こころと意志と良い因果の編 (その10)

素直であること~こころと意志と良い因果の編

あとがき

因果に気付くこと、こころに気付くこと、だからそれが何なのでしょうか・・・そのことを知ってどうなるのでしょうかと思うひともいるでしょう。でもそれはそれで構いません。そんなことどうでもよいと思うひとはそれでよいのです

こころのあり様はひとそれぞれです。知りたいと思うひとは誰に何をいわれようとも知りたいと思うようになるのです。それは必然として導かれているのです

でもそれはあなた自身の判断です。選択肢があって判断ができることです。わたしはその選択肢を増やしているだけです。する・しないはあなたの判断です。しないことの選択肢もあなたにはあるのです。

あなたにとってもっと大切な学ぶことがあるのかもしれません。もっとやらなければならないことがあるのかもしれません。だからこころのあり様次第であるとしているのです

わたしの書はそうした考え方もありますよとしたものであり、それほどの強制力はありません。わたしの強制があるのは、ひとのこころを傷つける強欲はダメですよということだけです

それ以外はあなたらしさの解釈をしていただいて構いませんよということです。なんども伝えるようにこの書はわたしなりの正解であってみなさまにとっては間違いであることを念頭においてご覧ください

その中でこの部分はよくわかる、この部分は何言っているのかわからない、またはわたしだったらこのように思うとした考えで良いのです

わたしは特段だれかに強い影響を受けているわけではありませんが、似たような考え方をするひとだなとかこのひとは面白いなといったかたはたくさんいらっしゃいます

普通が何よりも大事です。普通であることがいかに大切であるか最近わかってきました。普通とは「真ん中」であることです。こころのあり様はいつも真ん中であること。ではその真ん中とはなにかを次のテーマとして記してゆきたいと思います・・・

こころと意志と良い因果の編 (その9)

素直であること~こころと意志と良い因果の編

第八章  こころとは~その2

ひとはよく、この世界に自由はないというひとがいます。では、あなたが描く自由な世界とはどんな世界でしょうか・・・

そのように思うひとはきっとあなたが自由を連想する世界とはひととしがらみのない欲のままに生きられる世界のことをイメージするでしょう

でも本来、自由とは意志のことを言うのです。そして意志とは「らしさ」のことでもあるのです

自由とはらしさであってわがままではありません。どんな環境であってもどんな状況であってもあなたらしさで意志のあることが自由であるのです

近年のひとの社会では強欲によって押しのけられてきた「こころ」に気がつくひとが増えてきました。この社会はなにか違う気がする・・・違うんじゃないかと感じているのです

こころに気がついていればいま在るこの世もただの通過点です。でもこころはひとの世でしかできないことがあります

それが自身の因果に気づき、ひたすらに反省をして、その因果に気がつくことができたことに感謝をして、その因果を良い因果に変えることがわれわれひとの役割であるということです

このひとの世がどうなるのか心配をすることよりも、この世界がどうなろうとも、こころに気づくひとはそれが当然のこととして受け入れなければなりません

そして、ひとりでも多くのひとに気づきを知らせてあげることが、こころに気づいているひとの役割でもあります

そのために、わたしらしさとしてこれまで因果のことや、「志」のこと、そしてこころ、意志、良い因果をみなさまにお伝えしてきています・・・

こころと意志と良い因果の編 (その8)

素直であること~こころと意志と良い因果の編

第七章  こころとは~その1

街ですれ違うひと、電車に乗って目に映るひとたちはみな限られた世界の中で生きています。そしてひとはこころにさえ気づかないひとがたくさんいるのです。こころにさえ気がつかなければ当然に因果に気づくはずもありません。

ではこころを知るためにはどうすればよいのでしょうか・・・

身体には脳で思考して判断をします。ほかにも感情がありますが、一度目を閉じて暗闇の中を深くにイメージした意識をしてみてください。その時にあなたがこれまでひとのことを泣かせたり、こころを傷つけてきたであろうことを思い出してください。その思考をしているのがこころです

こころとはひとの感情に左右されることのない意識のことでです。あなたが感情によって行動をしようと考えているとき、行動をしているときに必ずあなたの感情とは真逆の意識の言葉が聞こえているはずです。理性という言葉が近いものですがこころとはもっとも純粋な意識であるということです

この社会で、ひとはおとなになって生活をするためにはお金が必要であり、そのために仕事をします。そしてほかのひとより少しでも多くのお金を得ようと必死になるのです

少しでも良い生活、贅沢な生活をすることを目標にこどもの頃から良い学校に行って勉強をしなければならないのです。良い学校に行けばほかのひとよりもたくさんのお金を得ることができるようになりひとは満足をするのです・・・それがひとの社会の構図です

それはそれで一概に間違いとは言えません・・・ひとの社会がまだ小さなコミュニティであった頃は、それこそは純粋にこころとこころのやりとりであったのですが大きな集団になると統制が取れなくなり感情による強欲が生まれ純粋なこころは押しのけられてしまったのです

そしてひとにとって都合のよい、ひとの社会が生まれたのです。数百人、数千人くらいまではチカラで束ねることができていたのですが、それ以上は絶えず強欲のままに争いを続けるようになってしまったのです。そうして生まれたのが「法」であり法治国家です

こころと意志と良い因果の編 (その7)

素直であること~こころと意志と良い因果の編

第六章  こころとは良い因果

感謝の気持ちとはただ相手から受けた恩を感謝することだけではありません。相手の立場に立って、相手を理解することから始まります。そして相手を理解することは相手の因果知ることです

そして相手の因果を知ることができればそれはまさしく自らの因果であるのです。こうして自らの因果を教えてくれた相手のこころに感謝の気持ちを伝えるということです。その意味こそが感謝の気持ちであるのです

そして因果の意味とはあなたのこころをもっと成長させてくれるための因果であって本当はあなたにとっての良い因果であるということです。あなたのこころを成長させてくれるために因果を気付かせてくれているのです

因果はもちろん良いことではありませんが因果に気づかせてくれたことに関しては相手に感謝しなければなりません。因果を教えてくれる相手は無意識のうちに教えてくれているのです

因果は相手のこころを傷つけることであるように、逆に良い因果とは相手があなたのことを助けてくれることを云うのです・・・あなた自身のこころがもっと成長したいという意志が相手を利用してほんの些細な事でもあなたのことを助けてくれているのです

それは、忘れていたことを想い出させてくれて良かったとなどと思うことが起きるのです。ほかにも教えてくれてありがとう、気づかせてくれてありがとうということが頻繁に起きるのです

そうした小さな良い因果とはあなたのこころが引き起こしている場合もあれば、本当にあなたが相手から感謝されているということもあるのです。もしかしたら恩返しをしてくれているのかもしれません

そうしてあなたを助けてくれている「こころ」にも感謝をしてください。良い因果を気付かせてくれた自身のこころに、そして相手のこころに感謝の気持ちを伝えるのです。それが良い因果の連鎖です・・・

あなたのこころ(良い因果)がさらなる良い因果を引き寄せてくれるのです

こころと意志と良い因果の編 (その6)

素直であること~こころと意志と良い因果の編

第五章  まわり道

ひとはまわり道をするから因果に気がつくことができるのです。ひとが生きているなかで起きる出来事はすべてに意味があります。ただひとはそのことになかなか気がつかないのです。でもそのように意識をして考えると人生はとても楽しくなります

その意味が当たっているかどうかよりその出来事の意味をいろいろに考えることで楽しくするのです。そうしてどんどんとまわり道をしてください。長生きすることが重要ではありません。どう生きたのかが大切であるのです

仕事でも生活でもなんでもあえてまわり道をしてみてください。何事もなく歩む人生も良いですがまわり道をした人生のほうがいろいろな経験をすることができるのです

人生の半分は意図したこととは真逆のことが起きるようになっているのです。そんな簡単に思うようにはゆきません。そうであればあえて真逆(まわり道)のことをしたほうが遥かに価値があります。そうゆう意識を常に持つようにしてください。その後のあなたの人生は数倍楽しく生きることができるようになります

たとえまわり道をして失敗してもそれが何だというのでしょう。生きることに無駄なことは絶対に在りません。すべては気持ちのあり様です。簡単なことです。まわり道をしてたくさんの楽しい経験をしたとすればよいのです

ますはまわり道をすることに慣れるために小さなことからはじめてみてください。たとえば今日の昼ごはんはどうしようかな、明日の電車は少し早い電車に乗ろうかなどの行動パターンを変えてみてください

そういった行動に慣れてきたらある時に選択をする機会があれば普段は選ばないことを、楽しそうだと思うことを選んでみてください。もちろんすべてにおいてまわり道をしてくださいということではありませんが楽しいと思うことが大事なのです

もちろんいつも通りでも構いません。その代りに気持ちのあり様は常に楽しい気持ちであってください。嫌のことであればもちろんそれは因果として反省をするのですが、このようにしてその因果を反省して気持ちを楽しくすることで因果も学びとして、良い因果となるのです

こころと意志と良い因果の編 (その5)

