こころはの編 (その10)

意志~こころとはの編

あとがき

すべての中心である、常世は精神世界であり、こころはただ在るだけです

こころひとつ(ひとり)であれば、ほかと比較をすることの我の強さは必要ありません
こころひとつ(ひとり)であれば、いじめ、虐待、差別などもできません

そして常世でこころを成長させることはできません
だからこそこころの成長はこの世でしかできないのです
他にひとが生きているからこそ、この世でこころを成長させることができるのです

この世で生きるということが
どれだけの価値があることなのかおわかりでしょうか・・・

だからこそこの世で生きていることを無駄にしてはなりません
この世で生きる理由について理解をしてくださいということなのです

生きる理由とは「こころの成長」です
「こころの成長」とはひと(意識)の成長です

ひと(意識)の成長とは自身の因果を理解して、それを乗り越えて・・・
ひとを守り、ひとを助けて献身をすることです

そして、やがてはひとだけでなく、命あるものすべてに・・・
さまざまなことを教えてくれた自然に献身をすることです

それがあなたに期待をしている
こころたちへの恩返しなのです

こころはの編 (その9)

意志~こころとはの編

第八章  起きる出来事はそのままに・・・

ひとはこの世から離れるときに、命を看取る相手に伝える言葉は、必ずと言っていいほどに
後悔や謝罪の言葉を伝えるものです

でも、それでは遅いのです

良かったことだけを伝えられるように、いまを生きなければならないのです
そのために生きる理由を知らなければならないということです

もちろんことばを伝える相手がいないままに、突然にこの世を去るひともたくさんいます
そのようなひとたちは、この世のことをどのように感じていたのでしょうか

もし、人生に悲観をして、神さまはいないと嘆くなら、あなたが神さまになってください
そして、ただ待つのではなく。自らのこころが成長するように歩んでください

すべてはこころのあり様で起きる出来事はそのままに在るのです
あなたが変わろうとしない限り、因果のままの事が起きるのです

そしてまた「なぜ?」という答えがわからないままに、苦難を経験するのです

「なぜ?」ということに対する答えがわからないから、苦難を続けるのです

それもひとつの道理というものです

改めて問います・・・
ひとが生きる理由とは何でしょうか・・・

こころはの編 (その8)

意志~こころとはの編

第七章  なぜ・・・

常世(精神世界)がすべての中心です
でも常世のこころが守るべきは、現世に生きるひとであり、ともに現世に転生をしたこころたちであるということです

あなたの一歩先を歩くこころが、あなたを守るために
すでに身体に宿っていることもその理由のひとつなのです

常世のこころたちは
現世のひと(こころが成長する様)に期待をしているのです
だからあなたを守るこころたちがあなたを支えているのです

「なぜそうまでしてこころを成長させる必要があるのでしょうか・・・?」
「こころが成長してどうなるのでしょうか・・・?」ということではありません

こころは以前に多くの過ちを犯したからこそ、こころはひとの身体に宿り、この世で罪を償わないながら成長をするということなのです

それが因果となって現れているということです

「この世に生を受けた人生だから好きなように生きる」ということなどではありません
生きる理由に気が付いてください・・・因果に気がついてください

ひとは幸せになるために生きています
でもその「幸せ」とはなんでしょうか・・・

ひとの社会で生きることには純粋さ、素直さは必要でなく、それよりも、ひとよりもっと・・・という欲を求めることです

そうして偽りを重ねながら、ひとを傷つけて強欲となり因果という罪をつくるようになるのです

そしてまた、生きる理由に気付かないままにこの世を終えてゆくのです

そうして、またこの世に転生をして・・・の繰り返しなのです

こころはの編 (その7)

意志~こころとはの編

第六章  こころとこころ

あなたの意識とあなたを守るこころ
いわゆるこころと会話をすることはできません

この世では物質世界であるために、あくまでもこの身体を使って
ひとは、こころの導きやメッセージに気づくことしかできないのです

たとえばですが、運が良いという出来事は偶然ではないということです
運はありませんし、偶然もありません

すべてがあなたを守るこころからのメッセージであるということです
それをどのように受け取るかはあなたの問題であり、あなたを守るこころから試されているのです

またたとえ、常世でも、こころとこころが話はすることはできませんし、ましてや現世のようにメッセージを送ることもできません

もちろん身体はないので感じることさえできません

本来こころとは意志のままにあるのですが、まだまだ未熟なあり様は、この現世でしかこころを成長させることしかできないのです

この世では、こころを導く一歩先を歩くこころから学ぶことしができないのです

こころの成長とは、この世で因果を経験することで学んでゆくということです
すべてがこの世での経験がこころの成長であるということです

この世での因果とはこころを成長させるために起きているということなのです

こころはの編 (その6)

