献身の編 (その3)

意志~献身の編

第二章  こころとは

わたしが何故「魂」のことを「こころ」と表現をしているのかというと・・・「魂」とは読んで字のごとく鬼の云うこと。それは地獄であるこのひとの社会において「魂」と呼ぶのです

まだひとの社会が形成される以前までは強欲などなくひとは自然の中で互いに助け合い生きながら生活をしていたときは純粋に「こころ」と呼ばれるものでした

地獄と称されるこの時代で、このひとの社会において「魂」と言う言葉をそのまま使うのではなく目指すべきは「こころ」であるとしてこの言葉(言霊)を使っているのです

これまで記してきた言葉においてもう一度おさらいをすると・・・
こころとはわかりやすくは「理性」のことであり、言い換えると、「よい因果」、「摂理(自然の法則)」、「意志(志)」のことを示しています

そして精神とはそういった言葉たちからなるひとそれぞれに宿るこころの「性質」のことであると伝えています。さらにその「性質」をわかりやすくは「こころのあり様」という表現をしているものです

ひとがもつ感情(本能)から生まれた強欲は常にこころ(理性)と対峙して葛藤を繰り広げています。そしてこころの成長という本来の目的に気が付かないものの大半は理性が押しのけられて強欲のままにとなってしまうのです

そしてこころの成長を判断することはあなたが決めることではなく相手のひとが決めるものであり、どれだけひとのことを思いやることができるかどうかが大切であるのです

ひとの社会においてひととは因果のことです。そして因果のないひとはいません。言い方を変えれば因果があるからひとであるのです。そこからどれだけこころを成長させることができるか・・・それがわれわれの生きる理由でもあるのです

そして強欲とはひとのこころを傷つけることであり、それが因果となるのです。こころの成長とは強欲に気づき悔い改めることにあるのです

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