素直であること~こころと意志と良い因果の編

第四章  因果の役割

良いひとと言われているひとほど大きな因果を抱えているものです。ひとのために良いことをしていると誤解をしていて自身の大きな因果に気がついていないのです

自分はひとのために良かれと思ってしている「行動」は、ひとの気持ちに気かつないことほどに傲慢であるということです。あなたが良しとして相手のためにとした行為は相手にとっては深く嫌悪していることもあるのです

それは、ひとのためとしながらも、ただ自分の思い通りにしようとする傲慢なあり様であるのです。そのひと自身はそのことに気がつかずに、ひとへのやさしさということを誤解しているのです

そしてそのひともまた過去、または前世で同じようなことをされてきているのです。以前に因果には似た者同士が引き寄せされてひとつの因果のグループのように形成されると伝えていますが似た者同士だからこそ自身の因果になかなか気がつかないのです

そして、このような状態に気づいたあなた自身もそのひととまったく同じではありませんがそれらの行為に関わるあなた自身の因果であるのです

目の前で起きるあなたが嫌悪する出来事はあなた自身の因果であること思い起こしてみてください

あなたがこれまで生きてきてこころから嫌だと思う出来事の数々の振り返りをしてみてください。その嫌なことを引き起こしたひとたちはあなたの目の前に現れては消えていなくなるなど基本的には自業自得に自身の因果に気が付かないままに消えていなくなるものです

ただそのようなひとでも因果の大小はあってもあなたの因果を教えてくれているのです。いなくなってよかったではなく、自分にもこころ当たりがあることを反省してください。そのために常に素直でいてくださいということです

因果に気がつかないひとは同じような嫌な出来事がなんども起きてその原因を相手のせいにしながらひとは悩み続けるのです。だからこそ素直で謙虚であってくださいとしているのです。それが因果の役割です

因果の役割とはひとを良い方向に導いてくれるために在ることを理解してください。そのように考えることで因果はすべて良い因果であるということです

こころと意志と良い因果の編 (その4)

素直であること~こころと意志と良い因果の編

第三章  こころの役割

ひとは良い世界にしようとすれば悪い感情が抗い、悪い世界を正すために良い感情が生まれます。ひとは、そのどちらの感情を持ち合わせています。その感情をコントロールするのがこころであり、それがこころの役割であるのです

ひとの悪い感情は強欲となり因果となります。こころとは良い因果のことなのですが、さらに突き詰めれば、そもそもこころは良いも悪いもありません。自然のままに在るということです。「悪い」があるから「良い」という言葉があるだけです

自然のままに在るということはそれ自体が意志であるということです。自然の法則とはそれ自体が意志であるのです。その意志を良い因果と表現をしているのです。そしてひとで言うことの意志とは「志」のことです

花を咲かすことは揺るぎない花の意志なのです。どんなことがあっても必ず花を咲かそうとするその意志はひとの「志」と同じです。自然のままにあるこころとは意志(志)のことであるのです

そして良い因果とは「志」のことを言うのです。もちろん「志」とはひとそれぞれに「~らしさ」として在るものです。それがあなたの正解は他人にとっての間違いであるということです。「~らしさ」として「志」を叶える術は、あなただけの意志であるということです

自然に在るさまざまな意思は姿や形を変えて色々な動物、さまざまな植物としてその意志を貫いて生きているのです

ひとはほかの生きものよりも多くの感情があるために、その感情は「志」掲げる邪魔をして、意志を貫く妨げとなっているのです。だからこそ感情の最も少ない植物の花はただ咲かせるために、ただただ必死であり感情が最も多いひとから、その純粋さに魅力を求めているのです

無意識にその意志に憧れを抱いているのです。花がきれいであることはもちろんなのですが感覚的にそのまっすぐな意志をうらやましいと感じているのです

自然の意志を例えにした話をするときにいつも花が浮かび記しているのはその生き方を私自身が一番に憧れを抱いているのかもしれません・・・

こころと意志と良い因果の編 (その3)

素直であること~こころと意志と良い因果の編

第二章  大切なこと

こころとは良い因果となる意志のあり様です・・・ただ、こころは、この世において実体はありません。あえてこの世でわかりやすく例えるなら「意志」として存在しているということです・・・意志がただ在るということです

そして、それはこの世では、ひとの身体の中にあるのです。そのこころ(意志)はこの身体を使ってさまざまに行動をして意志を具現化しているのです

ただ、ひとに宿るこころはとても未熟です。ひとの身体を使って行動を伴わなければ因果も、良い因果もなんのことかまったくわからないのです。だから行動ができるこの身体を必要としているのです

こころは実体がない精神のあり様ですが、ひとの身体に宿ることで精神としてこの世に存在しているのです

この世という世界はいま生きているから理解している世界です・・・あの世という世界は、この世とは違う別の世界とした意識にすぎません。ひとが都合よく理解するためにあの世という世界を理解しようとしているのです

