己が自身 (その57)

やさしい雰囲気をまとうお姿
「気配りと心配り」

だいぶ前にも伝えましたが

「気配り」とは

自分の立場から見て

気づいた配慮です

「こころ配り」とは

相手の立場に立って

気づいた配慮です

気配りは

相手に喜ばれるとは限りませんが

心配りは

必ず相手に喜ばれます

番外編(その4)

「はじまりの書」
後半にゆけばゆくほどに
難解になります
すっかりゾーンに入って
しまっている感じですね

次回は「その先の扉」です
ただその言葉よりももっと身近に
伝えられるものです
みなさまが肌で感じていることを
もう少しわかりやすい組み立てで
お伝えができればと思います

いましばらくお待ちください

はじまりの書 (その13)

やや左向きで中心より少し上にある両眼でこちらを見据えているお姿にお気づきください
あとがき

はるか古代に祭祀された場所に赴くと先人を慕い敬うのと同時に自然を崇めていたことに触れることができます。一般的に神社に祀られる神さまたちはそのほとんどがひとであった方たちです。それは仏さまを崇めてご先祖さまを敬う気持ちと何ら変わりません。幾世代をもこの身体を遡れば神社に祀られる先人の神さまたちに辿り着きます。

こころが神さまの分御魂としているのはそのことを指しているのです。そして先人たちに感謝の気持ちを伝えることが大切なのです。さらにその先には自然を崇めることにつながるのです。

わたしたちの使命は常にこころを成長させることです。常世、現世など森羅万象を知ることはこころの目的・志・役割に気づき自然に導かれてこころを成長させることができるようになることです。

それは一部だけのひとに限らずにわれわれひとりひとりのこころが成長(因果を消す)をしてみなが尊い志をもってひとを救うことができるようになればとの思いです。いわゆるみなが神さまとなることができればと思っているのです。

以前にもお話をしましたがひとりが100人を救うのではなく100人が100人を救うことが大切なのです。

われわれが何故にこころを成長させるのかとは、できるだけ多くのひとを助けることにあります。

本書でも伝えていますが常世の本質は「無」です。そして「常世」とは「こころ」のことであり、「こころ」とは「神さま」のことです。そして究極に「神さま」とは「無」であるということです。

みなさまがこの現世でのひと助けにつながる志は常世でもその志を消すことなく残すことができます。以前にもお伝えをした通りで志とは感情ではなく行動です。常世での行動とは現世のひとを守る役割としての行動でありこころの成長を言います。それはあなたらしさであり、あなたの正しいとする道のことです。あなたの信念・志(こころざし)がひと助けをする世界を創るのです。

この現世ではあなたのこころのあり様次第でどんな環境であってもこころを成長させています。その環境の一例として

養護院で育てられても
母子家庭でも父子家庭でも
友達が少なくても
だからこそ得られる学びがあります

そしてさらに成長をして
家族で得られること
夫婦だから得られること
子育てを通じて得られること
独身だから得られること
仕事を通して得られることなど・・・

こころのあり様次第に合わせてでさまざまな環境で生まれ育ったこころはそれぞれに「~らしい」とする「志」が見つかるように、その「役割」もまた見つかるように学んできているのです。

そこに因果の原因となる裕福、貧困、幸せ、不幸などひとが都合よく創り出して比較をしているその感情は必要としていません。因果を知り得たものであればすでにそのことに気づいているはずです。

以前にも伝えましたが転生をするときには現世でこころが最も成長する環境で生まれてくると伝えています。どんな環境であっても学びはあり、あなたのこころを成長させているのです。それがみなさまに与えられたこころが成長するためのよりよい環境でもあるのです。こうしてあなたらしさ(正しいこと)の道(世界)が見つかってゆくのです。

わたしはみなさまにお会いしたことはありませんが同じような志を持つもの同士、言葉(言霊)で通じ合っているものと思っています。そしてこのあとがきを読み終えて、みなさまが笑顔で「さて、わたしはどうしようかな」と楽しくなっていただければとてもうれしく思います。

そして更にこころを成長させて、われわれみなひとりひとりがそれぞれの役割をもった神さまであることに気づいてゆくことに期待をしているのです。

長きにわたりこの「はじまりの書」を
ご覧いただきありがとうございます。

           2020年9月吉日

はじまりの書 (その12)

やや左向きで中心より少し上にある両眼でこちらを見据えているお姿にお気づきください
第十一章 常世とはこころ

現世でわれわれがはじめに学ばなければならないことは因果です。ただそれをいきなり自然に答えを求めてもわかりません。それでも学ぶことは多くあります。自然にも先人たちと同様に感謝の気持ちを伝えることだけです。その答えは自然にすべてありますが、それは自分で見つけなければなりません。

この時代に至って自然はひとの強欲に侵食されてきています。それでも先人たちにはこの身体のつながりに感謝をして、自然を敬い活かして頂いていることに感謝をしなければなりません。

過去の歴史は先人たちよりの教えとして学んでください。大切なのはそれを踏まえた上であなたのこころにある役割に気がつくことです。

自然の万物に宿る神さまは「無」に近づくことでその役割を全うします。そしてわれわれのこころに常に問い続けながらこころの成長をさせているのです。

こころのあり様とはこころの成長度合いのことです。その成長度合いとは因果をもって図り知ることができます。そのためにも因果を理解しなければならないのです。現世からみた常世とは実体(身体)のない意識だけの世界です。

われわれの身体にこころが宿るように、神さま(こころ)は自然のあらゆるものである万物にも宿っています。ゆえに「常世」とは現世の中にありこころとは常世でもあるのです。

常世での「無」に限りなく近い神さま(こころ)は現世の自然の中にいるのです。そして自然の役割自体が神さまのことを指しているのです。常世という言葉を使い、勝手に分け隔ててをしようとするからよくないのかもしれません。そう思い込んでいるだけなのかもしれません。でもそうではなくわれわれは知らなければならないのです。常世とは「こころ」のことでもあるのです。

前述の通りに常世とはこころ自体を指します。現世と常世を分けてはいけません。現世の中に常世があるのです。同時に常世の中に現世があるのです。すなわち常世がこころでもあるです。それはこころのあり様自体が常世という世界をそれぞれに創り出しているのです。そしてそれぞれの常世の世界でこころを成長させてゆくのです。

大切なことは常世の世界にこころが在るのではなくこころ自体が常世でありみなさまを守る神さまとして在るのです。そして「こころ」それぞれが常世の世界を創り出しているということです。

こうしてわれわれみなひとりひとりが神さまであることに気づきこころを成長させてゆくことがわたしの志である「すべての生きとし生けるものが幸せに満ち溢れた世界になること」につながるものと信じているのです。