意志~こころとはの編

第五章  期待に応える

ひとはだれでも、あなたを守るこころから、かならず必要とされています

その理由はこころの成長を期待をされているということです

あなたを守るこころは自らがこの世でできないことの代わりにあなた(身体)にしてほしいと期待しているのです

こころたちもまた多くのひとを助けたいと思っているのです

助けるとはこころを成長させるための行動です
もちろん気づきを与えることも助けるうちのひとつです

わたし(こころ)はあなた(身体)に知恵を貸してあげるから、あなたはこの身体を使って行動をしてくださいと・・・

こうした互いの協力もひとつの献身です

以前にテーマとした「献身」でもお伝えをしましたが、その意味は・・・

ひとのためにとは・・・感情を満たすことが自己犠牲であり、こころを満たすことが献身であるということです

あなたを守るために、わたし(こころ)がいる・・・
いきものたちを守るために、わたし(こころ)がいる・・・

それがこころの期待に応えるということです

こころはの編 (その5)

意志~こころとはの編

第四章  同じことを・・・

ひとは因果を繰り返し、こころの成長を繰り返します

それは病もまた同じです
ひとの寿命はここ数千年で30年から50年は長くなったことでしょう

また、ひとの病も同じことの繰り返しであることに気付いているでしょうか・・・
病気をひとつ治療できれば、またあらたな病が見つかります
その繰り返しです

こうしてひとは日進月歩して寿命を長くするようになりました
ひとの希望や可能性を信じた行動は素晴らしいことです

ただ「こころ」を知るものであれば、ひとの身体の寿命にはそれほど興味はありません
それは常世が中心であると知っているからです

以前にも伝えた通り、この世で長く生きたかが問題ではなく、どれだけ深く生きたかが大切であるということです

もちろん現代を否定するつもりはありません

でも2000年前では、いまより短命であることが悲惨だったのでしょうか・・・
5000年前は、一万年前は・・・・
ひとは遡るほどに、むしろいまよりもはるかにひとは自然に近く純粋であったのです

ひとは病、災いもまた同じことを繰り返してきているのです
そして、それよりも、もっと大切なことを忘れているのです
「生きる理由とはなにか・・・」ということです

同じことを繰り返すことは決して悪いことではありません
それは自然もまた同じであるからです

それでは何故同じことを繰り返しているのでしょうか・・・
それは大切なことを気付かせるために同じことを繰り返しているのです

すべては「こころの成長のために」あるということです

こころはの編 (その4)

意志~こころとはの編

第三章  ひとの一生

こころはひとの身体に宿っていたときの記憶を一切消して
こころがもっとも成長する環境でこの世でひとの身体に宿り生まれてきます

ひとは本能である感情を携えて
その意識(こころ)と共に、意思のままに身体を使います

ひととして喜怒哀楽をもってさまざまな因果を経験して
脳の思考が成長するとともに
意識(こころ)を形成してゆきます

ひとやほかのこころから願いを込められ、期待をされているのです
そしてひとを助け、こころを成長させてゆくということです
でもそのことに気が付くのはほんのわずかなひとたちです

それは生きる理由とはなにか・・・に気づいたひとたちです

やがて身体の寿命が近づくと身体機能が衰えて
それまで意識の通りに使用していた身体は言う通りにならなくなります
そしてまたもとの生まれた頃のように本能である感情のままの状態となるのです

ただそれまで身体と一緒に成長してきた
意識(こころ)は身体の低下には、どうにもならずにそのままにあります

身体にある脳の機能の低下はひとの本能である感情のままに戻ることで
成長したあなた自身の意識(こころ)の存在に気付くようになるのです

そして身体の寿命が尽きると意識はこころのままにとなり身体から離れてゆきます

それがこの世での自然のままに在るという「ひとの一生」です
ひとがみなこのような一生をだれもが通る道のりなのです
それは花の一生と同じで、自然の意志そのものであるのです

こころはの編 (その3)

意志~こころとはの編

第二章  ひととこころ~その2

身体の老化にともなう脳の思考の低下はどうすることもできません

いくらこころという意識ははっきりしていて話に応えようとしても身体の脳の思考が低下しているために思うように身体に伝えることができないのです

意識(こころ)では「言われなくてもそんなことはわかっている、だけどこの身体を使って上手く話すことができないんだよ」と言っているのです
そんなことは言われなくても一番よくわかっているのです
それはあなたもまたいずれはひとを守るこころとしての役割を果たすときのための事前準備のようのものでしょう
こころの成長のために試練を課しているのです

だからこそこころの意識というものに
われわれは事前に、そのことに気が付かなければならないのです

何もわからないままに身体から離れてしまうとその先一体どうたらよいのかわからずに
彷徨ってしまうのです

ではその時のあなたを守るこころはどうしているかというと・・・
あなたが身体の寿命が尽きて身体から離れてからの様子を
事前に教えてくれています

あなたを守るこころもまたひと(意識)であった時に同じ道と辿ってきているのです
最期まであきらめずに守ってくれます
身体から離れて意識だけの「こころ」となることについて
それがどのようなことかを教えてくれているのです

もはや身体を使って行動することができないこと
こころは意識だけの存在であるということ

ひとの身体に宿りながらそのひとを守り、導くのですが
これまでのように身体の機能を使って話もできない、上手く身体を動かすことができないなど、身体機能が不完全な状態で
ひとを支えることがどれほどまでに困難なことであるのかを知るのです
それもまたこころの成長として必要なことであるのです

こころはの編 (その2)

意志~こころとはの編

第一章 ひととこころ~その1

一般的な話です・・・
ひとは身体の寿命が近づくと意識の衰えを感じるようになります
いわゆる物忘れなどの認知症と言われる症状が目立つようになるのです
それは脳の思考の低下によるものがほとんどでしょう
このようにして物質世界において、ひとのはじまりと終わりがあるのは必然です

認識できることはひとの本能に近い
感情的な思考が中心となるのです

わかりやすくは直観的な感覚による感情の言葉です
例えば「あれ食べたい」、「疲れた」、「喉乾いた」「ここが痛い」などです
本能により身体の機能を維持するための最低限の感情の意識を言葉にするのです

感情の意識とは本能に近いものです
それは、純粋に喜怒哀楽のままであるということです

意識の通りに身体が動くのであれば問題ないですが
年老いて身体機能が低下したひとに
話をしても耳が遠い、字が見えない、モノが認識できないなど
それまで意識の通りであった身体(主に脳の思考)が言う通りにならなくなると
自身でもその状況がよくわからなくなってしまうのです
3分前に話していたことさえ思い出せないのです
そしてなぜさっきの話を忘れてしまうのかと聞いても
相手は「なぜ?」という疑問さえもわからないのです

ただそのような状態にあっても
こころ(意識)は、はっきりとその状況を理解しています
ただ身体が、脳の思考が思い通りに言うことを聞いてくれないだけなのです
老化による脳の思考の低下は自身ではどうすることもできません

みなさまは臨死体験の話を聞いたことがあるでしょうか・・・
わたしも経験をしたことがありますが意識が身体から離れ(正確には身体とはつながっています)その辺りで客観的にその状況を見ている状態のことです
ひとによっては別の世界に行ったなどさまざまです

この時点で脳の思考とは別に意識があることに気づくのです
その意識は身体があるかのように言葉を発しても(実際には感覚だけのため)誰にも伝わりません。そしてしばらくしてまた身体に戻ると老いた状態である身体のままに従うしかないということです

こころはの編 (その1)

意志~こころとはの編

まえがき

ひとにはみなそれぞれに必ず因果があります
そしてすべてのひとは、いまあるがままに
相応の試練があり苦悩があります

いま、あなたに大きな悩みがあるのなら
それがあなたの因果です
それは環境によって引き起こされる要因がほとんどです

でもそれは・・・
こころがもっとも成長するために
いまの環境に導かれているということです
あなたにとってこころが成長するために
必要だからこその環境なのです

いま起きている原因を環境の所為にしてはいけないのです

また悩みとは・・・
自身の思い通りにならないことへの不満です
それは自身の我を通そうとする
わがままによるものです

なんでも自身の思い通りにしようとする我の強さは
いじめ、虐待、差別へとつながります

そしてひとと比較をして優越感を求める強欲は
ひとよりもお金が欲しい、そしてひとよりもっと・・・となるのです

あなたの生きる理由とは何でしょうか・・・

それでは本編をご覧ください

まえがき

目次

第一章 ひととこころ~その1

第二章 ひととこころ~その2

第三章 ひとの一生

第四章 同じことを・・・

第五章 期待に応える

第六章 こころとこころ

第七章 なぜ

第八章 起きる出来事はそのままに

あとがき

以上