こころはの編 (その2)

意志~こころとはの編

第一章 ひととこころ~その1

一般的な話です・・・
ひとは身体の寿命が近づくと意識の衰えを感じるようになります
いわゆる物忘れなどの認知症と言われる症状が目立つようになるのです
それは脳の思考の低下によるものがほとんどでしょう
このようにして物質世界において、ひとのはじまりと終わりがあるのは必然です

認識できることはひとの本能に近い
感情的な思考が中心となるのです

わかりやすくは直観的な感覚による感情の言葉です
例えば「あれ食べたい」、「疲れた」、「喉乾いた」「ここが痛い」などです
本能により身体の機能を維持するための最低限の感情の意識を言葉にするのです

感情の意識とは本能に近いものです
それは、純粋に喜怒哀楽のままであるということです

意識の通りに身体が動くのであれば問題ないですが
年老いて身体機能が低下したひとに
話をしても耳が遠い、字が見えない、モノが認識できないなど
それまで意識の通りであった身体(主に脳の思考)が言う通りにならなくなると
自身でもその状況がよくわからなくなってしまうのです
3分前に話していたことさえ思い出せないのです
そしてなぜさっきの話を忘れてしまうのかと聞いても
相手は「なぜ?」という疑問さえもわからないのです

ただそのような状態にあっても
こころ(意識)は、はっきりとその状況を理解しています
ただ身体が、脳の思考が思い通りに言うことを聞いてくれないだけなのです
老化による脳の思考の低下は自身ではどうすることもできません

みなさまは臨死体験の話を聞いたことがあるでしょうか・・・
わたしも経験をしたことがありますが意識が身体から離れ(正確には身体とはつながっています)その辺りで客観的にその状況を見ている状態のことです
ひとによっては別の世界に行ったなどさまざまです

この時点で脳の思考とは別に意識があることに気づくのです
その意識は身体があるかのように言葉を発しても(実際には感覚だけのため)誰にも伝わりません。そしてしばらくしてまた身体に戻ると老いた状態である身体のままに従うしかないということです

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください