献身の編 (その2)

意志~献身の編

第一章 精神とこころ

こころと精神の違いは何でしょうか。同一として捉えるひともいますし、ひとそれぞれにあります

わたしなりに伝えるとすれば、まずこころとはひとそれぞれに身体に宿る意識のことです

例えば「こころないひと」とは言いますが「精神がないひと」とは言いません
「こころないひと」とは優しさがない、思いやりがないと言うことを例えているのです
こころとはひとのことを敬い、思いやる気持ちのある意識のことを云うのです

またこころとは理性として現わすことがわかりやすい例えです。感情のままに欲に溺れ強欲となりそうなときに止めてくれる意識のことです。こころの中で「それはやってはだめだよ」と理性としての意識を伝えてくれる存在のことをいいます

そして精神とはもっと広義的な意味として、ひとそれぞれに在るこころの「性質」のことを指します。性質とはひとそれぞれに宿るこころのあり様を指しているものです

例えばですが「あのひとは精神的に強い」という言い方で例えることができますが、それは耐えること、つまりは我慢をするということでもあり、我の強さを抑えるといったことを云うのです

精神が強いとは一般的に気力が強いとしても表現され、また肉体的に耐えるということを指したりもしますが、肉体的に耐えるとは結局は気力が強いとして「耐える」という精神の強さのことを表しています

「耐える」ということは、あらゆる「感情」に耐えることで、欲に対することがほとんど精神的に強いと表現されるものです。そうしてこころは感情に対抗する精神力を身に付けるのです。もともとこころに男性も女性もありません。宿る身体が男性なのか女性であるのかというだけです

ほかにもお釈迦さまが修行は無駄であると伝えられていますが、それは極限まで修行を突き詰めたお釈迦さまの言葉であって、なにもしていないわれわれ、ひとに対してその言葉は当てはまりません。感情に惑わされない「精神」を鍛錬することは大切なことです

精神とはこころの性質のことであり、その性質とはわかりやすくはひとそれぞれに宿るこころのあり様を指しているものです

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