こころの起源 (その1)

水鏡に映るお姿
まえがき

これまでのわたしの書について記載していることはわたしなりの正解であってみなさまにとっての間違いであることは常に意識をしていてください。

わたしの書を踏み台にしてみなさまの気づきにつながればそれでよいのです。読みながら常にみなさま自身の想いと対峙してみてください。みなさまが感じることやその想いがみなさまにとっての正解です。

みなさまがそのような気持ちでこれまでの書を含めてご覧になっていただけるととてもうれしく思います。

わたしの書は言い回しを変えてで同じことを伝えている場合が多々あります。それはひとつの伝え方ではわからないことやイメージできないことがあるので、もっと理解をしてもらうために幾通りかの伝え方をして、そして更には自らの経験による例え話をするなどして理解をより深めていただければとの想いによるものです。すでに理解ができるかたには少しくどいかもしれませんがご容赦ください。

それでは前文に入ります。ひとの身体を器としている「こころ」を「魂」と表現される方もおりますが、わたしの書では魂を「こころ」と表現しています。そしてあなたを守る神さまとは「あなたのこころより一歩先を歩く神さま(こころ)」のことであり、あなた自身のこころと混同しないようにするためにわたしの書では「あなたを守る神さま」と役割を加えた言葉としての呼称を使っています。

そしてわたしがみなさまにお伝えする「神さま」とはすべて先人たちのこととして伝えています。ひとであった方たちのことを神さまと呼んでいます。なぜ先人たちのことを神さまとしているのでしょうか。それは天まで届くほどの高く、広く、大きな「志」を持ってその「役割」に気づき行動をしてきたひとたちであったからです。

わたしは以前より世界で起こる争いごとのすべてを否とした考えでしたが昨年よりその想いが少し変わりました。それは昨年に多くの遺跡や祭祀の場所に赴くことで「すべての出来事(事象)はこころが成長するためにある」ということに気付いたことがその理由です。

この命題は自然にある川の最上流にあたる源泉を意味しています。そう考えた時に戦乱の世に生きたひとたちはその世界がもっともこころを成長させてくれる環境として生まれ育ち、その結果「志」を高く掲げて多くのひと助けをしてきたかたたちであったからと教えてくれたことによるものです。

そこにはただひとを殺めることでの争いではなく、平和的に解決をして統一をしようとしてきた「志」であったことによるその想いに魅了されたからです。なぜなら平和でも不幸はありますし争いの時代でも幸せはあります。その感じかたはあくまでもわれわれ次第であるということです。

その先人たちの生きた時代とはおよそ紀元前後(弥生時代の後期頃)のひとたちを中心に捉えています。なぜにこの時代に生きたひとたちあったのかはこれまでの神社・寺院の参拝をし、そこから登拝に変わりそして昨年の2020年は古墳や、遺跡、祭祀の場所に赴くようになりその年代に触れることでさまざまに気づかせてくれることが多々あったからです。

具体的な呼称などは省きますが、たとえ名が残されていなくても「志」により各々が自らの「役割」に気づき行動をしてきたひとたちの存在は決して忘れることがあってはならないのです。


目次

まえがき
第一章 想い
第二章 そこに「ある」こと
第三章 「志」
第四章 良い「因果」
第五章 自然のこころとは
第六章 こころの闇
第七章 こころのあり様
第八章 自然とひとの世
第九章 自然に還る
あとがき

以上