日輪神社
素直であること~ひとで在るべきことの編
第六章 こどものころ~純粋
おとなの都合のよい言葉など、こどもにはわかりません。でもこどもは語気や声の大きさ、相手の表情で意味はわからずとも、ただ感じているのです。だからおとなの都合のよい言葉でこどもを惑わせてはいけません。こどもは純粋です。でも本来、おとなこそが純粋でなくてはいけないのです
こどものときを想いだしてください。天真爛漫で穢れのない純粋であった頃の記憶を想いだしてください
あなたの過去を少しずつ遡ってみると、ところどころのポイントでかならず誰かの支えがあり、何かの意志で、あなたが正しく生きてゆけるために導かれてきていることがわかります
それはあなたにしかわからないことです。そうやってあなた自身の過去を想い出し、導かれてきたその意志を感じてください
自分で自分のことを偽ってはいけません。自身のこころに嘘をついてはいけませんということです。常に素直であってください。正直であってください。それが純粋であるということです
いまある姿からこれまであなたが生きてきた道のりを想いだしてみてください。想いだすことができる過去の記憶は遡るほどに、あなたは純粋であり守られてきているのです。純粋なほどに、あなたは強い意志で守られてきているということです
あなたの過去を想い出し、あなたのこころにある強い意志で守られてきていることに気がつくと同時にあなたの過去からつながる因果についても想いだし、理解することができるのです
導かれて教えられていること、因果に気が付くことのきっかけなどほんの些細なことでわかるものです。ただ些細なことだけに、なかなか気が付かないのです。だからあとになってふとしたことで気が付くのです
純粋であることは、常にありがとうと言える感謝の気持ちであることです。だからおとなには因果も良い因果も気がつかないのです。でも感謝の気持ちと、素直であれば、いろいろなことがわかるようになるのです。そうして良い因果へとつながってゆくのです