良い因果の編 (その10)

素直であること~良い因果の編

第九章  ひととして生きている間に

良い因果とはあくまでも(悪い)因果について正すために使っている言葉のたとえです。本来は良い因果が当たり前であるということです

ただひとの世界が・・・ひとの感情が、ひとの欲が「(悪い)因果」が当たり前であることとなってしまっているのです

知らず知らずのうちに(悪い)因果は当たり前であり、この世界は地獄であるとしているのです。この地獄という言葉も因果と同じでそもそも良い因果である世界が当たり前であったのに因果によって地獄と言う言葉が生まれたのです

天国と言う言葉もありません。地獄があるから天国という言葉があるだけです。もちろんこの「良い因果」という言葉も因果に比較して伝わりやすくした都合の良い言葉です。本来は摂理、または自然の法則と言う言葉で表現をすることが一番なのです

良い、悪いもありません。すべて比較対象とする言葉自体がひとによってつくられた都合のよい言葉であるのです

前章では因果に気付き、自身の数々の因果をひたすらに反省をして因果の数々を良い因果に変えることがひとの成長である記しました。因果とはひとのこころを傷つけた行いによって生まれます。またもしかしたら無意識のうちに相手のこころを傷つけている場合もあるのです

起きる出来事について、その意味がすぐにはわからずともその因果について考えてみてください。必ずこころ当たりはあるはずです

そして因果による出来事は自身の因果に気付いてほしいがための出来事であるということです。決して罰を受けているのではありません。因果に気づき、因果を良い因果に変えることまでがひととして生きている間に成すことがひとの役割であるということです

できるだけおおくのひとが因果に気付き、さまざまな因果をたくさんの良い因果に変えた世界であることが摂理(自然の法則)であり、良い因果の世界である自然そのものであるのです

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