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神さまは
解決できない
課題は
与えません
考え続ければ
かならず答えに
たどりつきます
あきらめることは
しないでください
こころが成長すると
神さまからのサインを
感じることから
理解をすることに
変わります
サインの意味
考えて
みてください
直観とは
神の領域です
そしてそれは
無意識で感じるものです
神さまは
ほとんど言葉は
発せずに
サインで教えてくれます
自然と一体となるとは
困った時の
神頼みではなく
ひたすら考えることで
答えが見つかるのです
もしかしたら
神さまが
考えの途中で答えを
教えてくれて
助けてくれているのかも
しれないですね
ただし
その場合のほとんどは直感です
願わず
求めず
頼らず
自然の一部で
あること
これを体感
してください
何度もお話をしていますが
こころの成長について
特別な修行を
必要とするものではありません
必要であれば
神さまからのお導きがあります
最後に
因果を克服しながら
理解をした
その先には
ひと助けをすることを
しなければなりません
これも前述の考え方を
照らし合わせれば
わかるように
お釈迦さまやキリストは
実は過去世において
何世代もの因果の克服を経て
現世において仏や神となっているのです
お釈迦様やキリストが
それでも現世で
過酷な修練をしたのは
自らの心の修練よりも
むしろそれはひと助けのために
万人のこころに影響を
あたえるためにした
教えとするものなのです
ただ無理をして
その人の因果の道に
反した行いをしても
それは無駄に終わり
ただただ煩悩として
悩み続けるだけなのです
そしてこのように思います
「こんなにがんばっているのに
なぜなのだろうと・・・・」
なにがしたいのか
どうなりたいのかを
知らないと間違えた
道へと進みます
因果を
理解せずに
ひとと違うように
なりたいがために
修行僧や修験者のように
特別なこととして
荒行を課す理由は
キリストや仏陀の
影響が強いものと感じますが
その行いは
誰もがみな
必ずしも必要であるとは
かぎりません
ひとは
皆それぞれの
こころに神さまが
宿っているために
その神さまは
他人のことを
細かく指図して
教えるものでもありません
そして
こころに宿る神さまは
その人を不安にさせることも
絶対にありません
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