「因果とともに」の編 (その5)

素直であること~「因果とともに」の編

第四章  因果の答え~その1

ここでも命題はあなたの大きな課題を例とした「もしあなたの大切なひとがだれかに殺められたらあなたはどうするのか」と云う、たとえにお話を進めます

「大切なひとが殺められる」という、その時に感じる、あなたの憎悪は計り知れないほどの感情です。それはなぜ・・・

あなたの目の前で起きる事象はあなたの因果であると伝えていますが、こころのあり様はその因果とともにあるということです

あなたの内なるこころの問題です。あなたのこころのあり様次第でどうにでもなるのです。所詮は感情をコントロールすることなのですが、それでもひとは悩み続けてしまうのです

だから「ひと」なのでしょう。なんでもきれいごとの言葉で片付けることなどできないのです

なかなか感情を制御することは上手くはゆかないものです。だからこそ、やりがいがあるのです。「志」以外の感情は常にゆらゆらと揺れ動くものです。それを踏まえて「ひと」は、自分自身を理解しなければならないのです

相手のことが許せなく、憎いとする感情はあなたが生み出しているものです。たとえ憎いとする感情は相手の原因によるものであっても、その感情を生み出しているのはあなたです

また、あなたのこころのあり様次第では憎悪の感情よりも悲しみだけに囚われた表現をするひともいるのです

このように憎悪よりも悲しみが優先されるひともたくさんいます。因果を受ける立場がたとえ第三者であっても、何かしらの因果があなたに関わっていることを理解しなければなりません

あなたが過去に何らかの原因によってつくった因果だからこそ、いま結果となって現れているのに、そのことは都合よく過去のことは忘れて、なぜ自分だけに良くないことが起きるのだろうとひとのせいにするのです。原因を他人のせいばかりにして自分は悪くないとして、ひとりで悩み続けるのです

それであなたはどうしたいのでしょうか。ひとりで原因をつくってはひとりで悩んでいるのです。結局は因果を理解しないとそうなってしまうのです

決してあなたが悩むことではありません。それに悩むことと考えることはまるで違います。答えが見つからないのが悩みであり、考えていれば必ず答えが見つかります。悩みはつらく苦しいものですが、考えることは、その先へとつながる期待なのです

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