だから、そもそもこの世もあの世も分ける必要はないということです。言い方はともかくとしてこの世には身体もありこころもあることは事実だということです

でも本当は実体のない「こころ」がすべてであるということです

大切なことはこころがあり、意志があり、良い因果があることを理解して意識することができていればそれでよいのです

これまでの書について当然に、「この世」から感ずる世界観を表現して伝えています。もっと細かな「あの世」とした世界観は実際にひととしての寿命が尽きればわかる話です。それはそれで楽しみにしていれば良いのです

いま在るこころの存在を・・・そしてこころが在るべきその理由に気づいてみてください

こころと意志と良い因果の編 (その2)

素直であること~こころと意志と良い因果の編

第一章  こころと意志と良い因果

この世の時間は宇宙の歯車においては一瞬です。それは時間の長さを意識するものではなく、意識の深さをイメージすることでわかるようになります。この世も、あの世も関係ありません。こころと意志と良い因果を意識してみてください。すべては形の「無い」ものであるのです

そして「無」であることとは「意志」であるということです。「無」である意志を言葉で現わそうとするから余計な雑念や言葉が付いて回るのです。「意志以外はなにもないということ、意志だけがあるということです

意志だけの存在であるからこそ「無」であるということです。「意志」に感情は在りません。そもそも感情があるのは身体のあることだけです。その中で多彩な感情を持っているのがひとです

本来こころとは意志のことであり、意志とは良い因果のことです。本来のこころを取り戻すためにこころはひとの身体に宿りひとつ、一つ、成長しようとしているのです

さなぎが羽を拡げ蝶になることも、つぼみが開いて花となることも、そしてひとが「志」を掲げることもすべては意志です。そこに感情などは一切ありません・・・

ひとである時間も、こころの時間も、万物に宿る意志の時間などもすべてに時間の長さは関係ありません。ただ、役割の違いがあるだけです

ひとは、小さな良い因果の積み重ねることが大切です。できもしない、たいそうで大きな良い因果などは必要ありません。それよりもほんの小さく些細な良い因果がたくさんあることが大切なのです

笑顔でいることも、お花に水をあげることも、小さな生きものを助けてあげることも、小さな良い因果です。あなたがいまできる良い因果をたくさんにつくってください

この世では因果とともに在り続けること・・・
小さな幸せをたくさん、身に付けてください

こころと意志と良い因果の編 (その1)

素直であること~こころと意志と良い因果の編

まえがき

これまでの因果については強欲を中心に記してきましたが今回のテーマでは因果とは良い因果であることの解釈をさまざまに伝えてゆこうと思います。それまで因果とは、気がつかないままに、そして、因果に、気づこうとしたこともありませんでした

でもその気持ちも少しずつ変わり常に因果とともにあること、そして反省をしてもしきれないくらいの気持ちをもって、逆に反省することができるということは因果に気づかせてくれたことに感謝の気持ちを伝えるなど、因果を突き放すのではなく自戒するためにいつも因果とともにあることで感謝の気持ちをしなければならないのです

ひとであるからこそ、因果は当たり前にあることです。でも考え方次第で因果について気づかせてくれたことに感謝をして自身の因果を悔い改めることをすれば良い因果に変えることができます

これまでは因果を排除することをひたすらに伝えてきましたがひとの社会で生きるために常に他の因果を目の当たりにしながら、自身の因果に厳しくあればあるほどに自らの因果を、余計に意識するあまり、我が強くなりさらには、相手にも同じことを求めようとする考えが見え隠れしていることに気付くようになるのです

そんなことなら因果に対して突き放すのではなく、味方として受け入れることができればどんなにも自身のこころはやさしさで伝えることができるようになるのです

因果をひとつ、一つ消してゆくのではなく、ひとつ、一つの自身の因果に気が付くことができたことに感謝して、反省をして因果とともに在り続けることで、その因果がやがては良い因果になって目の前に現れるようになるのです

良い因果とは小さな感謝の気持ちの積み重ねで感じることができます。雑念が蔓延するひとの社会において小さな感謝の気持ちはこころにほんの一瞬のやすらぎを与えてくれるのです

もっとたくさんのとても心地の良いやすらぎ感じてもらうために、この先で記す言葉の意味を知ることが、とても大切なのです

それでは本編をご覧ください・・・

まえがき

目次

第一章 こころと意志と良い因果

第二章 大切なこと

第三章 こころの役割

第四章 因果の役割

第五章 まわり道

第六章 こころと良い因果

第七章 こころとは その1

第八章 こころとは その2

あとがき

以上