
あなたの「志」ある行動をひとに評価をしてもらいたいのでしょうか

あなたの行動の評価とはあなたのことを認めてくれるひとの「数」でもなく「質」でもありません。「志」ある行動の結果とはあなた自身が気づきを得るのであればそれでよいのです

この様に考えることが「相手が変わらないなら、自分が変わればよい」とした答えです

「志」が高ければ高いほどに深ければ深いほどに不安やこの悩みは尽きないものです。決して惑わされてはいけません。あなたの「志」ある行動が弊害や障害もなく成し遂げることができるのであればそればこころの成長であるのです。そしてあなたの結果とはあなた自身で判断なさってください。「これでよかった」と思えることがなによりです

己が自身の編 (その2)

神さまはいない~己が自身の編

第一章 「志」の壁

相手を変えるのではなく、自分が変わるのです
この意味とは諦めてくださいとしているのではありません
なぜ相手を変えようとするのでしょうか
自分が正しく相手は違うからでしょうか
それとも自分の思い通りにならないからでしょうか
いずれにしてもそれは一方的にあなたの考えを相手に押し付けているだけです

このようにしてあなたの「志」が高ければ高いほどにその壁も高いのです。なぜならあなたの目の前にいるそのひとはあなたのその傲慢さを気付かせようとしているのです。それは相手のひとがあなたを変えようとしていることに気付いてください

あなたの「志」についてその行動は・・・
ただ伝えたいということだけであなたは満足しますか
相手が自身の考えを理解してくれるのであればそれだけで満足ですか
理解だけでなく一緒に行動をしてくれたら満足なのでしょうか

これは自分の考えを押し付けることの傲慢なのでしょうか
そのことに気づかせるために相反するひとが目の前に現れているのでしょうか
それでは「志」とは何でしょうか。同じ考えをもつひと同志が集まって成し遂げてゆくことがいけないのでしょうか。良かれと思うことを相手に伝えることさえも傲慢と言われるのでしょうか

それはあなたの行動が間違いということではありません。ただあなたが行動をすれば相反するひとが必ず現れます。または伝えてもまったくの無反応であったりすればなぜわかってくれないのかとその結果に惑わされます。あなたが感じる悩みや疑問に対してあなたの目の前で起きていることは事実であり。あなたへの答えであり、あなたへの教えであることに気付いてください

間違えてはいけないことはこの高い壁に対して立ち向かうことではありません。抗えばするほどにずっと同じことを繰り返します。この立ち向かうとは相手に巧な話術で説き伏せることでもありません。あなたの目の前に起きることはすべてが事実であり、その事実があなたに教えを説いているだけです

あなたの「志」ある行動に対する弊害や障害を感じることは確かに立ちはだかる壁ですが説き伏せて乗り越えるための壁ではありません。冒頭にある「自分が変わればよい」というのは相手が教えてくれていることに気付いてくださいと云うことです

もし相手が困っている状態であればあなたはそのひとを助けなければなりません。またもし「志」を求めるひとであればそれはむしろ必然的にあなたの前に現れます。ですがいまあなたの目の前に現れるあなたの考えに常に反する言動をするひとはあなたと同じようにあなたのことを説き伏せようとしているのです。互いにおなじことをしていることに気付いてください

このようにしていまのあなたに必要とされる現実が起きているだけなのです。何を伝えたいのかというと原因があっての結果であり、理由があっての必然であることに気付いてください。更にその先に進みましょうと教えてくれているのです

超える相手は他人ではなく自らのこころのあり様です

「志」あるひとへの壁とは己が自身でその教えに気づいて壁を乗り越えてゆかなければならないのです。このようにしてひとは更なる高みへと成長してゆくのです

それがこころの成長です

己が自身の編 (その1)

神さまはいない~己が自身の編

まえがき

あなたの手を引く姿がおぼろげに見えるのはきっと以前にもどこかで会っている感覚です。誰かに導かれていることもなんとなくわかっていますが、でもそれ以上にどうしらよいのかわからないのです。導かれながらもどこかでみなが立ち止まってしまい、いつの間にかその感覚が消えてしまうのです

でもその感覚は消えたというよりも気づかなくなったが正解です。そしてあの時から何年も先になってある時にまた思い出すのです。自分はこれまで何をしてきたのだろうと・・・

ひとが生まれるときにはただ生きるためとした理由はみな同じです。なのにその生きている途中でこれまで何をしてきたのかなどと聞かれても学業を終えて社会人になって・・・などとしか答えようがないでしょう。でもおとなになりその先を意識して生きることができれば何かが違ってきます

そして寿命尽きるときに何もわからずに終えるのではなく生きてきて良かったと思える姿を残さなければならないのです。この先を意識して生きてゆくことができればそれも叶えられます。何を意識して生きればよいのか。ひとそれぞれにそれは違います

あなたの生きる理由を見つけてください。
でもこの感覚は恵まれたであろうこの環境だから知り得ることなのかもしれません。この世界ではそんなことを考える余裕すらなくただ生きることだけに精一杯のひとたちがいるのも事実です

でも本当はこのようにして比較をすること自体がまだまだわたしも傲慢なのでしょう

貧困や裕福の定義とはなんでしょうか。ひとの価値を決めるのはお金ではありません

以前より伝えているように比較をすること自体が強欲や傲慢につながるのです

そのひとの価値とはどのように生きたか、ただそれだけです。ひとの良し悪しを決めるのはほかの誰でもなくあなた自身です。そのことがわかっているのなら、あとは先に進むだけです

それでは本編をご覧ください

目次
まえがき
第一章 「志」の壁
第二章 向こう側
第三章 その先へ
第四章 才能
第五章 誇り
第六章 ひとの道
第七章 最善の答え
第八章 託されたもの
あとがき