日輪神社
素直であること~ひとで在るべきことの編
まえがき
この世は現世(うつしよ)であり、常世(とこよ)でもあるということ。こころのあり様次第でどのようにも意識することができます。あの世とされる常世はこころによる意識の在り方でいかようにも存在させることができるのです
この世とはまったく別の世界であること、この世の中にあの世はあること、さらにはそもそもあの世などなくて、この世がすべてであるということ・・・
でも、そんなことは考えたことはないし、大体そんなことを知ったところで、だからなんなんだと・・・
ひとによって、それぞれの想いがあって、それがそのひとにとって「正しい」のです。こころのあり様で千差万別に、そのひとにとっての「正しい」があるのです。それをひとつの考えにする必要もなく、そのひとにとっての「正しい」がただあればよいのです
昨日考えたことが、今日は違うなど、誰でも当たり前のことです。だから万物をひとつにする必要はないのです
道理とは、最終的にはひとつとなりますが、それはひとの役割ではありません。そしてそのひとつであることが、いま知ることが必要なのかどうなのかということです。さらには、それを知ったところで、だからどうなんだとなるのです
すべてはこころのあり様次第なのです。ひとである、われわれはひとつにする必要もないのです。ただ我の強いひとほど何でもひとつにしたがるものです
ひとつにしないと自分が不安となるのです。そして更にはひとを不安にさせてまで、ひとつにしようとして自身の不安を取り除こうとするのです
そもそもは、あの世(常世)とは、だれが意識をしたものでしょうか。ひとが勝手に死後の世界を想像しているに過ぎません
いま多くの書物が「死」について書かれていますが、あくまでもそのひとにっての死生観であるということです
当然にわたしの綴る言葉もわたしの考えであるだけです。そんなひともいるんだな・・・それでよいのです
まえがき
目次
第一章 因果の対象
第二章 恩返し
第三章 因果の壁
第四章 こころの支え
第五章 互いの立場
第六章 こどものころ~純粋
第七章 こどものころ~教え
第八章 おとなへの教え
あとがき
以上