日輪神社
素直であること~ひとで在るべきことの編
第七章 こどものころ~教え
おとなはあれこれ考えてはなにもしない・・・こどもはなにも考えずに行動する。これは以前にも記した言葉です。こどもは良い因果そのものであるのです
おとながこどもに対して教える良いこと、悪いことは単純におとなが学ぶべき、考える良いこと、悪いことであるのです
こどもが親の背中を見て育つとは環境によって様々です。こどもは親を選べないとか、こどもが育つ環境が不平等だからよくないとか、だれが誰に言っているのか・・・と、他責ばかりでよくわからないことがほとんどです
「こどもが育つ環境が不平等である」とは、ある意味で「こどもは親を選べない」とした言葉と同じ意味です。育つ環境が不平等であるということ、ではなにを基準とした環境が平等なのでしょうか
おとなはただ、そうやって言い訳ばかりをするのです。都合の良い言葉で繕うことをするのです。自分は悪くないとして・・・
何もかもが、こどものために・・・ではないのです。すべておとなのため、自分勝手のため、その場しのぎでしかないのです。それをあたかもこどものためにとして言葉をすり替えているだけです
そしておとなは「こんなこどもに育てた覚えはない」、または「育てかたを間違えてしまった」、そして、「この社会がいけないからこうなった」と言うのです。おとなが純粋でないから、そもそも最初から間違えていることに気がつかないのです
こどもはなにもわからずに、ただ楽しいからそうしていることを、おとはな頭ごなし怒鳴りつけます。こどもは「なぜ?」の理由がわからないからまた同じことをします。そしてこどもはその行為自体よりも、その怒鳴りつけるひとを嫌いになるのです
前章でもあるようにおとなこそが意志をもって純粋であってください。感謝の気持ちと素直であることを、そのままにこどもに教えてあげてください。
すでにこどもは無意識に純粋なのです。それを意識させてあげることで十分であるということです