こころと意志と良い因果の編 (その10)

素直であること~こころと意志と良い因果の編

あとがき

因果に気付くこと、こころに気付くこと、だからそれが何なのでしょうか・・・そのことを知ってどうなるのでしょうかと思うひともいるでしょう。でもそれはそれで構いません。そんなことどうでもよいと思うひとはそれでよいのです

こころのあり様はひとそれぞれです。知りたいと思うひとは誰に何をいわれようとも知りたいと思うようになるのです。それは必然として導かれているのです

でもそれはあなた自身の判断です。選択肢があって判断ができることです。わたしはその選択肢を増やしているだけです。する・しないはあなたの判断です。しないことの選択肢もあなたにはあるのです。

あなたにとってもっと大切な学ぶことがあるのかもしれません。もっとやらなければならないことがあるのかもしれません。だからこころのあり様次第であるとしているのです

わたしの書はそうした考え方もありますよとしたものであり、それほどの強制力はありません。わたしの強制があるのは、ひとのこころを傷つける強欲はダメですよということだけです

それ以外はあなたらしさの解釈をしていただいて構いませんよということです。なんども伝えるようにこの書はわたしなりの正解であってみなさまにとっては間違いであることを念頭においてご覧ください

その中でこの部分はよくわかる、この部分は何言っているのかわからない、またはわたしだったらこのように思うとした考えで良いのです

わたしは特段だれかに強い影響を受けているわけではありませんが、似たような考え方をするひとだなとかこのひとは面白いなといったかたはたくさんいらっしゃいます

普通が何よりも大事です。普通であることがいかに大切であるか最近わかってきました。普通とは「真ん中」であることです。こころのあり様はいつも真ん中であること。ではその真ん中とはなにかを次のテーマとして記してゆきたいと思います・・・

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